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性被害の上に成り立つ産業の色は何色だ

ぼくは以前カウアンオカモトについての文を書いて彼をなんとなく応援したが、また改めてインタビューを読む機会がありました。ヘッダ画像をお借りしています。

その後に最大限に受けた衝撃とは、「いいから『あたしたちの』消費財をその形を壊さぬまま消費させ続けろ」という意見が少なからずあったこと。

消費財を消費させろ、という言葉の意味がわからないと思うが、つまりジャニタレを応援させろってことです。アイドル事務所を解体するような「迷惑行為」など許さん、という。

ジャニおが子供をレイプしまくったのは犯罪なのに、そしてその事実が露見したから正当な罰則をジャニおが死んだ後の事務所は受けるべきが妥当だろうに、それが執行されたのであれば彼女ら(悲しいかな「彼ら」ではない気がする)は応援する対象が何らか動きが束縛されたり縮小の憂き目にあうかも知れない。なんなら消え去るかも知れない。それを阻止しようというのだ。

阻止とはつまり、「既に死んだ奴がやった少年レイプごときで今更ゴタゴタ抜かすな」ひいては、「人が金だして貢いでやってる対象、つまり人の生きがいを奪うな」という意思表示のことだろう。

昨今では、正義という単語が使いづらい。なぜなら正義を信じて、いや正義という建前でなにかをぶん殴り、正当防衛のように当然の報いだなどとしてストレス発散する層が非常に多いからだ。

しかしながら年上の……といいますか高齢の同性からレイプされ、ずっと黙らされていて、あんだか知らねえけどメディアも黙りこくっていたつまりレイプされた事実がなかったことにされながら生き続けなければならなかった人々が訴える正義みたいなものにはそれなりの正当性があろうものだが、上記「阻止層」とはそれらを一挙に黙殺・封殺しようとしている。言うなれば現状維持か。

翻ってぼくはできるだけここでは好きなことだけを書こうとしており今回のようなネガティブな内容を書くことは避けているつもりで書いてしまったのだが、ぼくは自分の好きな対象たちが―――もちろんそんなこと夢にも起こって欲しくはない―――何かしらで捕まってしまい、明日から見れなくなってしまった或いは永久にその姿を見ることが失われてしまったところで何も感じない。

それは何らの投資もしていなかったり、代替物がこの飽食の時代においては溢れかえっているからなのではないか?という指摘がされるかも知れない。或いはその一部について別にそこまで間違っていなくもないとは思うが、全く投資していないとは思わない上に、今までぼくが好きだとあげてきたものはそれぞれが唯一無二であり、世間がよくやるような同説だの被フォロー数だのの数字で比較できる内容ではない。逆にその世間たちが数字程度で「比較できてしまえる」のであれば、変わった感性なのでは、とすら思う。

ところが上記の、依存症とも言えそうな投資を行ったであろう―――そしてその投資額がいずれの値であろうがそのような口出しする権利はないと思うんだけど―――層は、代替など求める可能性を自分の中に見いだせないのだ。当該事務所が存続しなければ、死んでしまうのだろうか?当該事業場が存在しなければ、学業なり職の業なりの継続がかなわなくなるのだろうか?「待って」「ほんと無理」って感じなんだろうか。

そのためには正義……じゃなくて犯罪の被害を受けた人たちがいたとして、自分の何らかの快楽のためにであれば踏みにじってもOKな感じなんだろうか?

自分の大切なものが奪われるということは……自分がそれらを好きであり、大切にしているということをSNS上で表明して、承認欲求をブチ上げることができなくなるに等しいのだと仮定する。

つまりアイドルを消費財とする。承認欲求の起爆剤、燃料だ。アイドルとは原油みたいなものなのだ。あれば有象無象の承認欲求が開放され、そこらでまたUGCの実が開花してしまう。

奇しくも2日連続レイプ被害にあった人のことについて考えてしまったが、そのような性被害の上に成り立つ消費・産業とはどんな色をしているのだろうか。


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