風亜詠美

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    朝起きて、写真を撮る。そして太陽の光を浴びる。 そんな習慣をつけたくてはじめたシリーズ。 ちゃんと続けられるといいな。

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成熟を目指して:5月初週の所感

礼拝のメッセージを受けて  5月7日の聖日礼拝のメッセージでは、主の教育について語られた。  人間はその細胞の最初のひとつが造られる前から知っていてくださる創造主によってかたち造られ、その命の日がまだ一日と始まっていないうちからその人のすべてが創造主の手元にある書物に書き記されたと聖書は語っている。母の胎の中にいる胎児は、最もその創造主に近くあり、創造主はその子どもを成す細胞の一つひとつを手造りしてくださっていて、その手の中から出てきたばかりの子どもほど、創造主に近くある人

    • あなたの信頼が、あなたの信頼する人を強くする

       人は信頼するより、信頼されたいものなのだと思う。しかし、だからこそ、誰かに信頼をおくということ、それを表明するということは、その人を強くすることができるのだろう。  そして信頼されるということは、自分の存在や力、誇りを認められることだから、好ましいと思われるのだろう。  しかし、誰もが「信頼されたい!」「私こそ信頼に値する!」と主張していたら、次第にライバルを蹴落とし、自分が一番になることを目的としていくことになりはしないか?誰かの必要を満たす者になりたいと願っていたは

      • 命に好かれている

         カンザキイオリの代表曲に『命に嫌われている』という曲がある。私はこの曲が大好きだ。しかし、私の人生の指針にしたい言葉は、どちらかと言うと「私は命に好かれている」だ。  このイザヤの御言葉(の前半)は、私が救われた時からずっと私の魂に語られている御言葉だ。それでも、本当の意味で受け入れることができるようになり始めたのはやっと最近のことで、それまではどことなく反発感を抱いていたように思う。  その反発感こそ、カンザキイオリのあらゆる曲に共感する心の根底にもあるものから繋がって

        • 春を憂う気持ちとか 夏の蒸れた煩わしさとか 秋の乾燥した空虚とか 冬の孤独と温もりとか そんなものが詰まっている気がして 愛おしくて大好きなんだ

        成熟を目指して:5月初週の所感

        • あなたの信頼が、あなたの信頼する人を強くする

        • 命に好かれている

        • 春を憂う気持ちとか 夏の蒸れた煩わしさとか 秋の乾燥した空虚とか 冬の孤独と温もりとか そんなものが詰まっている気がして 愛おしくて大好きなんだ

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        記事

          失敗を軽んじ、神を重んじる! 悔い改めたら、振り返らないでプラムラインを突き進め!

          失敗を軽んじ、神を重んじる! 悔い改めたら、振り返らないでプラムラインを突き進め!

          『愛』の側面から見るThe Bible

           金太郎飴のように、どこを切っても切っても出てくるのは愛!それが聖書。愛の書!  私たちを決して裏切ることのない永遠の知恵、揺らぐことのない真理の書。それが聖書なのです。  聖書を表す言葉は、他にもたくさんありますが、今日の礼拝では『愛』という側面から聖書を噛み砕いて分かりやすくして、メッセージしてくれました。 どのようにして人を愛すればいいの?  私たち人の思いや感情、意志だけでは隣人を愛することはできません。移ろい行き、廃れてしまい、いつか投げ捨ててしまうことさえある

          『愛』の側面から見るThe Bible

          神はご自身の霊を入れる器として私たち人間を造られたが、その器を大層気に入って、愛しておられる。 その器の壊れることも、燃える炉に焚べられることをも望まれず、自らも脆い器となられて身代わりとなって壊され、炉に入りたまわれた。しかし自ら居直られる力を示されて、再び炉から出てこられた。

          神はご自身の霊を入れる器として私たち人間を造られたが、その器を大層気に入って、愛しておられる。 その器の壊れることも、燃える炉に焚べられることをも望まれず、自らも脆い器となられて身代わりとなって壊され、炉に入りたまわれた。しかし自ら居直られる力を示されて、再び炉から出てこられた。

