徒然なる自叙伝 3巻
(3580文字)
中学は、本当に最悪だった。
良い記憶がほとんどない。
まず、うちの中学校は岐阜県の中でも、警察にマークされてるような不良というか、治安が荒れている中学校だった。
2つの小学校が合わさって、その中学に入る感じで、別の小学校出身の面々との出会いや、
先輩後輩の上下関係がはじまって、これが本当に嫌だった。
まず、近所のレゴとかくれたり一緒に遊んでたお兄ちゃんは、
めちゃくちゃヤンチャになっていって、タバコ吸ったり、シンナー吸ったり、小学校からうちのおかんに、将来はパラリラパラリラになる〜とか言っていて、本当に暴走族の総長になっちゃったんだよね。
僕は、仲良かったから◯◯君とか話しかけてたんだけど、
教室の外に10人くらい授業に出ずに?たむろして、スケボーしたりヤンチャな怖目な先輩方がいて、
僕が馴れ馴れしいもんだから、教室まできて、生意気だとケリを入れられた。理不尽だよね?
構内にバイクが入ってきたり、
バクチクが投げ込まれたり、
先生の車はタバコとかツバとで汚されたり、教室の窓ガラスも割れたり、
数学の個性的な先生は、授業中なのに、先輩数人に連れてかれて授業が中断したり、
使用済みのコンドームがその辺から出てきたり。
小6の楽しかったところから、一氣に奈落の底に落とされた感じ。
あーあ。色々だりーわ。
僕は勉強はまぁ、そこそこはできて、中学では20番目くらいのテストの成績だった。
勉強は対して好きじゃないが、
親の刷り込み洗脳によって、
地元1番の高校の前を車で通る度に、
あんたは、ここの高校に行って、
いい大学に行って、いい会社に入って、それで一生安泰よ!的な、
世の中のクソ常識あるある洗脳を僕も受けちゃってましてね。
というか、20代後半までは
めちゃくちゃ洗脳強かった。
小学校の頃は、愛嬌があったのか、先生に基本的に好かれて、成績はめっちゃ良かった。テストは微妙なんだけど、成績は良いみたいな。
で、中2になると
一個下(僕の年子の弟もいる)の学年が、これまた一個上にも負けないくらい荒れてまして、
上も下も荒れていて
僕らの代はめちゃくちゃヤンチャな学年に挟まれて、もう居心地最悪ですよ。
一個下のやんちゃな子の兄?なのか親戚なのかよく分からないけど、筋金入りのやべー人がいて、
ナイフとか持ち出して大人も手を焼いてたような人がいて(後に、交通事故で死亡)
もうさ、勉強と部活に打ち込むしかないわけです。
ヤンチャがしたいわけではないし、悪い事したいわけじゃないけど、周りがそんなのがデフォルトなので、普通の感覚が悪よりには多少なるのだが、
僕は優等生とも不良とも
普通にバランスよく付き合ってた。
部活は野球部で、小学生よりはうまくなって小学生は補欠だったけど、中学校でレギュラーになれた。
外野で、打順も下位打線だけどね。何かが秀でてるわけではなく、まぁそれなりに足も早く、守備もでき、打つ時は打つみたいなパッとしない感じ。
投げるのがあんまり好きじゃなくて、コントロールが悪いんだよね。それが、けっこーコンプレックスだった。
あと、さぁこ〜いとか
色々な掛け声があるんだけど、
外野でボケーっとボールが来るのを待ってるあの感じがあんまり好きじゃなかったな〜
どっちかというと、連続的に動いてる競技がいいなというのと、球技はあんまり得意じゃないかも。
あと、チームスポーツより、個人スポーツがいいなと思って、高校ではボクシング部に入るわけです。
何故か生まれつき?なのか、
親父とのプロレス筋トレごっこで鍛えられたのか、(4の地固めを喰らってよく泣かされてた)
腕相撲が昔から強かった。
たまには負けたが、小学生の時は1番強かった。
そして、中学校でも負ける時もあったけど、1番強かった。プロの力士になった子やプロ野球選手になる子にも勝ってたりした。
青森のじーちゃんは、腕っぷしが強かったみたいだから、恩恵を受けたのかな。
中学の時に、毎日予定とか
その日の日記?みたいなことを書く、ノートがあって
3年間、毎日それはちゃんと書き続けていた。多分、今もだけど即興でその日思ったこと、感じたこと、考えたことなどを文字にするのは嫌いじゃないんだと思う。
これは、内省というか
自己との対話だと思う。
それが、昔から好きだし割と得意な方だったのかもしれない。
中学3年間、クラスが同じ女子がいて、一年の時はシャーペンの芯で背中を刺してきたりちょっかいだされて、うざかったんだけど、
