脳味噌の話

 以前にもツイッターで紹介した『人間仮免中』と『人間仮免中つづき』に、重度の統合失調症がどれほど凄じいかということが描いてある。
 その中で幻覚の話が出てくる。
 入院中のベッドの脇に、筆者の卯月さんの母親と祖母が座っていて、その2人とごく普通に会話もできるのだが、卯月さんは、それは幻覚だという自覚をしっかりと持っているというシーンだ。
 一方、眼光輝く女神アテナは、アキレウスの頭を押さえつけて「アガムメノンを殺してはならない」と命じたそうだが、少なくともこれはアキレウスにとっては紛れもない現実だったろうと私は思っている。
 卯月さんにはしっかりと現実と幻想の区別が付いていたわけだが、アキレウスの方は現実と幻想の区別が付いていなかった――というかアキレウスの時代にはその区別自体が無かった可能性もあるのだけれども、とにかく統合失調症患者は「幻覚と現実の区別が付いていない人ばかりではない」という話である。
 そして統合失調症だけではなくて、アルツハイマーなどの患者も、幽霊がどうのと言い出すことがある。
 身近に実際アルツハイマーの人がいるので色々聞いているが、実に強烈な幻覚を見ている(クーラーから幽霊が出てくるそうだ)し、ひょっとしてこの人、時々別の世界線の情報をこっちに持ち込んでるんじゃないかしら? と思ってもいる。
 以前読んだ話で、アルツハイマーから一時的に復活した老人の話があった。医者は「信じがたい状況だ」と言ってたそうだが、確かに信じがたい。
 その老人は「まるで夢の中にいるようだった。自分の言動を見ていて我ながらひどい事をするなあと思っていた」と報告をしている。ひどい事というのは、アルツハイマー中、暴力的な言動があったのだ。
 何が夢で、何が現実か。
 インドではこうも言われている。「信じがたいことだ。人は目を開けたまま夢を見ている」と。
 そしてこういう話をするならば「そもそも現実ってなによ?」という話をしなければならなくなる。それは判っている。
 判ってはいるが、そこから書き起こしてると長くなりすぎるので、今回はやらない。
 とにかくタイムリープとかを目指している人に、ヒントとなるような、役に立つ情報を提供したい。そのつもりでザクザク書いていく。

死んで生き返りましたれぽ』というマンガがある。急病で倒れて入院したマンガ家の体験マンガだが、これも非常に参考になるので興味を持った方は読んでおくといい。
 この作家はその後炎上してしまったが、それとこの本自体の持つ情報的価値は全く関係がない。
 時々、作品と作家の人格を共通の括りで判断する人がいるけれども、それは余りにも勿体ないので「使えそうな本」があったらとにかく手に取って見るといいと思う。
 そうは言っても私だってサルトルや森鴎外は端から馬鹿にして避けて通っているが……まあ読まず嫌いは良くないという話だ。
 話を戻して、このマンガの中に人の顔に線が見えるとか、窓の外を飛ぶクジラや、耳元で歌う女性歌手の話が出てくる。
 マンガの中では脳のエラーと書かれていたが、確かに脳が通常営業をしていたら起こらない事態ではある。
 さて私の知人にも瞑想中に女性のアカペラ大合唱やらジェットエンジンの回転音やら、雷鳴やら、鈴の音を聞く人がいる。
 この人は幻臭を嗅ぐ人でもあって、よく「○○の臭いがする」と言っているが、つまりそこに現実には存在しないはずの臭いを嗅ぐわけだ。
 それも強烈に嗅ぐので、本人には現実と幻臭の区別が付いていない(笑)
 いきなり「マンゴージュースの臭いがする」とか言い出す。
 そして食べ物系の臭いを嗅ぐと、そのものが欲しくて堪らなくなるようで、この間は鳥の唐揚げを買ったとか言っていたけれど、彼の母親は近々人死にの出る家の近くを通ると「線香の臭いがする」とか言う人なので、何らかの遺伝的な仕組みがそこにはあるかもしれない。
