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自分が持っている可能性に気づき、世界を広げるために

先日、会社の若い人向けにキャリアについて話して欲しい、という話があって話してきました。
ただ、「オレはこうやって今の自分にたどり着いた」とか「こういう実績を重ねてきた」みたいな自慢話とか武勇伝っぽい感じからキャリアとは、みたいなのを語るのもなんか違うと思っていたので、色々と考えました。

若手が悩みを抱えていたとして、その本質にリーチできるメッセージはなんなのだろう

最初に立てた問いがこれでした。
経験が浅いうちは、思うように仕事ができなかったり、何やってもうまく行かなかったり、自己評価と他者評価のギャップに悩んで「自分はこんなはずではない」と自分を大きく見せようとして見たり、というのがあるのかな、と自分を振り返りつつ仮説を立てて見ました。

そういう時の悩みワードとは「なんでうまく行かないんだろう?」とか「どうしたらいいのだろう」、とか「この先大丈夫かな。。。。?」とか、そういうフレーズな気がしたのです。

ただ、これらのフレーズって、基本的には「解くべき課題の対象が広すぎる」問いでしかなく、これでは進むべき答えが見出せないどころか、問いのベクトルもややネガティブなので、自分をネガティブな連鎖に追い込んで行ってしまうような気もするのです。

ただ、誰もが今の場所で立ち止まって悩見続けていたい訳ではない。上記のような悩みを整理すると、「人々は成長を望んでいる。ただし、自分が望む姿に」ということだと思います。それをさらに噛み砕くと、「いつでも心豊かに、そして自分自身が健全に成長できるように、心を整え、体を整え、環境を整え、楽しんで生活できる状況を作る」ことが重要だと考えました。

そこで、僕のキャリアの話の軸としてはこのような問いを置くことにしました。

幾つになっても、どこに行っても、何をやっても変わらない「資産」を手に入れる

キャリアを考える時にも、物事をどれだけ抽象化できることが大事だと考えています。

筋肉体操的に言うと「筋肉は裏切らない」ということなのですが、リアルに自分が積み重ねた「経験」は、事実として自分に積み上がり、残るのでその経験を「どういう角度から分析し、自分の能力、強みとして活かすか」という自分を見る視点が大事になると思います。また、経験を通じて得ることができた仕事、物事に向き合う「姿勢」、これもまた積み重ねてきた事実は動かしようのないものとして残ります。かつ、そうして積み重ねた「良い姿勢」は自分の信頼にも繋がり、信頼という資産を産む事にもなるのではないかと思います。

そうして得られたものは、いかなる変化にも強く、自分の中に残り続けます。それをどう使うか、どう活かすか、どう化学変化させていくか、という視点を加えることで、自分自身をより面白い方向へと導いてくれる道しるべにもなるのではないかと思います。

心を整え、体を整え、環境を整え、自分自身を楽しませることで、自分自身に色々な種類の「経験」資産、「姿勢」資産をためていくことができ、資産のおおさ、幅広さがその人自身の世界を規定し、さらに新しい世界へのタッチポイントを作っていく、良い循環を産むことができると思うのです。

自分自身のまだ見ぬ可能性に気づくために

では、その良い循環を生み出すために有効なことは何か。
僕がこれまでやってきた思考のフレームワークを、そのまま自分の生き方やキャリアというものに当てはめて見ました。
僕がものを考える上で常に意識するのは、「抽象化する」「構造化する」「原点から考える」の3点で、これを経験の整理に当てはめて見るとこうなります。

キャリアとはなんだろう

まず、Careerってどういう意味なのだろうということを考えました。

よくキャリアを「キャリアパス」「キャリアプラン」という言い方で語られることがありますが、そもそもキャリアってなんなのだろうと思って語源を調べて見ました。

Careerの語源はラテン語のCarrusで、これは車輪のついた乗り物がとおった後の轍、という意味になります。これが転じてCareerという言葉を形成しているそうです。なので、このことからも基本的にキャリアというのは経験や積み上げてきたものからなる、自分自身の資産なのであるということであると思います。ただし、そこに「プラン」や「パス(通るべき道)」を付け加え得るのか、という疑問もあります。
道を決めすぎるとそれはレールになり、自分の可能性を狭めるし、計画が詳細であればあるほど不確実性が失われて、自分自身の未来に向けた可能性を捨てていく事になる。