          彼女の口から出る言葉はときどき桃のようで、ときどき林檎のようだ。 桃のときは柔らかく、私の耳に入り来ると、口内に迸る果汁と満ち溢れる芳香を思い起こさせる。 林檎のときは歯応えがあり、シャクリと噛み砕く楽しさと、飲み込みがたい気難しさを併せ持つ。 そしてどちらも優しさと美味がある。

          彼女の口から出る言葉はときどき桃のようで、ときどき林檎のようだ。 桃のときは柔らかく、私の耳に入り来ると、口内に迸る果汁と満ち溢れる芳香を思い起こさせる。 林檎のときは歯応えがあり、シャクリと噛み砕く楽しさと、飲み込みがたい気難しさを併せ持つ。 そしてどちらも優しさと美味がある。

          美容師というのは、最も生身の人間に触れ合う芸術家だ。

          美容師というのは、最も生身の人間に触れ合う芸術家だ。

          人間の人生は、神を知る喜びを知るためにある。創造の追体験をしながら、神を知るということに喜びを見出しながら生きていくというのが、本来的な人間の人生である。

          人間の人生は、神を知る喜びを知るためにある。創造の追体験をしながら、神を知るということに喜びを見出しながら生きていくというのが、本来的な人間の人生である。

          神の秤

           頑張っても頑張っても報われない、そんな時。せめても人にはこの頑張りようを認めてほしくなって、大声で叫びたくなることがある。時々ある。けれども、その度に考えるのだ。 「人に認められたところで何になる?」「神に認められるのならばそれで十分」  それでも人の目を気にして、「いえいえ、私は頑張っているのよ。今ひとつ、ちょっとばかし報われていないけれどもね」なんて言い張って、見栄のようなものを張ろうとしてしまう。  人間の高慢、プライドというものはまったくくだらなくて、いい加減で

          『人生』に多くを望むことは

           人生には辛い時期と幸せな時期とがあるものだけれど、多くの人にとって、それはきっと辛い時期の方が多いのじゃないかしら。あるいは、辛い思い出の持つ質量というものは、その時期の長短に関わらず、莫大なものとなるのじゃないかしら。  だから、人生に多くの幸せや、多くの良いものを望むことは酷なことであって、私たちは適切、適度を知るべきでしょう。  そして、その適切、適度な良い幸せなものこそが、私たちにとって最大の宝となり、どのような辛い時期にあっても人生の根底を支える強靭な土台となる

          『人生』に多くを望むことは

          朗読ダイエットという最適解

           昨年12月28日、村の図書館で『朗読ダイエット』という私の需要にピッタリというか、もうピーーーーッチリとマッチするタイトルの本を見つけてしまった。  やるしかない。やるっきゃない!やんなきゃ後悔するやつだ!!  私はこれ以上太るわけにはいかぬのです。  私はこれ以上結実のない生活を続けてはいけぬのです。  というわけで、今年は大好きな朗読道を今まで以上に歩みつつ、結果ダイエットまで出来ちゃったヨ☆(キラッ)といった感じを目指していきたい所存です。  経過をまとめつつ

          朗読ダイエットという最適解

          神とニーチェとニヒリズムな現代

          「ニヒリズムってなんだっけ?」  今日の気づきは、そんな一つの疑問から生まれはじめた。 ニーチェとニヒリズムな現代  上の引用元の書籍はまだわずか十数頁ほどしか読んでいない。しかし私は、すでにこの序章内の一節でがっしりと心を掴まれた。  ニヒリズムとはなんであるか?端的に答えれば、日本語に訳して「虚無主義」と言う。その中身について理解しようとすれば、Wikipediaを参照すれば分かる程度のことであっても、私には少々難しかったというのが正直なところだ。  それでも、自分な

          神とニーチェとニヒリズムな現代

          さようなら。 すべてをわすれて、私は明日へ行きます。 永遠に、 ふたたびまみえることのない今日よ、 さようなら。

          さようなら。 すべてをわすれて、私は明日へ行きます。 永遠に、 ふたたびまみえることのない今日よ、 さようなら。

          キムチねこまんま、うまうま。 結構イケる。

          キムチねこまんま、うまうま。 結構イケる。