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徒然なる自叙伝 2巻

(3580文字)

中学3年生まで、狭目な家に住んでいた。2階が確か12畳か、もう若干広いくらいの部屋1室で、

そこで、ばーちゃん以外の家族5人と寝ていた。男3人分の学習机があったから、余計に狭かった。

僕は2段ベットの上で寝ていた。
今思えば割と宙に浮き氣味で寝てたってことか。

年子の弟とは、今でも関係性が良くない。小さな頃から喧嘩も多く、僕がやられることもあったが、だいたい喧嘩して向こうが「もう飛び降りて死ぬ」とか、すぐに命を粗末にする言動を取ろうとするから、余計にそれが悲しくて怒ってたなと。

小学校低学年の時に見た夢?
は僕にとって大きな出来事だった。詳細はこの記事の後半に。

3番目の弟は、知恵遅れ?と言われて、言葉を話すのがけっこう遅かった。1人の世界に入って、ずーっとひたすらに同じゲームばかりをやっていた。

今思うに、うちの家族は全員が、割と社会不適合タイプというか、

無理して寄せていってる感はあるなと思う。本来の自分からみんなが遠ざかってしまっている生き方をしているから、フラストレーションがたまって常にぶつかってしまったのではないかなと。

それぞれに過去のトラウマやら、自分が癒せていなかったり。

家族でどこかに仲良く出かけた楽しかった記憶があんまりないんだ。

いつも、どこかに出かける時は
険悪な雰囲気になりがちで、その空氣感がめちゃくちゃ嫌だった。

だから、僕はそれを感じてしまうから、毎回わざと明るく振る舞ったり、演じて氣を回りしていたんだろうな。子どもながらに、その辺は大人で無理していた氣がする。

ほんと、よく取り持ったよ浩史朗よ。

小学校4年生の時に、
今まで内向的で、人前でモジモジして話せなかった僕が変わる転機があった。

スポーツ少年団に入って、野球を始めたのだ。

小4までの僕は、ガリガリで
体重が27キロくらいだった。ポッキーみたいな足だねって女子に言われていたくらい。

野球とか全然好きじゃなかったのですが、近所のお兄ちゃんに入ったらカツ丼が食えるとそそのかされて、入ることに。

そしたら、全然カツ丼食べた記憶ないんだよね。笑
カツ丼もっと食べたかったよね。

僕は小さい時から食い意地がはっていた。親からは普段何も食べさせてないみたいやんと言われるくらい食べた。

家で焼肉なんかをやろうものなら、ご飯10杯くらい食べてた。

おやつにポテトチップスが出てくると、犬のエサばりに兄弟3人がむさぼりつき、ものの20秒くらいでなくなっていた。

どんだけ飢えてんのかというか、
行儀がなってないよな〜

僕は箸の使い方が苦手で、小6くらいまで訓練してた。

で、野球はやる氣ないのに渋々練習に参加するんだけど、他のみんなはそれなりにやりたくて入ってるし、

のちにプロになる子もいたりで、けっこうスパルタで体育会系だったんだよね。

その感じはいつも怖くて好きじゃなかった。ミスしたらどうしようみたいな、全然自信がなかった。

野球自体は、結局僕の場合は
やっぱり好きになれずに、中学3年生まではやったんだけど、

好きじゃないことを無理してやる癖が、親の顔色を伺ったり、野球を続けていたことだとかで、

いつしか癖になっちゃってきたのかな。好きでもないことを耐え忍んで、よくやったよ浩史朗。

ほんとはもっと夢中になれることに没頭させてあげたかったよ。

野球で、基本的な体力とか運動能力は鍛えられたし、
野球そのものよりも、みんなで集まってワイワイやるのが好きだとその時は思った。

一つ下の学年のみんなとの方が仲が良くて、SMAPの曲を替え歌で歌ったりして、みんなを笑わせてたのを覚えてるな〜

あとは、コンビニのおにぎりがすげー美味いと思ってた。今はそう思わないんだけど、あの時は親がつくってくれたおにぎりより、ジャンクなおにぎりの方が美味しく感じたんだ。