人の人生というのは、そうであるよりもひらけた可能性をどのように見つけ、チャンスを摑み取るか、という余白が残されている方が良いと考えています。なので、キャリアについて悩む人も、実際は「キャリアプラン」や「キャリアパス」といった言葉がバイアスになって、そこに縛られてはいないか、ということを考えて見るのもいいのかもしれません。

自分の中に地図を作る

仕事をしていく中で積み重なっていく経験やスキル、考え方はどのように自分を形づくるのか、自分の能力や専門性はどのような形になっているのか、理解して把握することが自分を客観的に知るために必要と考えています。

そのために、僕はキャリアを職務経歴書のような「リスト」で表現するのではなく、「地図」として表現するのがいいのではないかと思っています。

「どこの会社にいた」「大企業にいた」とか、「何々部署にいた」とか「何々役職だった」とかそれ自体は、結果であり表層であるので、自分の価値や能力を表現するのに十分な要素とは言えないと思います。それよりも、企業・所属部署・役職にかかわらず、自分が得た経験や「何をしてきたか」を時系列などで広げてみて、それぞれの掛け合わせをみてみるのがよいのではないかと思っています。

たとえば、僕の経験をマップ化するとざっくりこんな感じになります。

僕が社会人になったのが2002年ですから、2019年3月現在でちょうど17年が経ち、4月から社会人18年目になるわけです。会社はいろいろと変わっていますが、社会からドロップアウトせずに実は20年近くも社会人を続けてきたことになります。その中で、何を経験してきたのかをマッピングしてみて、それぞれの関係性を見てみます。

マッピングしたカードのそれぞれが自分の経験であり、自分が切れるカードということだと考えると、このカードの枚数が多い、かつ掛け合わせのバリエーションが多いほど、自分の地図が広いことになります。自分の地図が広いということは自分が移動できる距離と範囲が広いということになり、結果としてキャリアにおいてもいろいろな可能性を掴みにいくことができると言えると思います。キャリアに閉塞感を感じている人も、自分がしてきた経験をひとつずつ抽象化して振り返って、カードにしてみると思った以上にいろいろとやってきていることに気づくと思います。また、その中から掛け合わせの関係性をみていくと、さらに複雑に線が入り乱れるはずです。その複雑性が自分が「不可欠であること」の証だとおもいます。
僕は、よくメンバーに「不可欠な人になれ」と言っていますが、不可欠というのは「その人が仕事に入ることで化学変化がおきて、仕事の質を変えられるような存在であること」だと思っています。
で、経験の数と質、そして掛け合わせのバリエーションの多さがあれば、自分の変化適応力も劇的に向上するし、変化適応力があるということはどこにいても一定の成果と価値が出せるということでもあると思うのです。

なので、自分がなにができるあわからないと悩む人も、いったんやってきたこと、できることをまずは書き出してみて、並べて、それぞれを線でつないでみたり、自分が持っている「今の地図」を理解することは頭の整理のためにもよいのではないかと思っています。

経験を上書きしない

また、自分自身の経験を上書きしないで、過去の経験も今に活かすということも大事だと思います。そのためにも、経験の地図を描くことが役に立つと思います。上記で挙げた自分の経験の地図で、今の仕事で活用している範囲を示してみるとこうなります。

ほとんどすべての領域が活用されていることがわかると思います。
いま、僕はコンサルティングファームで企業のデジタルトランスフォーメーションに関わっています。デジタルで企業変革するときに求められるのは、論理的思考力や戦略的思考から示唆を出すような経営コンサルティング的なスキルだけでなく、変革を実行しきる推進力、プロジェクト管理力、またアウトプットを確実にデリバリーするときに、大規模なSIや開発、デザインに関する知見・経験も大いに役立ちます。要は使えるものはなんでも使って、泥臭くてもやりきる、変えきる、というのが仕事を進める上での要諦であり、本質であるのではないかと思っています。

