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ほめられたときに、ちゃんとほめられておくこと。

ほめ言葉を受け取るのをよく忘れる。

一番多いケースが「あなたは○○がすごいよね」といわれて、「いやいやその○○なんですけど、実は…」と、ほめ言葉にのっかる形で悩み相談をはじめてしまうことだ。

そういうときのそれは照れ隠しとは違って、これをやらなきゃいけないのにやってない、とか、これがネックで進まない、など、本気の相談になることが多い。たぶん私が「自分にあるもの」より「自分ないもの」のほうが、日頃から気になっているせいだと思う。

昔からなんとなくそういう自分を感じている。やったことに満足するより、ダメ出しをしがち。あることに安心するより、ないことに焦りがち。それで、ほめられたときに受け取るのも喜ぶのも忘れる。そうするとほめられたことそのものも忘れてしまう。勿体無いと思う。

悩み相談なんていつでもできるのになぁ。でもふいをついてほめられることはそんなに頻繁にあることじゃないし。少なくとも今欲しい、というときに偶然もらえるものでもない。

自信失いモードにはいったまま何もできないで今日も1日がおわりそうで「誰かにほめられたい」と思って、友達にほめてと頼んだことがあった。友達は「ど、どうした?」と戸惑いながらも、ほめてくれた。言葉一つ一つが心に染み込んできて嬉しかった。

そういえば、ほめ言葉って言った方は忘れても、言われた方は長いこと覚えていたりするけれど、あれは「私のことそう思ってくれてたんだ」ということを「事実」として知るからかもしれない。自分で自分をほめるのも大事だけれど、人からもらうほめ言葉はじわじわ後から効いてくる。

だから、ちゃんと受け取ろうと思っている。もし歩いているときなら、足を止めて。飲んでいるときなら、グラスをおいて。ありがとうでも嬉しいでも返事はどんなのでもいいから一呼吸おいて、もらった「ほめ言葉」をできるだけきちんと反芻するようにしている。

ほめられたときに、ちゃんとほめられておくことはとても大事だ。