 ところで明晰夢の達人には、夢と現実の区別が付かずに自宅の二階から落ちた人がいると、どこかで読んだ記憶がある。空を飛ぼうとしたらしい。気持ちは判る。
 クリアな体外離脱や、いつわりの目覚めと呼ばれるような体験をすればわかるが、確かに夢と名倉と現実の区別は難しいと思う。
 しかし空を飛ぼうとして二階から落ちるというのは……達人の域にあるリダンツァーだと思う。羨ましい限りだ。
 つまり体に重さがあるって事で、それはもう離脱ではなく別の世界へ行っているのではないかと思う。
 さて統合失調症患者の調査記録によると、今、面談をしている相手の医者の声よりも、幻聴の方がはっきり聞こえると証言した患者もいる。
 目の前に2人の人物がいて、1人は医者で自分を面談してる。もう1人はその近くにいる別の人物だ。
 そしてその2人とごく普通に会話することが出来るとして、しかも医者でない方の人物の方が声はよく聞こえるとなれば、幻覚と現実の区別を付けるのは非常に難しいのではないかと思う。
 例えば、家族に死者が出たとしよう。ところがその人物が死んでいるにも関わらず、家族には生前同様に、その人物と会話が可能であったとしたらどうだろうか?
 その場合、家族にとってその人は「死んだ」と言えるのだろうか?
 なんで京極堂がこの問題を扱わないのか昔から疑問だったのだけれど(笑)少し古いマンガで『蜜の島』というものがある。興味があったらこれまた読んでみるといいと思う。
 最後の犯人判明のシーンなど、黒装束の陰陽師が言っていても全く違和感が無いセリフだ。
 そしておそらくこの『蜜の島』や、ツイッターでも紹介した伊藤計劃原作のマンガ『ハーモニー』などの元ネタだろう事を研究していたジュリアン・ジェインズという凄い人がいた。
 その結論はつまり「古代人は全員統合失調症だった」という驚くべきものだった。
 彼によれば人類が現在のような心(主観的内省意識)を手に入れたのは紀元前1000年頃だという。
 そして言語の誕生は結構最近で、その事が心の発生を促したとか、言語は形容詞が先行してそれから名詞が生まれただろうなどと書いている。
 この衝撃的な結論に言語学者達(だけではないが)は猛反発したらしい。曰く、言語は200万年前から始まってるとか何とか。
 古代人には心が無く、しかし心が無くても文明は作れるというとんでもない結論が、大論議を呼ぶのは理解できる。
 けれどどっちが正しいかはともかくとして、この紀元前1000年頃というのは、トルテックでも人智学でも重要視する歴史的なポイントなのだ。
 トルテックではその時に人類の集合点が「沈黙の智」の位置から「理性」の位置へと移動したと言っているし、人智学では自我発達の変遷という立場からやはり重要視する。
 だから非常に興味深い話ではあるのだけれど、それとは別に鬱病とか統合失調症とか、癲癇とかに遺伝的な傾向が有るのか無いのかという話がある。
 初期ローマの皇帝の家系とか見ているとありそうだなという感じはする。
 霊能者と、癲癇患者と、統合失調症患者をぽろぽろ出している家系の知人がいる。彼の家系の話を聞くとやっぱり関係は有りそうだなと感じる。
 そもそも霊能者には霊能の家系というものがある。例えば心理学者のユングなども霊能の家系に属している。
 そこには遺伝的なものもあるのではないか。
 まあ神様が特定の血筋を守っているという見方もあるし、実際にそういう事もあるだろうけれども、今書きたいのはそっちの話ではない。
 そして冒頭で触れた『人間仮免中つづき』には幽霊の話が出てくる。
 筆者の卯月さんにとっては、霊との接触はごく日常的なことであって、子供の頃からそうだったと描いてある。