昔とった杵柄とはよく言いますが、昔とった杵柄はあとで役にたつかもしれない、というのもありますし、経験は上書きしないで自分のカードとしてとっておき、使えるものはなんでも仕事に生かしていくという活用力をつけていくと、より仕事の幅がひろがるのではないかと思っています。

自分の経験を地図として描くという行為は、まさにCareer(轍)の語源そのものの行為です。では、そのCareerの元を作っている自分の行動原理はなんなんだろう、というのが次のテーマです。経験の地図と自分の行動原理の言語化、これがそろうと「自分自身の仕事を通じた行動テーマ」を言語化できます。

自分の原点、原体験に降りていく

周りの人がコーチング受けてみてよかったよ、という話をよく聞くようになり、自分でも興味をもっていました。そんなところに、前職の同僚が「コーチングする側に興味がある」ということで、模擬コーチング的に、自分のことを話して、それを同じく元同僚にグラフィックレコーディングしてもらう機会がありました。

実際は、現在→過去→未来のような形で、今から過去に降りていき、そして未来に向けて考えるという感じで、ひたすら自分語りをした感じなのですが、原体験から今に向かって色々と思い返して見ると、今自分がやっていることとそこまで大きく変わっていない事に気付かされます。

・調べ物、図鑑好き
・知らない事があると調べる:知ることでさらに知りたいことができる
・全体像を捉えたがる
・物事の起源、成り立ちを調べがち

みたいなのは常に傾向としてあるようでした。
そこから、コーチングの後に付け足したものも含めて、三つくらいキーワードを抽出すると、こうなります。

future-proof:将来にわたって使い続けられる(古くならない価値)人類学:進化人類学、医療人類学、文化人類学(人間、そのものの行動様式)か・かた・かたち:設計には思想があり、法則があり、その上で表層がある

このことから、自分の行動原理には「将来にわたって、古びない価値、そして仕組み、それを人類・人間を本質的に理解することで見出す」ということが大きく影響していることに気づくことができました。

その上で、「自分がやりたいこと(今の自分をモチベートする行動原理)」を言語化してみました。

僕が一番興味があるのが、「未来に向かう今」という考え方です。
かつて日本の産業、企業経営の礎を気づいた、稲盛和夫さんや盛田昭夫さんなどの経営者は色あせることのない本質価値を見出し、それを企業経営に仕組みとしてインストールすることで、社会を進化させる仕組みを見出してきました。自分もそういう仕組みを見出すことで、社会を少しでも前に進めるきっかけの一端を担えたら、これが現時点で言語化できている自分の行動原理です。

僕はゼロからイチを作る天才ではありません。また、生涯をかけて情熱を持って取り組むべき大志や大義がないのもコンプレックスでした。ただ、自信を考えた時に、自分の経験や能力を使って、そういう天才を支援したり、課題を持った人の支えになることはできるのではないかと思っていますし、そこにむしろ自分の価値があるのではないかと思うようになりました。

やりたいことの末尾を「創る」ではなく、「見出す」としているのはそういう理由があります。世の中に仕組み法則はすでに存在し、横たわっていて、見えていないだけで、それは視点・考え方を変えれば浮き上がってくる。僕はその視点、論点、観点を鋭く物事の新たな見方を見いだせる人間でありたい、その価値を磨きたい、と思っています。

人生にもマイルストーンがある

自分の地図を描くことと、自分自身の原体験に降りていき自分の行動原理を理解すること、その次は自分の人生の全体像を捉えること、それによって自分がこの先どの方向に向かうのか、のコンパスとできると思っています。

僕は人生は旅のようなものだと思っています。目的地を決めて出発する旅よりも、目的地ははっきりと決めず、方向だけで決めて出発する旅の方が好きだったりします。目的地をなぞっていくことって基本的にはかなりストレスフルだと思うのです。例えば、旅の途中でものすごく心惹かれる場所やものを見つけた時も「やばい、目的が決まってるから」と見過ごすのはとてもストレスです。それよりは、そっちの方に寄り道して、寄り道した先で新しい発見や体験に出会う方がよほど豊かな人生だと思うのです。

