冒険
冒険は先が読めないことが条件になる。先が読めたらそれは冒険ではない。
予測が立つようなものは作業であって冒険ではないのだ。ただしこれは冒険が作業よりも価値的に上だと言いたいわけではないので注意して欲しい。
そもそも価値判断には上下は無いので、野球の方が模型作りよりも趣味として高尚だとかいう事は有り得ない。
そして神秘修行はその意味で必ず冒険になる。
冒険でなければ神秘修行ではないとさえ言い切れる。
だから弟子の不安が危険水準に踏み込んだ瞬間にグルは掌を反すわけなのだ。それまでの意味不明な地獄の虐めがいきなり熄んだりする(笑)
今確認している暇は無いのでうろ覚えだが、ナーロー(パ。パは人間)とティロー(パ)の間でも確かそんなやり取りがあったと思う。
つまり酷いことをしているグルでもそこに確固とした戦略があってやっているわけで、虐めが趣味というわけではないのだ。ただしこうした神秘修行の構造を利用して肉体的欲求を満たすだけの指導者もいる。そしてそういうのが一線を越えたとき、新聞の記事を飾る事になるわけだ。
だからその意味ではグルなんか最初から求めない方がいい。求めなくてもグルは勝手に現れるから心配はしなくていい。
不安があっても構わない。「このやり方で本当に自分は行けるのだろうか……」そう思っていて構わない。
むしろそうした「不安」や「先の見えなさ」が有るのだから、正しい道を歩いていると考えるべきだ。
それこそが冒険、それこそが神秘修行だ。
強い意図を持っていれば必ず無限はそれに応える。そして正しい道筋を歩かされることになる。強制的に(笑)
しかしその強制は自分が定めたことだろうか? それとも無限の定めた意図だろうか?
わからないのだ。そんなことは。
なにもわからない。わからないことすらわからない。
そしてわからなくて一向に構わない。そもそも「そういうもの」なのだから。
そこに無理をして、そして道を歩きやすくするために、加工や段階の手間を付けて理由や内容を与えた形が、すなわち神秘スクールであり、それの一般人用受付窓口が宗教なのだ。
不安を抱えて進め。それでいい。それが神秘修行だ。
定める意図は悟りでもタイムリープでも何でもいい。好きな物を選べばいい。
旅を始めた以上、必ずそれはゴールを迎える。傍目から見ると意味不明だったり、負けたように見えるかも知れないが大丈夫。あなたの意識は継続する。あなたが消滅を願わない限り。
あなたは死ぬことはない。あなたが望む夢の中で生き続ける。
そして夢とは世界そのものなのだから、世界を知覚しているということ、それが既に夢なのだ。
では、良い夢を。
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