 そこを読んだ時やはりそうかと思ったし、『死んで生き返りましたれぽ』の筆者が共感覚者だと知ったときも「やはりな」(蟲師)と思った。

 雲行きが怪しくなってきたのでここらで少し書いておくけれども、こういうことを書いたからといって何か含みが有るわけではない。
 そうした患者を馬鹿にするつもりも更々無い。
 ただそれでも差別だなんだという意見が出てくるかも知れない。
 それでも敢えて書くのは、禅寺の墓場の有り様(意味が判れば慄然とするだろう)や、今や欧米では普通に病気扱いになっているらしいクンダリーニ症候群(原因は不明のままだが)などの事情について、神秘修行をするならば、自分なりの覚悟というか理解を持っていた方がいいと思うし、その為の情報提供になるかも知れないと考えるからだ。
 ガチで神秘修行をしていくなら「悟るか死ぬか」という話になるという事は、今までにもnoteには書いてきた。
 ちなみにこれは往年のオウム真理教の宣伝文でもあるのだが、恐いのはこのキャッチフーレズは冗談でも外連でも何でもなく、実際にオウムでは死人が出ていたということだ。
 教団の敵になる人物を殺害するというのではなく、行の最中に死人が出てしまう。
 その意味ではオウム真理教は凄く一般的というか、「歴史的に見てごく普通の」秘教結社だったわけだ。
 もちろんこれは社会的に見て良いか悪いかとは全く関係の無い事情であって、勘違いはしないで貰いたい。
 秘教結社なんぞはそもそも世の中一般、社会の埒外の存在であって、社会的日常的な表現をするならば、ごく普通によくある秘教結社とは「基本的には狂っていて凄く危険」だということになる。
 そういう世界では生きるか死ぬかは日常の話だから、取り立てて問題にはならない。
 本当に問題にはならない。ぽろぽろ修行者は死んでいくし、結社の敵には普通に武装して襲いかかってくる。だから世の中一般からすれば迷惑な存在である事が多い。つまりはカルトだ。というか秘教結社はすべからくカルトと考えるべしである。
 最近ゲームで有名になっているニザリ・イスマーイール派に限らず、有名なところを挙げれば嵩山少林寺や武當山にだってそういう面がある。
 民衆の為、鐘に頭突きをしたり、木人と戦って功夫を積むのは真に結構なことだが、それは民衆の立場だからそう言えるのであって、悪代官や野盗に限らず、時には支配者である朝廷にだって牙を剥く。
 大乗の教えに背く者には少林カンフーが炸裂するのである。
 梁山泊なども(まあ秘教結社ではないが)似たようなものだが、これは社会の支配者、要するにお上からすれば堪ったものではない。
 けれどパートタイムで修行するならそこまで考えなくてもよくはある。とはいえ行法の危険性は回避しきれないのだけれども。
 そして最近自分のツイッターを見ていて感じるのは、ガチの情報の方がニーズがありそうだなという事なので、今後はなるたけガチ勢を対象に書いていこうと思った次第である。
 パートタイマー用の情報ならwebにいくらでも転がっているし。
 さて話を戻そう。
 統合失調症と、覚醒者と、脳の病気の人と、超能力者と、物理的に脳に何らかのダメージを受けた人と、共感覚者はかなり近い位置にいると見ていい。
 それこそお互いに肩でスクラムを組んでいるような間柄だ。
 上でも触れたジュリアン・ジェインズは「古代人は全員統合失調症だった」と書いているが、そこまで言わなくても、霊能者と覚醒者が近い位置にいるのは間違いないし、統合失調症と覚醒者が物凄く近い位置にいるのも間違いない。
 それこそお互いに肩でスクラムを組んでいるような間柄だ。
 そしてこの辺の事情に勘付いている人は結構いるだろうとも思う。
 かのダンテス・ダイジは精神病院に通っていたというし(患者としてではなく)、もう一つ、バーナデット・ロバーツの体験も非常に参考になる。
