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二日の自己紹介のはなし(その2)

こんにちは。

趣味で写真を撮っている二日(ふつか)と申します。

前回の投稿で『あるきっかけで「写真」に対する考え方が変わった』的な事を書いて締めたので、今回はその「きっかけ」についての話をしようかと思います。

と言っても大した話ではないので、、、
あまり期待しないで頂きたい。

ところで、一応この投稿、「自己紹介のはなし」なので、自己紹介らしく、好きなものや好きな事について、初めに書いておこうと思います。

好きな食べ物
→寿司

好きな色
→緑

好きなこと
→写真撮る、読書、音楽聴く、映画館で映画観る、アニメ見る、漫画読む、ゲーム

好きな歌手・アーティスト
→GReeeeN、ヨルシカ

好きなアニメ
→君の名は。、後述の漫画原作のアニメ

好きな漫画
→名探偵コナン、僕のヒーローアカデミア、呪術廻戦、ブルーピリオド

好きな映画
→「ハリーポッター」シリーズ

とりあえずこんな感じですかね。私は割と色んなジャンルというかコンテンツに、どれもそこそこガッツリハマるので、好きなコンテンツに費やすお金が結構かかって大変です。多分まだまだ挙げようと思えば挙げれる気がしますが、この後の話に関係しそうなところは出てきたので、一旦ここまで。

大学1回生のとき

さて、私がカメラを始めたのは大学生になってからで、当然サークルの写真展とは言え、写真を出展するのも大学生になってからです。

これを読んでくださっている方が写真を出展したことがあるのかないのか、もしくは写真展を見たことがあるのかないのかは存じませんが、展示に出す写真って、どんなものをイメージされますか。私は大学1回生で初めて写真を出展するにあたって(この時の展示は年度末で、最上回生の3回生にとっては卒展に当たる展示)、どんな写真を出展したらいいのかという事を考えるように、というか考えざるを得なくなりました。

とは言え、まだまだ写真始めたばっかの時期なので、当時の自分のSDカードには、自分が見たままのものをそのままカメラで撮った、いわゆる普通の「写真」しか保存されていないので、その中から選ばざるを得ないわけです。まぁでも、それが写真だから、写真ってそういうものだからと、当時は特に何も思っていませんでした。

そして迎えた写真展当日。他の人はどんな写真出してるのかなぁって思って展示を見たら、僕の写真よりも綺麗な「写真」がたくさんあって、やっぱり先輩はすごいなぁとか、同期のこの人も上手いなぁとか、自分もだんだん綺麗な「写真」が取れるようになるのかなぁとか思いながら見てると、ある写真(厳密にはある方のいくつかの写真)が、明らかに他とは違うものだと感じました。それは別に、オーラとか見えない何かを感じ取ったとかそんな感覚的なことではなく、例えば他の写真の展示位置が目線の高さで統一されているのに一つだけ違う高さに展示していたり、キャプションに記載するタイトルの文字自体を工夫していたり、そもそもこれは何を撮った写真なのかわからない写真だったり、明らかに作者が意図を持ってそうした「作品」だと感じました。自分は美術とか芸術とかそもそも写真に関する知識も全然ないので、その「作品」が世間的に良いものなのか、ただ意味不明なだけのものなのかの判断はつけられませんが、少なくとも私にとっては、今もこうして記憶に留まり続けているという点で「良い作品」だったのだと思います。

ではこれが写真に対する考え方の変化のきっかけだったのかと言うとそうではなく、これは「写真」と「作品」を初めて認識した日という位置付けです。

大学2回生のとき(前編)

さて、2回生になって、自分は勉強関連でかなり気分が落ち込んでいたというのは、前回の投稿でも書きましたが、それプラス、まだまだ新型コロナによる行動制限が厳しかった時期ということもあり、なかなか精神的にはしんどかった(と言っても今振り返れば自分よりしんどい思いをされた方はたくさんいるだろうなと想像に易い程度)記憶があります。

そのころ、写真撮ろうとか全然思わずにダラダラウダウダ過ごしていました。そんな中、母親が、ヨルシカの「盗作」というアルバムを買ってきました(母は時々CDショップで気になったものをアーティスト問わず買ってきます。それまでも髭男とかKing Gnuとか)。
私は中学、高校のとき、GReeeeNが好きでよく聴いていました。今も当然好きで聴いてるのですが、中学、高校時代に比べると頻度は激減しました。GReeeeNの曲は、中学、高校時代の良い思い出を思い起こさせたり、しんどいことがあっても前を向かせてくれるような良い曲ばっかで、「目標があれば」ちょっと苦しいことがあってもその曲を聴いて頑張れるところが好きだったのですが、大学2回生になって(雑な表現ですが)ちょっと病んでいた当時の自分からすると、それが逆にしんどく感じられて、現実逃避したいのに、無理矢理現実と向かい合わされるような感覚になってしまうというような理由で、あまり聴かなくなってしまいました(と言っても当時も新曲のチェックやライブに行ったりしていたので、別に嫌いになったとかではないです)。

そんな現実逃避がしたかった、というか未来とか将来とか明日とか考えたくなかった自分にとって、ヨルシカの曲との出会いは、かなり衝撃的なものだったのです。母が「盗作」を買ってくる前から、ヨルシカというアーティストの存在は知っていましたが、当時の自分の好みはそれこそGReeeeNのような歌詞がダイレクトに伝わる「わかりやすい」曲だったということもあり、それまで進んで聴いてみようとは思ってなかったアーティストでした。ただ、せっかくなので聴いてみると、(私には音楽の知識も全くないのですが)歌詞や音楽やボーカルの歌声や歌い方など、何から何まで美しい表現で、特に「盗作」というアルバムには、アーティストの思想、哲学、創作に対する考え方みたいなものが感じ取れて、GReeeeNの曲が「写真」のようなリアルを重視しているものだとするなら、ヨルシカは「絵画」的な、以前に自分が感じたことで表現するなら「作品」のようだと感じました。

この時点ではまだヨルシカをどんどん深掘りしようというところまでは行かなかったのですが、「ヨルシカ」というアーティストの「盗作」というアルバムとの出会いが、自分もカメラで、「現実」や「リアル」ばかりを写すのではなく、自分の「思想」や「哲学」のような、もしくはそんな大層なものでなくとも、「とにかく何も考えずに目の前の物を写真にして『これが私の作品です』なんて言うことはしたくないな」という思いに少しずつ変化させました。これが例の「きっかけ」のうちの3割ぐらい。もしかしたら、この「きっかけ」になり得たのは、ヨルシカ以外の曲だっかもしれないし、そもそも音楽ではない何かだったかもしれませんが、このような出会いというのは、タイミングが全てなので。

「きっかけ」の残り7割の話もしたいのですが、思っていた以上に長々と書いてしまったので、一旦ここで区切っておきます。

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