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キートン山田さんの「ちびまる子ちゃん」ナレーター生活終わりを受けて

サザエ氏と並んで日本の週最終日(月曜日が週初という考え方に基づく)をほのかに支えるアニメちびまる子ちゃんのナレーターであるキートン山田さん(以下省略させていただきます)が今日の放映を持ってそのお仕事を終えられたそうでした。

※あまり内容ばれはないようにしたつもりですが、このnote自体がある意味ばらしであると判断できる場合等はアニメ視聴前にはご覧にならないほうが良いかも知れません。

1990年の放送開始から今年で32年目となったフジテレビのアニメ『ちびまる子ちゃん』。
放送スタート当初からナレーションを務めてきたキートン山田が、3月28日(日)をもって番組を卒業、さらに声優業からも引退することが発表されていた。そんな中、キートン山田にとって、最後となる『ちびまる子ちゃん』の収録が行われた。
(フジテレビュー!!公式YouTubeチャンネルより引用)

年数にして32年間にも及ぶ期間ナレーターとしての役目を果たしてきた。今回のナレーター終了は声優という職の業の終わりでもあると決められていたようでした。

ナレーター終わり当日の物語制作について

発表されたのは去年の12月冒頭のようだった。

今回の卒業は、本人より申し出があったことを受け、決定した。新しいナレーターは、今後、制作スタッフでオーディションなどを行った上で決定する。
キートン山田は、2021年3月まで『ちびまる子ちゃん』のナレーションを務める予定で、2021年3月28日(日)18時からの放送で最後を飾る予定だ。

終わりの日まで決まっていたんですね。驚くべきは当日(今日ですが)の物語について……

後半へ続くという語はもはや代表的なものとして定着している。視聴層はそれを求めているんですね。

この言葉を言ってもらう、あるいは視聴者に聞いてもらうためだけに当日の話が前話、後話と分割されるまでの気の使われ方がされていたということに、なにかビジネスを越えた番組制作に対する感情、情緒みたいなものがうかがえるような気がします。

「ある春の一日」という題名は非常にシンプルであり、ユーザ側が「どのようにも受け取れる」という感覚、余地をわざと与えているように思えます。

アニメのような「物語」において、わざわざ春という季節を文で描写するということは、まず間違いなく卒業や入学、および季節花である桜が十中八九登場するということ。キー山氏のナレーション終了のことかも知れない、と思わせるには割と充分な効力があるのではないでしょうか。桜という舞台装置は、卒業という舞台背景との相乗効果が他に類を見ないほどのエクステンションを生み出すとぼくの独自研究においても述べられています。

物語ちびまる子ちゃんにおけるナレーションについて

漫画ちびまる子ちゃんにおけるキー山氏のナレーションであるとされる活字は吹き出しではなく背景に重なっている、いわゆる漫画の明朝体ではない字で書かれた部分だと理解していたし、実際そうだったとは思うんですが作者のさくらももこさん(以下敬称略)は「キー山氏寄りの文体」では決して書いていなかったと思っています。

あくまで神の視点を持てる作者固有の世界観で書かれていた。いわゆるキャラクターに思い入れが生じれば生じるほど、もしくは物語が続くとともに築き上げられるキャラクターたちの歴史が性格に反映され、「キャラクターたちが自由気ままに動き出すような状況」に活を入れる、同時に自己に対しても編集者的な客観的・俯瞰的視線から軌道修正をかけ、次ページからまたちびまる子然としたストーリーを紡いでいく義務が彼女の中にはおそらくあった。

さくらももこは勿論女のかたですが、キー山氏は男の人ですね。漫画におけるナレーションは間違いなく女の方目線でえがかれていたはずですが、それを人間の男の人が再現するという役割には何らかの壁があったとしてもおかしくないはず。

特にキー山さんの声は野太いと言いますか引き締まった上で発されるが、そこまでがちがちに徹頭徹尾男の声というジャンルともいえなさそうに受け取っています。言ってしまえばナレーション然として平坦さを保っており、感情は勿論抑えたまま大きな抑揚をつけず話せる女の方であれば、特に性別に拘る必要はなかったのではないかとも思える。

極端に述べてしまえば日本昔ばなしにおける市原悦子的アライメント(属性)とも言いかえることができ、上記特徴を満たしていれば、もしかすると他にも候補として挙げられる方がいたかもしれない。丹波哲郎とかも有りだったのではないでしょうか。いささかキー山氏よりも特徴がありすぎるようにも感じますが……とにかくさくらももこの心情を代弁するには的確なバイプレイヤーであったため、このような長期に渡って演じ続けることができた。

後記

ぼくは小さい頃に漫画のちびまる子ちゃんを読んでいたことがありましたが、印象的な話は7巻で子どもたちだけがなにか廃墟みたいな場所にいくというもの。

そこで主人公が建物内に置かれた物品を遺物かなにかのように受け取り、ネガティブな想像を同行者に話した処「もはや洋館ではなく難破船である」というナレーションが挿入され、ぼくはこの文が1番好きです。しかしながら今日の特殊仕様エンディング(キートン山田ナレーション集)には採用されていなかった。前後を踏まえないと全く意味のわからない台詞なので当然ですね。

また特別インタビューでも触れられていますが、

TARAKOさんのことをタラちゃんと呼び、今回の収録にあたってあるお願いをしたことなんかも明かされています。

四半期ごとのアニメなんかでは消費が一瞬で済まされてしまわざるを得ないことも有り、雑誌等各メディア媒体で声優さん同士のインタビューが頻繁におこなわれることも珍しくなく、そういった裏話が伝えられることも少なくないように思えます。こと長寿番組に置いてはそのような機会が得られることも少なく、畢竟舞台裏が「あまり望まれていない」ように理解されているような雰囲気を制作陣が感じて、表舞台に引っ張り出されないことも多いのかなと感じました。

あるいはあまりに熟練者たちの作業となっており、伝えようが無いのかも知れない。全ては勝手な想像であるため邪推でしかありませんので、全く広げたいつもりはありませんが、非常に興味深い話が聴けて良かった。

お読みくださりありがとうございました。


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