08. 私の病気(本態性振戦)について
この前、ライターの佐藤友美さんこと、さとゆみさんがオンラインで開催していた【『エッセイの書き方』講座】を受講しました。
受講中はもう目から鱗の連続で、終始「わぁー」とか「なるほどー」とか、ひとりでつぶやきながら見てしまうほど、私にとって発見の多い講座でした。本当に、受講して良かった。
そこでさとゆみさんが、「新しい情報(経験)は、それだけで文章が成立する」と仰っていたのを聞いて、なんとなく今回は自分が持っている病気(?)について書いてみようと思います。
―――本態性振戦(ほんたいせいしんせん)
恐らく、多くの人にとって聞き馴染みのない病気(?)だと思います。
‟病気”のあとに、なぜ(?)とつけているかと言うと、私が医者から初めて診断を受けた時、「病気というより、体質ですね」。
そう言われたからです。
病気というより体質、と言われてしまうほど際どいこの病気。
具体的にどういう症状かというと、『身体の一部分が震える』といった、神経系の疾患です。私の場合、その症状は利き手である右手に強く出ていました。
この『手が震える』といった症状、本当に厄介で厄介で。特に子供の頃は、ものすごーーーーーくコンプレックスでした。
子供って純粋ですよね。だから真正面から聞かれるし言われるんですよ。
「楓花ちゃんはどうしてそんなに手が震えるの?」
「変なの」
「震えるから、字汚いよね」
などなど。
しかし、「どうしてそんなに手が震えるの?」と聞かれても、私にも分からなかったんです。
私が本態性振戦の診断を受けたのは、確か小学6年生の頃か、中学1年の頃。だからそれまで、私にもなぜ自分がこんなに手が震えるのか、まったく分かりませんでした。
しかもこの震え、自分ではどうしても制御ができないんです。
だから小学校低学年から高学年になるまで、原因も分からず、特に利き手である右手に強く症状が出ていた私は、日常生活で困る場面がたくさんありました。
字を書く、箸を持つ、針に糸を通すなどの細かい作業。その他いろいろ、とにかく「手を使うこと」の大半は震えの症状により上手くできず、困っていた記憶があります。特に一番厄介だったのは、精神的に緊張をすると、震えの症状がさらに強くなるということ。
子供の頃の私は、内向的で引っ込み思案な性格だったため、人前で緊張しやすいタイプでした。ただでさえ手が震えるのに、人前に出ると緊張をしてさらに震えの症状が強くなる。震えの症状が強くなると、周りから余計に注目を浴びて、笑われたりからかわれたりする。
そんな負のループのなかで、何をするにもどんどん消極的になっていきました。
そのなかで一番嫌だったのが、音楽の授業であるリコーダー。
箸を持ったり、えんぴつで文字を書いたりする時は、脇をしめたり左手を右手に添えたりと、なんとか震えを最小限に抑えようと、自分になりに工夫をしていたんです。だけど、リコーダーは両手を使うと同時に、脇をしめていたら満足に手を動かせなくなるので、震えを抑える手段がまったくありません。
しかもリコーダーとなると、みんなの前で発表をしたり、先生の前で披露をしたりと、とにかく人前に出なければならない瞬間の多い授業項目です。そうなると緊張も重なり、私の手はもうブルブルと震えが止まらくなりました。
そのため、みんなには笑われるは音楽の成績は低くなるはで、もうすべてが散々でした。
親に「病院に連れていってほしい」と頼んだことも何度かありました。しかし私の親は、私に対し理解がない人間だったため「気にしすぎだ」の一言で済まされ、ずっと病院にも連れていってもらえなかったんです。
自分でも制御できない震えが原因で、細かい作業が上手くできず、周りの人間には笑われる。そのような日々のなかで、子供の頃は夜眠る時に、布団の中でよく一人で泣いていました。
こんな腕いらない。切り落としてしまいたい。
何度も何度もそう思いました。それくらい、子供の頃の私にとって『手の震え』は辛いものでした。
幸い、手の震えが原因でいじめられるようなことはなかったです。
高学年になり、やっと連れていってもらえた病院で『本態性振戦』の診断を受けてからは、てんかんの患者さんがよく服用している薬(※ランドセン)を処方され、震えを最小限に抑えられるようにもなりました。完全に手の震えを止めることはできませんでしたが、震えが最小限に留まるようになったおかげで、この頃から気持ち的に、かなり救われるようにもなったんです。