中2でも中3でも同じグループになったりなんかして、
中3になる頃には、好きになっていた。卒業する前に後悔したくないから、告白したけど、フラれた。2年くらい引きずった。
男って、女々しいよね。僕もそんな引きずりたくなかったよ。でも、そんだけ好きだったんだろうね。
好きになるタイプが僕ではないだろうから、無理だろうなとは思っていたんだけどさ。
特にさ、その頃って
不良とか悪いやつがモテるわけさ。女性って、けっこう悪い男好きだと思うよ。
僕は、真面目に勉強も部活もやって、先生からは学級委員長になってくれと頼まれるようなタイプだったが、断った。めんどくさいから。グループの班長でいいっすって。
でも、勉強もスポーツもできてもさ、好きな子に振られて、辛い思いをするなんて、やってて意味あんの?って思った。
けっこう傷ついたんだよな
辛かったよな、浩史朗。
でも、勇氣を持ってよく伝えたよ。
僕が自分本位だったろうし、女心を分からなかったからだと思う。
分かったとしても、お互い両想いになれるかはわからないよね。
だいぶ戻るけど、今思い出して、
小1くらいの時に、すっごい悲しかったことがあって、
それは、僕が休みの日に川でけっこー大きな亀をつかまたんだよね。で、その亀を学校に連れて行って、みんなで世話しようってなことを思って連れていくわけ。
それで、名前を決めるんだけど
僕はガメラって名付けたかったんだけど、別の友達がつけた確かカメちゃんっていう名前が多数決で、採用されて、悔しくて泣いた。笑
まぁ、ガメラよりカメちゃんの方が可愛いよね。でも、自分が連れてきた亀なのに、自分の意見が採用されなくて悲しかったよね、こーしろー。
あ、あと小学校か中学の頃の話か忘れちゃったけど、
上履きを隠されたり、上履きにガビョウが入れられたことがあった、どっちも1回かなぁ。
うわ、これイジメじゃね?
と思ったけど、誰にやられたかはわかんない。きっと、僕のことを氣に食わなかった人がいるんだろうけど、面と向かって言ってほしいよね。まぁ、言えないからそういうことするわけだもんね。
一瞬、え?って思ったけど
僕は、「わ〜先生!俺の上履きにガビョウ入ってる〜」みたいに1人で抱え込むタイプじゃなかったので、全く問題なかった。
小学校の時に、お昼ご飯をグループをつくって食べる時があって、
内氣な僕はうまく輪に入っていけずに1人で食べてたことがあった。でも、声はかけてもらえなくて、
なんか混ざりたいなと思って、
一緒に食べようよって声をかけたら上手く混ざれた。
こういう些細なことなんだけど、
一つ一つの行為に勇氣を出してきたと思う。
あと、クラスメイトでお金持ちの家だったのか、いい服を着てる子がいて羨ましかった。僕は、オシャレにもすごく当時感心があって、
質のいいブランドの服を着ているのがうらやましかったけど、うちは買ってもらえなかった。いい服着たかったよね。
お小遣いが500円でそれを1年近く貯めて、近所のデパートにずっと飾ってあった、プーマのサッカー用?の服を買ったんだ。嬉しかったなぁ。
それを着て遊園地にいって、
一個上の女の子とちょっと怖目な自転車みたいなやつに乗ったのを覚えてる。
後日、知り合いのお兄ちゃんを通してその子からの手紙を渡されて、体育館裏に来て欲しいってことで、、
これってまさか告白?というやつかと思って、恥ずかしくて行けなかった。行ってたらどうなってたのかな〜
あとは、野球じゃなくてサッカーをやろうかも迷ってたんだよね。親父はサッカー上手くて、小学校の時に青森で優勝?したのかテレビで試合が放送された?みたいに言ってた氣がする。
そうそう、サッカーのリフティングも全然できなくて、コンプレックスだったんだけど、
今はできないことはできないで
できることで自分をいかす事を考えるし、苦手なもんは苦手でやんなくていいなと思う。
苦手だと思い込んでる事に
隠れてる才能もある氣もしてるから、そこはこれから掘っていくのを楽しみにしたい。
まぁ、ちょっと文章にするには恥ずかしい申し訳ない悪事も多少手をつけたのですが、
本当に出来心で、悪氣がなく
スリルやノリと勢いで楽しんでやってしまったことは、今更ですがごめなさい。
きっと、やらかしたツケは回ってくるんだろうなと思っています。
書いてるうちに思い出されることがあるので前後します
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