本当の守破離のプロセス

前回:創造のつくり方

2. 仕事

2-9. 本当の守破離のプロセス

日本には世界に誇れるオリジナルな思想がたくさんあるけれど、その中に創造についての考え方もある。守破離だ。

守破離は、あらゆる活動が創造に至るまでの過程を言い表した言葉だ。

守破離では、創造活動は「守」から始まるとされる。守は、型を身につけるという意味だ。つまり、すでに知られた知恵を学ぶ段階だ。子どもが生産活動をせずに学校で学んでいるのも守と捉えられる。

守の次は、「破」だ。破が意味するのは、「身に着けた型を破ってみる」、「枠から外れてみる」ということだ。

そして、破を経てついに「離」の状態に行き着く。型あるいはその具現である師匠からの離別のとき。創造だ。

この守破離は、創造を目指すうえで、時代を超えて参考になる考え方だと思う。なんといっても、まず守がとても大変だ。けれどこれは程度の差こそあれ避けては通れない。なぜなら、新しいつながりをつくるには、すでにあるつながりを知らなくてはいけないから。

ただ、この守をどのくらい行えばいいのかというのに決まった解があるわけじゃない。たぶんそれは、創造を起こそうとする領域によっても違ってくる。

俺の個人的見解では、「守に囚われすぎる必要はない」、あるいは「守のマニア」にならないように注意すべきだろうと思う。守にある程度の満足を得たなら、積極的に破に挑戦するべきだ。たぶん失敗するだろう。けどそれでいいんだ。破は、失敗の積み重ねが価値となる段階なんだ。破が簡単に成功して離に到達したなら、それは他の人も君と同じ離にすぐに追いついてくることを意味するだろう。

破で失敗したらどうするか。また守に戻ろう。守破離は不可逆的なプロセスかのように使われたりもするけど、実際は守と破の間を何度もぐるぐると行き来して、その試行錯誤の積み重ねの先に離への扉が現れるのだと思う。

競争の檻から脱獄するための鍵は、持続的創造だといった。君が努力をして離を達成すると、ある程度の間は競争の檻の外に出ていられるだろう。けれど、いつか必ず競争の檻に引き戻される。

だから、守破離の離は実はゴールではない。離は、離であると同時に新しい守の型でもあるんだ。


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