見出し画像

「朝をたのしくする工夫」総集編(2023.8〜12月)

今年は朝を楽しみにして眠ること、朝からにんまりすることが多かった。

きっとそれは、「Quu&Fuu」から生まれた朝をたのしくするための数々の工夫を試して、その実感を「くーふーのふく音声」として届けてきたからだろう。

「くーふーのふく音声」を始めてからもうすぐ約5か月が経つ。
始める前と今を比べて、変わったこと、気が付いたことがいくつかある。
それは何だかとても大切なことのような気がしてならないので、今まで試した工夫を振り返りながらここに残していきたいと思う。

***

いちばんの驚きであり、おもしろかったのは、「どの工夫も、実際に試してみると、試す前には予想できなかった発見が必ずある」ことだ。
この、「必ず」というのがすごい。

思いきって白状すると、工夫を試す前は「楽しかった」「ワクワクした」以外の実感を届けられるだろうかと心配していた。

早速、その予想外の発見たちを振り返ってみよう。

目玉焼きの黄身に海苔で顔を作ってみるという楽しくなりそうな工夫を試したことがあった。
読者の皆さんも覚えているだろうか?
そう、名前は「きみまろ」だ。

 

「かわいい~ わたしも作ってみよ〜」くらいの軽い気持ちで作ってみたら、とっても癒されて、すぐさまとりこになった。
でも、それだけで終わりじゃなく、こんな発見までしてしまったのだ。

どんな形になるかは卵を割ってみないと分からないのと同じで、どんな一日になるかは始まってみないと分からない。卵を割る瞬間と、一日の始まりである朝はどこか似ているなあ。

 

ふ、深い…。自分で言うのもなんだけど。
まさか、目玉焼きに顔を作るだけでこんな発見があるとは1mmも予想していなかった。
もう気安く「きみまろ」なんて呼べないかもしれない。今後は「きみまろ先輩」と呼ぼう。

他にも…

朝ごはんに作品名をつけてみたら、「作品名をつけた朝ごはんのことは時間が経っても覚えている」という発見があって、一週間分の朝ごはんをすべて言えるようになったり。

 

朝からパフェを作ってみたら、朝からパフェを食べるというワクワクだけでなく、「好きな具材を好きなように重ねていく作業」に楽しさと気持ちよさがあることに気付いたり。

 


眠たい朝、思うように体が動かないことをどうにかできないかと音楽に合わせて支度をしてみたら、「眉毛をスムーズに描くのに適した曲」を発見したり。


夜ごはんの残りを使って朝ごはんを作ってみたら、今まで作ったことのないおいしい新メニューが次々と誕生したり。

夜のトマトスープの残りで作ったスクランブルエッグ


今までなぜか朝ごはんに「麺」の選択肢がなかったのだけれど、思いきって朝からそばとうどんを食べてみたら、「ごはんには、テンションの低いごはんと、テンションの高いごはんがある」という発見があったり。

 


5日間毎朝フルーツを食べてみたら、「フルーツはそのままで食べておいしいもの界で最優秀賞をとれる」という発見をしたり。

 

この発見たちは、知っていると得するような有益なものではないかもしれない。
でも、わたしにとっては、みんな聞いて聞いて!とすぐに伝えたくなるほどの大発見だったのだ。

どんな発見があるかは、やってみないと分からない。
未来の予想がつかないという意味で、朝の工夫を試しているときは冒険をしている気分だった。

***

日常生活でできる安心な冒険

朝の工夫を試している最中はもちろん、「明日の朝はこんな工夫を試してみよう」と考え始めたときからすでにワクワクしていた。
どうして、何を、そんなに楽しんでいたのだろう?

それはきっと、朝の工夫は「日常生活でできる安心な冒険」だからだ。

日常生活をおくっていると、「今の自分って、このままでいいのだろうか」と悩むことがある。
今年は特に、こうしたいという理想と、実際に自分がしていることとのズレが気になってモヤモヤすることが多かった。

この悩みモードに入ると、転職や引っ越しなど、何か大きなことを変えないといけない気がしてくる。
でも、人生を左右してしまうような大きな冒険には、足がすくんで踏み出せない。

そんな怖がりなわたしにも、いつも通りの朝をそのいつもから少し変えてみることはできた。
だって、もし工夫したことがうまくいかなくても、「まあいっか!」で済ませられるという安心感があるから。
それに次の日にまた、別の方法で試してみることだってできる。

反対に、自分にピタリとはまる工夫がみつかったときは、思わず鼻歌を歌いたくなるし、自分で自分にスタンディングオベーションをしたくなる。
「よ!いいぞ!」 「え?天才ですか?」と、何度自分で自分を調子にのらせたことか。

なにより、「こうしたい」という気持ちを純度100%のまま実行しているとき、心の風通しが良くなっている感覚すらあった。

そうやって楽しみながら「日常生活できる安心な冒険」を積み重ねていたら、いつのまにか朝に限らず、いろいろな場面でも工夫することが得意になってきた。

例えば、予想外の残業で、仕事から帰ってきたらしようとしていた計画が崩れてしまったときだってそう。
前までのわたしだったら、「あー、時間なくなちゃった」と落ち込んで不機嫌モードになっていた。
けれど、今のわたしは「目的もなくつい見続けてしまうスマホタイムを削ってみたら、けっこう時間つくれるんじゃない?」と、小さな工夫をとっさに思いつくようになったのだ。

そう考えると、「工夫する」というのは、選択肢を広げることなのかもしれない。

今のわたしは、「このままでいいのだろうか」と環境を変えようか悩んでいた5カ月前のあの頃と、仕事も住む場所も全く変わっていない。

けれど、前より「生活たのしみ上手」になった今のわたしなら「このままでも」「このままでなくても」きっと大丈夫な気がしている。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?