 こちらは旧版旧訳と旧版新訳、著者自身による改訂新版の邦訳の三種が出ている(三種とも邦題が異なる)が、手軽に手に入るのは旧版新訳と改訂新版の邦訳だ。しかしこの著作を読んだ時はまさか自分が同じ体験をすることになるとは思っていなかった。
 この本の中では「第2の覚醒体験は恐ろしいものだ」という風な書き方がしてあるが、そこは日本人なら気にしなくていいと思うが……日本人でも西欧化している人などは自己消滅に恐怖を感じるかも知れない。
 ともあれあの判定はまさしく西欧的というか、一神教というか、カソリックだなあと感じた。同じ事についてはラジニーシも書いているが、それを「祝福」と書いていたので、そこにインドと西欧の大きな違いを感じた。
 バーナデット・ロバーツと言えば、瞑想家の宝彩有菜さんが「ビッグバン」という体験について書いているけれど、私はそれも同じようなものではないかと思っている。
 彼女は一般社会的信仰の枠組みで物事を語るので、そこは私とは見方が違うけれども、体験自体はバーナデット・ロバーツや私と同じ種類のものではないかと思う。
 ただ私はスリッパを冷蔵庫に入れたりはしなかった。
 それをやるのは上の方でも書いたアルツハイマーの患者だ。
 ここでも覚醒体験によって生じる事態と、アルツハイマーで生じる事態に似通ったものがある事に気付く。
 ……さすがにここまで読んでくれた人には判って貰えると考えているが、宝彩有菜さんを馬鹿にするつもりは微塵も無い。
 このnoteを読んでいるガチ勢の仲間達に、「冷蔵庫にスリッパを入れたのは自分に違いがないけれどその記憶が無い」という宝彩有菜さんの報告と、アルツハイマー患者の行動との類似性に注意して貰いたいのだ。
 関係性の虫食い的な崩壊というのは、構造が失われるときに起こる事としてメルロ=ポンティが早くも戦前に書いている(第一次大戦の傷痍軍人が題材になっている)けれど、それは部分的な欠落ではなく、全体がぼやけるような方向で起こるのだ。
 だからスリッパ自体は扱える。ただ冷蔵庫に入れてしまうけれども。
 自分の鼻に触ることはできる。けれど「貴方の鼻の先端を指さして下さい」という指示は実行できない。
 歌を歌うことは出来る。けれど言語を話すことはできない。
 こういった事態が生じるわけだ。
 不思議かも知れない。だが実際にそういう患者がいるのだ。
 私の場合にはクンダリーニが上がった後、脳内で猛烈な大整理が起こっているという肉体的な実感があったので、やはり脳内で何か、ただごとでない事が起こるのだなと考えている。
 それがアルツハイマー患者の場合には、物理的に脳が萎縮して崩壊していくという結果起きているわけだ。恐ろしいし赦しがたい話だが、現代医学ではどうにもならない。
 先日、アルツハイマーで死んだ人の脳を調べた医者の話をwebで読んだが、それによると前頭葉がもう消失していて、これに人間的な理解を求めるのは物理的に不可能だとか何とかいう記事だったと思う(うろ覚えだが)。
 これも有名な話だが、アメリカの事故で頭に鉄の棒が刺さって人格が変わってしまった男性の話がある。
 この事実を見事にマンガで消化したのが『銃夢 Last Order』の羅姦だと思うのだが、羅姦は脳に障害を負った結果人格が激変している。その最初にやったことが自分の顔の皮を剥ぐことだった。
「もっとソギ落として軽くならにゃ~! おいらにゃ面の皮何ぞいらねー」
 ペルソナをすべて取り去ろうというのだ。すべての皮を剥ぎ取った羅姦は叫ぶ。
「ひょお~! おいらは解き放たれたあ~!!」
 作者の木城ゆきとは天才だと思う(笑)それは社会的には解き放ってはいけないものだが。
 脳なのだ。とにかく脳味噌に何らかの仕組みがある。
 有名所ではジル・ボルト・テイラーの報告にもそうした自覚的な内容がある。