よく、「将来何がしたいのですか?」とか「どうなりたいのですか?」ということを聞かれたりしたりするのですが、そういうのは敢えて持たないようにしています。

例えば、人生にはわかりやすいマイルストーンがあります。よくいう「40にして不惑」というアレです。孔子によると20は志学、30にして而立、40にして不惑、50にして知命、60にして耳順、70にして従心、という具合に人間は学びを中心とした世代から、徐々に自分の強みに気づき、自分自身のやりたいことを見つけ、成熟していくという道を辿ります。

僕も今年40歳で不或に突入するのですが、40歳から70歳までの方向性をざっくり上記の図にマッピングしてみました。非常にざっくりとした方向性ではあるのですが、個人的にはこのくらいのレベルでいいのかな、と思っています。計画は常に不確実で、どれだけ精緻化しても100%確実にすることができない前提に立つと、確実な計画を立てるよりも不確実なタイミングやチャンスをつかむ余白が残っている方がいい、と思ったりするし、人生は旅のようなもので地図とコンパスを持って出発するもの、と捉えるとコンパスはおおよその方向を示していればよく、レールのように目的地が決まっているものではない方が良いのかも、と思います。

人生とは道無き道と、偶然の出会いを楽しむ旅である

経験の地図と自分の原体験から、自分の世界を規定し、人生を一つの旅と捉える、ということを考えると「自分が踏みしめてきた道は全て自分の世界であり、これから出会う世界は出会ってみないとわからないし、今できることを足元でしっかりと踏みしめること」、これを愚直に続けることしかないのではないかと思っています。

高村光太郎の道程という詩の書き出しのこのフレーズがとても好きなのですが、自分の前に道はない、と悟った瞬間、そして、そこから一歩を踏み出す瞬間が覚悟を決める瞬間なのだと思います。覚悟の種類は色々あると思いますが、自分が道を作る覚悟を決めて一歩を踏み出せば、そこから自分の地図が広がり、世界が広がります。

世界の歩き方も色々あると思います。例えば、オープンワールドのRPGのようなものを考えた時に、ある敵を倒すためにそこに向かって一直線に進んで行く「目的型」の人もいれば、オープンワールドの世界の全体をつかむべく世界を放浪の旅にでて、全てを把握しようとする「旅人型」の人もいると思います。自分の地図の作り方も様々だと思います。

人間は死の直前まで成長し続けるものだと僕は考えています。だとすると、常に自分自身を成長できる状態、マインドセットに置いておく必要があると考えています。自分自身を奮い立たせる言葉、考え方を自分の中に一つ持つこともまた重要なのではないかと思います。

これは、今いる会社で偉い人がある席で言っていた言葉で、とても印象に残ったものです。特に「自らに健全な無理難題を課し、考え抜くこと」という部分、結局のところ自分を成長させられるのは自分しかいないので、いかに自分に高い壁を越えるために、何をすべきかを考えて考えて考え抜いて、実践し続けることが大事なのだと思います。それを自分がこの世を去るその時まで続ける、それが生きるということなのかな、と考えています。

まとめると

なるべく、「おっさんのドヤ話」にならないように、仕事をして行く上でうまく自分を理解するコツをTipsぽく整理してみたつもりですが、仕事のことを語る上でサンプルとして、どうしても自分の話が多くなってしまいました。

ただ、自分のことを客観的に把握する、自分の原体験を理解する、自分の人生を俯瞰して捉える、これをやってみると、まだまだ気づかない自分の可能性が見えてくると思います。自分は可能性に満ちている、そう思えれば悩んでいる人も、うまくいっていない人も、次の一手、新しい一手が見えてくるのではないかと思って、こういう話をしてみました。

自分の考えを整理してみる意味でもnoteに記事として残してみましたが、誰かの参考になれば幸いです。

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