その辺りから、どんどん活発になっていき、人前でも堂々と話せるようになっていったみたいだ。

そう考えると、本来の自分はどっちなんだろう。

内向的で、精神世界に浸ってるような自分。そこから、開花して社交的に外交的になっていった自分。

本来の自分を偽って、フタをするようになっていったとも取れる。

どちらも、自分だけど
その2人の自分の振り幅はかなりある氣がする。

だから、人によっては同じ人か?と思うほどだと思う。
僕は今まで、別人になったかのような変化を周りが感じているのを何度も感じてきた。

それだけ生まれ変わってきたんだろうと、自分を変化させ続けてきたんだと思う。

本質的な変わらない部分はもちろんあるんだけど。

それだけ、自分を変化させて適応させていかないとやっていけなかったんだよね。

よくやったよ、凄いよ浩史朗。

また、それができるのが僕ということ。魚座の特徴でもあるかもしれない。

しいたけ占いがけっこー好きで、あの方はよく分かってる。魚座の特徴をよく捉えてる。

僕は太陽星座が、魚座で
月星座が、射手座

理想と現実のバランスが取れてる塩梅。魚座は12星座の最後で、1番目に見えない世界を司る。

僕は覚えてないんだけど、
小6くらいの時に、全校生徒の前で僕が話したらしい。

その時、野球で一緒の親御さんが来てて、

「あれは本当に浩史朗か?」
とうちの父に驚いて聞いたという。

それほど、モジモジしていた僕が別人のように、大勢の人の前で堂々と話していたからびっくりしたらしい。

小6くらいというのは、僕が1番楽しかったような記憶がある。

何をやっても楽しかった。笑っていた。箸が転がっても笑う的なやつだ。

男同士で、キンタマを狙ってキーンと手でやりにいくのにハマっていた。笑

授業中も、僕は挙手をしすぎて当ててもらえないという空氣の読めないやつだった。いや、読めてたけど読まなかった。

空氣が読めないか、読んでいないかは、同じようで大きく違う。

グループの班長を常にやっていた。ディベートとかの時間で意見を交わしたり、自分の意見を言うのか好きだった。

ああ、その頃からそんな感じだったな。給食では、早食いで1番だった。

お姉系のしょーちゃん(男子)がけっこー食べるの早くて、争っていたが、

僕は早く食べると花丸が何故かもらえて、しかもおかわりの権利が与えられるため、めちゃくちゃ早かった。

牛乳やら、プルーンやら
とにかく女子たちが残すといったものや、あげるというのは片っ端からもらってた。

フードロスのこととか、食事の質の事なんかは考えたこともなかったが、

お残しは許しませんで〜
(忍たま乱太郎)じゃないけど、
残すのはもったいない精神があって、出されたものを残すと言うことはほとんどなかった。

代謝力や筋肉が衰えてきた今でも、だいぶ減ったとはいえそれなりに食べるから全然痩せない。笑

そして、早食いの癖がついちゃって、よく噛まないから消化のエネルギー負担がでかいのもわかってる。

食べるってエネルギーいるから、食べられるのは元氣な証拠とか言われてたけど、確かにそんだけエネルギーあるから、必要としてるから?消費するのかもしれんね。燃費悪くね?笑

スーパーファミコンのファナルファンタジー6(FF6)にハマりまくって、
めちゃくちゃ感情移入してやっていた。

FFは、光の戦士たちが闇を倒して平和が訪れるというパターンのストーリー。

僕の名前の、浩史朗は
北斗の拳のケンシロウから名付けられているから、

ケンシロウも世紀末の救世主。

どちらも、混沌とした闇の世界を光の救世主が救うといったもの。
西洋的な二元論の価値観かもしれないけど、

小さい頃からどこかしら、この感覚は僕のベースにインストールされていったと思う。

だから、光の存在であれたらと常に願ってきたり、目指してきたし、

いわゆる、邪悪なものに対してやっつけたい氣持ちは根底あった。

ただ、今はその対立の精神構造をつくってしまうことそのものが、闇を生み出してしまうトリガーになる氣がしている。

つまり、光や正義を振りかざすこと、マウント取ることこそが、闇や悪を生み出すと言うこと。

光も闇もどちらかが存在しないと存在しないから。

僕は、年子の弟との関係性でそれを体感したかもしれない。

優しくて純粋すぎるあまりに、闇堕ちしてしまった。尖ってしまった。傷つかないために。たくさんの傷を負って、暴れ回ったから今更戻れない。

僕が優等生で、親にも先生にも褒められて、弟はその反動か逆へ振れて行った。それは、僕とは違う形で氣を引きたかった、愛情が欲しかったんだと思う。

それを僕は突き放してしまって、大事に向き合えなかったから、大きな溝をつくってしまったんだろうな。

ごめんな。未熟だったあまりに。寄り添ってあげられなかった。時間を巻き戻しても、きっと同じことだとは思う。

中学生にあがると今までの楽しかった小学校生活から一転して

悪夢のようなつまらない、味気ない生活が待っているとは思ってもいなかった。

いい思い出の記憶がない

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