 これは瞑想や神秘修行をする人は絶対に見た方がいい。
 幸いにYouTubeに日本語訳がある。

 https://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

 ララランドというのは面白い表現だと思った。
 エネルギーだ。エネルギーだけだ。有、有、圧倒的な有、無とは有の表現の一形態でしかない。私だったらそう表現する。
 もちろんそれが絶対だとか正しいとか言うつもりは無い。だからシャンカラやパタンジャリがなんでヴァスバンドゥに噛み付くのかがどうも判らない。
 話を戻そう。
 共感覚者で交通事故に遭った人がいるが、その人は交通事故に遭遇した直後に、視界一面が真紅に染まり、自分の脳が物理的に損壊するのを感じたという。
 その人は事故以降、色彩を失ってしまい、全てが白黒でしか見えなくなったという。
 私はその記事を読んだとき、本来分化する筈の感覚が未分化に留まっているのが共感覚だから、やはりある種の脆さがあるのではないかと感じた。
 また別の箇所では高IQ保持者が若年性の痴呆症に苦しめられている話も読んだことがあり、それではギフトどころか、脳の前借り使用というか、一種の無理な速回しを強制されているようなものではないかと感じた。当人達も「高IQは才能というより障害と感じている」と書いていたが。
 瞑想の結果、脳の代謝系に異常が生じてしまったという報告も読んだことがある。その報告者はメンサの会員だった。やはり特別であったり、ハイスペックであったりは微妙なバランスで成り立っているのだろう。
 だから脳味噌に働きかける系統の薬草では、やはり瞑想に関係しているような報告が出てくるし、そこのところの構造についてはカスタネダの著書の中で説明が出てくる。つまりトルテックの連中はその仕組みを解明していたわけだ。
 日本では余り知られていないが、スーフィーやヨーガでもやはり同じような結論を得ていると聞いたことがある。特にスーフィーは薬物のプロ中のプロらしい。
 薬物は手軽だが、ドン・ファンの言葉を借りれば「飛ばしてはくれるがどこに飛ぶかをコントロールできない」ので正直言ってオススメはしない。
 ただノウハウを持っている秘教結社に因縁があったり、薬物こそが最後の手段という人にとってはその限りではないと思ってもいる。
 綺麗事ではないのだ。自分本人に対して何をしようと、例えばその結果死ぬ結果になったとしても全て覚悟の上でやっているのだ。「行く」という結果が自分の中で出ているのならば、何でもやってみたらいい。
 もちろん最も手軽で、そして充分にデンジャラスなのは瞑想なので、まずはそれから試してみるのがいい。まずは止、それから観だ。
 自分で自分の脳味噌を叩き回してやるわけだ。
 その意味で、タイムリープなり、根源到達なりを目指して瞑想するのであれば、それは自分から統合失調症になろうとする試みだと言ってもあながち外れではないと思うし、すでに統合失調症などを患っている場合は、逆に普通の脳味噌保持者よりも有利ではないかと思う。
 そもそも統合失調症の人が瞑想できるならばという但し書きが付くし、冒頭でも触れた『人間仮免中』などを読むと壮絶すぎて、生きてるだけで精一杯という感じではあるが。
 でもタイムリープしたい人というのは「それでも」やってやると言う人なのだから、やるべきだろう。
 この間読んだマンガの『BLACK-BOX』で、強くなる為には潜在意識の枷を外してやる必要があるが、それをやると廃人になるよ? と言われた主人公が、
「俺は人間になりたいんじゃない。ボクサーになりてえんだ」
 と答えるシーンがある。
 これなんだよ。

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