36. こんな人になりたい
ライターや作家としてではなく、ただただ人間として、「こんな人になりたいなぁ」と思う人が身近にいる。
A先生。
私が勤める病院の、同じ科にいる女医さんだ。
A先生はとにかく優しい。患者さんにも親切丁寧。同業の先生たちや、看護師、私たちクラークにまで分け隔てなく優しく接してくれる。
プライベートでは、フルマラソンを完走したり、ピアノを弾けたりと、とにかく多才なイメージである先生。おまけに外国人の患者さんが受診したときは、ペラペラと英語も話していた。
すごいなぁ。でもまぁお医者さんだしね。すごいのは当然よね、うんうん。と、A先生が優れているのは「医者だから」という理由付けを、私は勝手にしていたのだ。
つい先日、そんなA先生に多大なる迷惑をかけてしまう出来事が起こった。
この日、私は出張医であるG先生の診察に1日つく日だった。(こちらの先生も優しくて話しやすくて大好きである)
昼休憩のあと、診察室に戻るとA先生がやってきて「患者さんのことでG先生に話があるから、診察が終わったら自分(A先生)を呼んでほしい」と言われた。
お安い御用!と私はその頼みを受け入れ、午後の業務にあたっていた。しかし、自分のことは自分が一番よく分かっている。
こりゃ忘れる可能性があるな。そう思った私は付箋に「A先生」と書いて、自分の使っているパソコンにぺっと貼り付けた。何をどう頑張っても、常に視界に入る位置だ。これで一安心。絶対に忘れない。
しかし、目の前の風景が徐々に見慣れた景色へと化していくのが、人間というものであろう。(言い訳)
そう。診察が終わる頃には、パソコンに貼り付けた付箋なんて、もう私の視界には入っちゃいなかった。だけど頭の片隅に、昼休憩後の記憶は微かに残っていたのだ。
最後、G先生とわっはっはっ、うっふっふっと談笑している間も
なんか忘れてるなぁ~
そう、ずっと考えていた。
なんか忘れてるなぁ。
なんだっけなぁ。
でも、思い出せないってことは、そんな重要なことじゃないのかなぁ。
そう思いながら、私は診察を終え帰っていくG先生を笑顔で見送った。
ここで、これを読んでくださっている皆さんにお願いがある。
どうか私を責めないでほしい。自分のバカさ加減は自分が一番よく分かっている。十分に悲嘆に暮れている。そう、だからこれ以上私を責めてはいけない。(黙れ)
話を戻そう。
見てお分かりの通り、私はA先生からの伝言をG先生に見事に伝え忘れたのだ。
G先生が帰って数分後、A先生が診察室にやってきた。
「あれ?G先生帰っちゃった?」
……。
…………。
「……帰りました」
多分、私がA先生だったら、ここで私を蹴っ飛ばしていると思う。
すべての記憶が蘇った瞬間、全身から血の気が引き、身体がガタガタと震えだした。
「あわわわわ、ごめんなさいA先生。あわわわわ」
忘れたとは言わずもがな、あわあわとした様子の私を見て察したであろうA先生は
「あ、そうなんだ!まだいるかな?ちょっと医局も見てくるね!」
そう言って走り去ってしまった。
ああああやってしまった。目の前の付箋を引っぺがしつつ、私は項垂れた。時々、このようなしょーもないミスをする。それが私だ。
「G先生、やっぱりいなかったわー」
数分後、A先生はそう言って笑顔で私の前に現れた。
「ああああ、ごめんなさいA先生。あああああ」(デジャヴ)
数分前から何一つ成長していない私は、ただただあわあわすることしかできなかった。もはや救いようがない。
「大丈夫!気にしないで。ちょっと相談したいことがあっただけだから。あ、でも次にU先生が来るのいつだっけ?」
そう言って、A先生はカレンダーを見上げた。
このU先生というのも、これまた出張医の先生で、G先生と同じ専門外来を担当している。そしてこのU先生の診察も、私が担当でついているのだ。
「(ハッ!)U先生!来週来ます!(相談事は)間に合いますか……?」
するとA先生は
「あ!それなら間に合う、ありがとう。じゃあまた来週リベンジさせてください!」
そう言って、笑顔で去って行った。
お気づきいただけただろうか。
この一幕の間で、A先生は一言も私を責めなかった。500%私が悪いのにも関わらず、だ。
それどころか、恐らく私が本当に気にしないように、「リベンジ」という言葉を使ってくれたのだと思う。
本来なら私に対し「この役立たずがあああ!」くらい言っても良いはずだ。それくらいしょーもないミスを、私は犯した。
なんて良い人なんだろう。
そう思って、ハッとした。
A先生がすごいのも、優れているのも、「医者だから」ではない。ただただ人情味に溢れる、「人間性の高い人」だからだ。「人」として、気質や品格が備わっているのだ。英語を話せるのも、ピアノを弾けるのも、そして医者になれたのも、すべてA先生の努力の結果なのだ。
私は医者になれる頭はないし、マラソンだって走れない。ピアノを弾くこともできなければ、英語だって話すことができない。
だけど思った。走り去るA先生の背中を見ながら、「あぁ、こんな人になりたいな」と。
これから生きていくうえで、私は己の人間性を高めることはできるだろうか。A先生のようになれるかと考えた時、あまり自信がないのが本音である。
それでもせめて、私も他人のミスには寛容でありたい。そんなことを思い、手の中で付箋を握りしめた、そんな日であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?