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晩節ぐらい汚せ

自分が特別な役職に就いたからと、その退任間際で失態をするとその全てがパーになると思い込んで強権を持ちながら当たり障りない判断しかせずに辞めていくおっさんとかは多いと思います。ヘッダ画像をお借りしています。ヘッダ画像をお借りした理由については本ページ最下段で述べていますので、お気になる方は御覧ください。特に、利用について何か外部で述べてくださろうとする前に一読してほしい。

そもそも特別な役職が何のためにあるのかといえば、その役職でしか使い得ない強権が存在するからだ。強権とは強い権限であるがゆえに、多くの人々や小規模かも知れないけどその集団に何らかの巨大な影響を及ぼしうるだろう。

そして当該集団だけではその強権が振り下ろし得ないため、仕方なく消極的に特別な役職を設置する。つまり当該役職とは強権を振り下ろすための手段でしか無いのだ。

しかしながら、世にはびこるおっさんの中には当該役職に就くことこそを目的とするような者がいる。おっさんと呼ばれるような齢になるまでそんな簡単なことにも気づけない人々であり、悲しく情けない。

そのようなおっさんたちは、晩節つまり当該役職の任期が切れる直前になると、急にひより始めることがあります。まるで余計なことをして自己の人気を下げる方向には絶対にコントロールしないぞというような固い意志を発揮し始めるのだ。

この状態になると、せっかく適切な状況で他の誰にも振り下ろせない強権を持っているのに、それを振るうという判断を絶対にしなくなる。なあなあで残りの任期を過ごすのだ。

つまりその役職ならではの行為を役職自らがごみ箱に捨てており、当該役職に就いたなんらの意味も持ち合わせなかった状況を自ら生み出しているだけでしかない。むしろ自分で自分の晩節を「何でもできるくせに何もしなかった、単なる傍観で終わった」という形で汚しているのだ。

これは完全に「最初から最後まで何事もなく当該役職の任期を終わらせる」ことが目的となっており、当人にとっては当該役職に就いた時点で目的が達成されてしまったのだと言える。残りの任期はおまけだ。必要な権力を振るい、人々を幸せにしようなどとは微塵も考えないわけだ。

もしかしたら現代において批判はあるかも知れないけど、後世から見られたら必要な判断だとされることなんていくらでもあるはずだ。そのような役職になれる生き物なんだったら、それぐらい見抜けないとならない。

現在の自分への評価を一定に保つためだけに当たり障りのないことしかしないなら、そこに座っている意味はないだろう。

それなのに刹那的な快楽、つまり自分が与えられた役職の任期を平穏無事に終わらせることだけが目的となれば、後世のことなんて微塵も考えられてないのと同義だ。

そのような役職に就いたんなら、平穏無事な人生が送れるなどとはゆめゆめ思わないことだ。それが嫌ならオファーを断ったらどうだろう。「晩節こそ汚そうという意気込み」すらないのであれば、その役職に就いた意味は遡及して(初めへさかのぼって)徹頭徹尾なくなった。あなたじゃなくても良かったですね、いた意味なかったですね。その在職年数、誰にとっても無駄な時間でしたね。

今さえ良ければいいというようなこの考え方からは、セクハラやパワハラを生み出すための肥沃な土壌を生成するための要件を大いに満たしているとさえ言えるのではないだろうか?

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ヘッダ画像を借りる行為について。

またヘッダ画像をお借りする機能が当SNS内に存在しているからこちらとしては使っているだけでして、わざわざ外部で礼辞いただく必要はありません。ぼくは少なくとも本日、本ページのみについては何の承認欲求もなく書いています。「わざわざお外でお礼言ってもらってあわよくばこのnoteを広めたい」みたいな売名感は微塵も持ち合わせていないので、そのようにしていただいても必要以上にぼくが恐縮するのみであると表明させていただきます。

例えば、ブロックした相手の写真とかがみんなのフォトギャラリーには絶対に表示されなくなる機能があればぼくは喜んで使うのに、その程度のごくごく簡単な機能・ユーザのSNS内における基本的人権とも呼べるような機能すらnote社のエンジニアは設置できないらしい。同じような画像ばかり投稿しているフォトギャララーがいたとして、彼らを検索から除外してはならないらしい。

上記が改善されない限り、ここは非常に差別感のあるSNSであり続けると思う。ピース・オブ・ケイク時の失態から何も学べてはいないし変わってもいないのだ。

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