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『愛』の側面から見るThe Bible

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず高慢になりません
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず苛立たず人がした悪を心に留めず
不正を喜ばずに、真理を喜びます
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます
愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
コリント人への手紙 第一  13:4-8

 金太郎飴のように、どこを切っても切っても出てくるのは!それが聖書。愛の書
 私たちを決して裏切ることのない永遠の知恵、揺らぐことのない真理の書。それが聖書なのです。
 聖書を表す言葉は、他にもたくさんありますが、今日の礼拝では『愛』という側面から聖書を噛み砕いて分かりやすくして、メッセージしてくれました。

どのようにして人を愛すればいいの?

 私たち人の思いや感情、意志だけでは隣人を愛することはできません。移ろい行き、廃れてしまい、いつか投げ捨ててしまうことさえあるのが人の言う“愛”なのです。しかし、聖書が語る愛はそんなちんけなものではありません。決して揺るぐことがなく、薄れることのない『愛』を語っているのです。

 一見、戦だらけの旧約聖書でさえ、その奥義を見つければ、そこには溢れて留まることのない濁流のような神の愛が記されている、と言うほどに、聖書が示す神は、愛のご性質に溢れています。

 ところで、その神の語る言葉である聖書が『愛』であることは受け入れても、その『愛』を実践することが、神ではない私たち人にとってはどれほど難しいことであるか!私たちの意志の弱いこと、罪に誘われる性質のどこまでも強情なことと言ったら目も当てられません。そうです、私たちには『愛』などないのです。
 『愛』とは神ご自身なのですから、そもそも私たちちっぽけな人間には持ちようがないのです。

 しかし、それでもなお共に持たせてくれようとするのが『愛』なる我らの神です!
 どのようにしてか?それは、聖霊様によってなのです。

ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち心を合わせ思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい
それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
ピリピ人への手紙 2:1-5

 私たちの内に住むと言ってくださる、へりくだりの神である聖霊様。その聖霊様との豊かな交わりの中で、愛に乏しい私たち人間も、神の愛の実践がたやすく、当たり前のこととしてできるように日々成長していくことができるのです。

 聖霊様の無い行い、聖霊様の喜ばない、人の自分勝手な思いから出てくる行いには何の意味もありません。むしろ、それはただいたずらに人を暗闇と罪の方向に向かわせてしまうことになってしまいます。
 私たちの行いは、何事も、人(自分)ではなく、神に誰かを近づけるために行われるべきなのです。そして、それこそが『愛』の実践となるのでしょう。


 イエス様が私たちに示された最も重要な戒めは、

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

というものであり、第二戒めは、

あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。
マタイの福音書 22:35-40

というものでした。これら二つの戒めは、絶妙に“ひとつ”なのだと、今日のメッセージ中に語られました。
 私たちは、何をおいてもまず、神を愛し、人を愛さねばならないのです。そして何より、第一の戒めを守ることは第二の戒めを守ることと同義であり、また、肉体の目に見える隣人を愛せないでは、目に見えない神を愛しているとは言えないというのです。

 愛するって、私にはできません。だって持ってないんだもの!
 しかしだからこそ、聖霊様により頼んで、愛されただけ、いやそれ以上に愛せる者、赦された以上に赦せる者となって行きたいです。

 聖霊様!ヘルプ、ミー!!


2023/02/12

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