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ジェームス小野田がバーチャルYouTuberの先駆者すぎる

サブスクのアルゴリズムがいかれて異様に米米クラブの歌がぼくに対して推薦されるので仕方なく聴いてたら(その時期RCサクセションとかNIRVANAばかり聴いてたからでしょうか?)、結果的に米米クラブに所属しているジェームス小野田という人を異常に好きになってしまった。ヘッダ画像をお借りしていますが、写真の方はジェームス小野田ではない。似てる人を選ばせて頂きました。

ジェームス小野田の魅力

その後いろいろなメディアでジェームス小野田の残滓を調べてると、山本リンダの歌をよくカヴァーしているとわかります。米米クラブとしてのジェームス小野田は仮装していることが多く、現役で好きだったファンの方々はおそらくその印象が強いのだと思われる。

公式PVで見られ得るのはどうしても米米クラブとしてのジェームス小野田である場合が多いけど、当時生命がなかったぼくでも彼をここまで好きになれるんだからこれはジェームス小野田の才覚・努力・実力なのだろうと思われる。

フロントマンがジェームス小野田ではなかった理由が知りたい。歌によってはジェームス小野田が歌うところがないのにTVに出させられていたというのだから、米米クラブは圧倒的かつ計り知れない機会損失をしていたと算出できそうだ。

それぐらいジェームス小野田は魅力的である。歌声がきちんと聴けなくても、前述の公式PVのひとつであるシェイクヒップではフロントマンよりもフロント的振る舞いをしていて、彼の振る舞いを上質に感じ取ることが可能だ。

シェイクヒップでのジェームス小野田はピエロのような、しかしながらがっつりピエロまではいかない薄い半ピエロ紳士然とした格好をしていて、何よりも東京スカパラダイスオーケストラがよくやるような歌のブレイキング部分でスキャットしていてめちゃくちゃ格好いい。まさにフロントマンではないジェームス小野田の全神経をそこに込めているようだ。

しかしながらPV全域に及ぶ演技においてもジェームス小野田の存在感は飛び抜けている。当時は女装していたメンバーも米米クラブ内にはいたらしく、それを知った上で観るとそういった驚きもあるけどぼくはジェームス小野田の輝きから目が離せなかった。ピエロの仮装を存分に活かした要所での笑顔は人を幸せにする。心からの笑顔かどうかはわからないが、その仮装をするならその笑顔は必要だね、というリザーブを100%届けている。

でもそれだけでなく、カメラを向けられて少し分不相応かというような、照れて恥ずかしがっているような小野田もシェイクヒップのpvでは見られる。これが演技なんだったら凄まじい。小野田はジェームス小野田としてではなく一人芝居を後年しまくってるらしいしそれは今でも続いてるみたいだけど、それもうなずける。

米米クラブは第一次解散時に、リスナーから最大の評価を得たらしい浪漫飛行を生放送で歌わなきゃいけなかったらしいが(多分フロントマンの演出だろうけど)浪漫飛行など歌わずにシェイクヒップを歌ったらしい。つまり浪漫飛行に比べてジェームス小野田のボーカルが聴ける機会は結果的に多かったわけだが、それでも小野田の担当はハーモニーとスキャットだけだということは最後までフロントマンの引き立て役に徹していたということになる。

まさに自分を偽り、何らかの目的を達そうとするピエロみたいに見える。

ぼくはこの構造を、自分の持ち味をある部分は引っ込めてある部分は激烈に押し出して表現するバーチャルYouTuberみたいだと思いました。当時からジェームス小野田はその文脈で生きていた。そして成功というロールモデルを得たが、当時は多分携帯も発達してなかったし、ひとりに1PCなんて想像もできなかった時代だろうし、それを踏まえると誰も真似なんてできなかった。後年ジェームス小野田の立ち振舞を参考にしたのは忍者りバンバンの人程度らしい。ジェームス小野田の生き様は、もう少し大衆に有効参照されるべき先人の知識であるように思える。

先に述べた女装ギタリストもそうだけど、ジェームス小野田の外見は非常に境界線が曖昧であることも共通点だ。バーチャルYouTuberは性別レスな人もめっぽう多いし、現代の個人情報リテラシーに照らし合わせてもいきなり性別を尋ねるって非常識になりつつある。

わけのわからない格好で周りの目を欺くジェームスの生き様はダイバーシティに勇気を与えたんじゃないだろうか。

余談:シェイクヒップのカバー

あと関係ないんだけど、倖田來未がシェイクヒップをカヴァーしている。何かを下げて何かを上げたいつもりはなく、2015年という比較的新しい年代に造られたカヴァーなのに面白みがない出来上がりで驚かされた。

これはぼくが倖田來未を嫌いとかじゃなくて、歌声とか踊りとかは多分求められた完璧を彼女は唄っていると思ってます。そしてハリウッド傘下……なのかどうか知りませんが、当時のアメリカのDIVAの文脈をそのままなぞったようなR&Bをくーちゃんが唄ったらかっこええやんねみたいな軽い気持ちで表現させるべくシェイクヒップをR&B調にしたんだろうけど、リズム隊が壊滅的なんです。終わってる。

ドラムが打ち込みなのはもう仕方ないと目をつぶるとしても、ベースがシンセの低音と同化しているといいいますか、R&Bの本質であるリズム・アンド・ブルースのリズム部分に全く寄与できていないレベルの存在感……といいますか率直に言うとぼくの判定だとこの歌にはベースがない。

ベースがない歌として成功している歌にごく近年リリースされたUNISONという歌がありますが、これはR&BではなくテクノポップとEDMの融合とか調和とかしたあとの最先端みたいな稀有すぎる例なので比べようがない。UNISONは2番のコーラス部分で初めてシンセが……シンセといいますかボーカルのコーラスがより多重になったことで和音という解をやっと得るため、初めてリスナーはそこで「ああ、この部分がEでここはC#mなのか(キーは適当です)」みたいに気づける程度であり、芸術性が高すぎる造りになっている。

奇しくもバーチャルYouTuberが唄っていて、書いたYunomiはバーチャルYouTuberの先駆者ともいえる人の歌の大部分も担当していて、そちらにはきちんとベースが入っているけど両者が同じジャンルとは思えないぐらいそれぞれの世界観が完成されている。特に以前も散々書いたかもしれないけどfuture baseに至っては徹頭徹尾同じコード進行の歌なんだけど、ぼくはこの歌が2018年の最強のEDMだと思うぐらい心に響きました。そして2021年最強のEDMはもちろんこのUNISONだ。

シェイクヒップのリリースは1986年頃らしい。それから2015年までこんなに集合知を蓄積できる期間があったのにどうしてこのようなアンサーになったんだか理由を知りたい。

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