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やれ魂とか慌てる余裕

日々もろきゅうを読んだ感想を書いています。ぼくがくはらかずゆきを気にかけてしまう理由として、彼が金髪のころインタビューで話した「人生はエピソード作り」だという言葉が印象に残っているからというのがありました。ヘッダ画像をお借りしています。

また、一度地元に帰ったのにちばうえのあべのために(というわけでも、それが全てでもないとは思うが)東京に戻ってきたという人生の凄まじさにもある。

最初の印象は最悪だったと思う。ぼくがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTという人々の足跡を知ろうとして見たタワーレコードかなにかの録画でかなりのひどい態度をとっていた。話が通じないレベルの人なのだろうと思ってしまった。

なぜでしょうか。それはちばも含めてだけど質問で、何かややこしいことを言ってくる人とかいないんですか?と聞かれて肩で風を切るようなちばがあり、くはらが「ガン無視よ」と言ったあたりにある。ただしこれはコンセプトCDの話だったと記憶しており、スピッツも勝手にポリドールかなにかにベストCDを出されたりしたことがありものすごい沈んでいたので、わからないでもないのだが……

しかしながら以降のくはらはそのような暴れん坊みたいなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTにおいて人格者を絵に書いたような人でしかなかった。とにかくステージを見ているわけです。ドラムという楽器の立場上、仕方ないのかも知れませんがとにかくちばが何をしたいのかを懸命に伺っており、自分のコーラスの出番じゃないのに叩きながら歌を歌っている。歌を覚えているわけです。出来上がったCDをきちんと聴いて、(それはもう昨日も触れたように以降で自分が演奏する歌をどんな時も聴き込んでいる姿勢からその通りではあるのだろうが)歌が自然に口ずさめるほどとなっている。

つまり破天荒……という単語はなにか手垢がついた感じがして使いたくないのだが、あまりにも歌を造るに対してストイック、一点特化型の三人を最年少にして支える親的な立場ですらあったのではないかと思ってしまう。

また同時に、解散以降birthdayとは音沙汰がなかったうえのも声を発した。

うえのといえば、フリーデビルジャムでくはらがボーカルを始めるといつも笑ってしまうベーシストだった。飲ませるとマジでだめだが、しらふのとき=TVで会話するのはうえのかくはらの役目だった。事前に決めていたのだろうか。能やんがうえの、お前が話すしかない、とか言ってたんだろうか……

大学の同級生を先生と呼ぶことはあまりないと思える。そしてまた、うえのはこのような真面目な言葉をあまり紡ぎたくはない性格だと思える。それを押してまで声を出したのはマジでガチだということだろう。

そして短文であることにファンの人々はいくらか淡白に思うかも知れないのだが、ごくごく好意的に見てしまうが以前からお互いのことを話していた、何らかの人を介して(ぼくが浅井のラジオから聴けたように)いろいろなことを知っていたから覚悟ができていた可能性があると思えた。

じゃなかったらいくらなんでも友達が逝ってしまったことに対して言葉をリリースするなんていう苦行ができるとは思えない。そんなことをたやすく人間ができてほしくないという思いもある。ぼくにはとてもできそうにはないから。

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