それからというもの、私は手の震えをあまり気にしないようになりました。恐らく、薬の服用と同時に、付き合う人や環境が変化していくなかで、徐々に自分の性格も変わり、楽観的になったことも震えを気にしなくなった一つの要因なんだと思います。
しかし、そのなかで一番大きなきっかけとなったのは、‟できることの積み重ね”が増えたことでした。
手の震えが原因で、「あれも上手くできない、これも人と同じようにできない」と、特に思春期の頃、私は多くのことを諦めていました。
だけどいざやってみると、工夫をすればできることって意外と多かったんです。
たとえば、メイク。
私は今でも、肘を机についた状態じゃないと、アイラインを上手く引けないし、ビューラーもマスカラも満足にできません。しかし(少しお行儀は悪いですが)肘や手の一部をどこかで支えていれば、メイク全般苦なくできます。出勤時の私のメイク時間は7~8分程度です。
不器用がたたり、苦手ではあるものの、裁縫も普通にできますし、料理もできます。しかももう10年以上、薬は服用していません。
このnoteを見てくださっている方のなかには、私と会ったことがある人もいると思います。だけど、私の手の震えに気がついた人は、ほぼいないのではないでしょうか。
実は年齢を重ねるにつれ、薬を服用せずとも手の震えは目立たなくなっていきました。
恐らく、元々私の振戦が軽度だったことと、できなかったことができるようになったり、できることが増えていったりするなかで、気持ちの面が落ち着いたことが大きかったのだと思います。
何をやっても「できない」と、卑屈になっていた時期もありましたが、何でも‟やってみること”を諦めなかったおかげで、私は自身の最大のコンプレックスから解放されることができました。
また、私はいま本業で医療クラークの仕事をしていますが、担当をしている専門外来で、てんかんの患者さんと接する機会が多くあります。
もちろん、発作の症状があるてんかん患者さんの方が、私の病気よりも大変だろうということは十中八九理解しているつもりです。しかし、思春期真っ只中の子たちがてんかん発作の他に、「震えの症状による苦痛」を訴えているのを聞くと、その気持ちだけには痛いほど寄り添うことができます。
人と違うこと、人より上手くできないこと、日常生活の不便、困難、悩み。
何かしらの病気を抱えていると、それらとぶつかる瞬間は、人より多く訪れることでしょう。
よく、「障害(病気)は不便なだけであって、不幸ではない」と言いますよね。
もちろん、その言葉を否定する気持ちはまったくありません。だけど私は少し違う感情があり、「不便だから(気持ち的に)不幸を感じる」人も、少なからずいると思うんです。
この病気を持っているからこそ、汲み取れる他者の気持ちや、培ってきた経験や感情は多々あります。しかし私は綺麗事が好きではないので、「この手で良かった」や「この病気でよかった」とは微塵も思ったことがありませんし、今も思いません。普通の震えのない手と誰か交換してくれるというなら、喜んで飛びつくことでしょう。
だけど一時は「切り落としたい」と思ったほどの自分の手を、今はきちんと受け入れることができています。夜、ひとりで泣きながら眠っていた幼少期の自分には、「もう震えのことで悩んでいないから、大丈夫だよ」と言ってあげたいです。
病気そのものは治せなくても、工夫や挑戦によって、‟その病気を抱えている自分”に対する思いは変えられるのだと、私はそう思います。私自身、大人になった自分がこんなにも震えのことに悩まなくなるなんて、昔は考えもしませんでした。
‟コンプレックスの払拭”というより、ただ単に年齢を重ねて図太くなったからこその変化と言えば、それまでかもしれません。だけど病気であるにしてもないにしても、今、大きく悩んでいることは、少し時間が経てば大した悩みではなくなっているかもしれない。
そんな一筋の希望もあるんだよということを、自身の経験を元に添えて、ここに残しておこうと思います。
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