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44. 続・クレイジーな客

 私は1年前まで、ビジネスホテルでホテルマンの仕事をしていた。
約8年、ホテルマンとして働いていたわけだが、8年も接客業をしていると、時にイレギュラーな出来事と巡り合う機会も多かったものだ。

その経験を綴った1作目が、こちらである。もし究極に暇だったら、時間潰し程度に読んでほしい。

この話がXのフォロワーさんや、ライター仲間に好評(?)だったため、今回は調子に乗って2作目を書くことにした。簡単に説明すると、ホテルマン時代に出会ったヤバ……ちょっと風変わりなお客様のエピソードを綴っちゃうZO★(キラッ☆)というコーナーである。それではいってみよう。

【ケース② 電気を知らない男】

 あれは、私が入社をして3~4年が経ったある日。

「わ!消えた!?」

ちょうどフロントに足を運んだタイミングで、チェックアウト業務をしていたスタッフが静かにそう叫んだ。
見ると、フロントに2台あるパソコンのモニター画面が、どちらも真っ暗になっている。ロビーで迎えを待つお客様たちも、心なしかザワついている様子だ。

朝、9時30分。停電が起こった。

明るい時間の停電だったこともあり、事の真相に気がつくまでに数分の時間を要した。どうやら、停電はホテル周辺の一角だけで起こっていたらしく、通りに出てちょっと遠くを見れば、道路にある信号機も通常通り動いていた。だからこの時、ホテルのロビーにいたお客様のなかで、停電に気がついていない人もいたのだ。

「すみません」

客室へ電話をしなきゃー!エレベーターも(閉じ込められている人がいないか)確認しなきゃー!と、他のスタッフと共にせかせか動いているなか、ロビーにいた一人の男性客に声をかけられた。
スーツに身を包んだその出で立ちからして、出張で来たサラリーマンだろう。彼はすでにチェックアウトを済ませ、ロビーでくつろいでいたうちの一人だった。

「コーヒーが飲みたいんですけど、自販機が動いてなくて」

すぐそばにある自動販売機に視線を向け、彼はそう言った。
こちとら結構慌ただしく動いていたつもりだが、どうやら彼は停電が起こったことにまだ気がついていないらしい。
そうか。それなら仕方があるまい……。と、この時はそう思った。

「申し訳ありません。今、この区域で停電が起こっているみたいでして」

謝罪を入れつつ、私は今の状況を丁寧に説明した。我ながら、ホテルマンとして完璧な対応である。
しかし、明らかに男性客の反応が変だった。ちょっと困ったような表情を見せた彼は、静かに口を開いてこう言ったのだ。

「それは分かってます」

―――それは分かってます?

予想もしていなかった返答に、私は一瞬固まった。そして、目の前にいる男性客とそのまま数秒、無言で見つめ合った。ロマンスは生まれない。

その時、フロントに置いてあるベルがチンッ!と、けたたましく鳴った。振り向くと、カウンターがもぬけの殻だ。チェックアウトを担当していたスタッフがどこかへ行ってしまったらしい。

とりあえず、男性客に「申し訳ありませんが、復旧をお待ちください」と頭を下げ、私はカウンターへ走った。この時、彼の表情は見ていない。

その後、別のスタッフが戻ってくるまで、私はカウンターで他のお客様たちの対応に追われていた。なかなか復旧しない停電に、他のスタッフたちも若干焦っているのを肌で感じていたその時。

「すみません」

またしても、先ほどの男性客に声をかけられた。なんだろう。彼のその表情から、僅かな苛立ちを感じる。

「コーヒーを飲みたいんですが、自販機はまだ動かないんですか?」


こいつ、どんだけコーヒー飲みたいねん。

正直、そう思った。しかし、私も大人だ。もしかすると、この男性客との間で認識の相違が生まれているのかもしれない。

そう思い、一から丁寧に説明をすることにした。

「今この周辺一帯で停電が起こっていまして、まだ復旧していないんです。もうしばらくお待ちいただけますか?」

なんて完璧な対応だろう。我ながら惚れ惚れしてしまう。

自分に陶酔していると、男性客は明らかに怪訝な表情で声を荒げた。

「だから!!それは分かってます!!自販機はいつ使えるのか聞いてるんです!!」


―――は?

どうやら彼は停電という状況は分かっているらしい。しかし、それに伴い自動販売機が動かないことは分かっていないらしい。

その瞬間、私は思った。理解した。
「あ、この人、電気知らないんだあ……」と。

もしくは、自動販売機が電力によって動いていることを知らないのかもしれない。(同じ意味である)

さて、どうしたものか。
男性は推定30代。スーツ姿で髪もきちんとセットされており、清潔感もある。そんな人に「あのぉ~、電気ってナニカ知ってますかぁ?」とほくそ笑んだところで、きっとブチ切れられるだけだろう。それに私も、大の大人にそんな質問はしたくない。

言葉を選ぶために黙っていると、男性はあからさまな溜め息をついた。
溜め息をつきたいのはこっちである。

 その後、なんやかんやで上司がやってきて、対応を変わってもらった。
どうやらこの男性客は上司にも「コーヒーが飲みたい!」と駄々をこねたらしく、物品庫に買い置きしてあった缶コーヒーをもらうことに成功したらしい。しかし、次は「(コーヒーが)ぬるい!」と文句を言っていた。

ようやく電気が復旧した頃、この男性客含めその日の宿泊客は全員無事にチェックアウトをしていったのだが、「ちゃんと対応しないと!」と、なぜか私が上司に怒られる結果となった。激しめに納得がいかない。

 今でも自動販売機を目にすると、時々この男性客のことを思い出す。あれから彼は、自動販売機が電力によって稼動していることを知ることはできただろうか。できていたらいいな、と思う。

自分にとっての常識は、誰かにとっての常識ではないのだということを、まざまざと感じた出来事だった。こうした経験を重ねて、私はまたひとつ、大人になっていくのだ。

【今日の独り言】
クレイジーな客シリーズは、当初【ケース③】まである予定だったが、このケース③はかなりうろ覚えのため、きちんと思い出した時にでもまた書こうと思ふ。

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