隣の家の少女を読んだ

隣の家の少女を読んだ。救いようが無かった。もうちょっとこう。。。あるだろう!!という気持ちになった。

この本は田舎の舞台に異分子である少女が来たら住民に殺された。という話である。(死ぬほど雑な説明)純粋故に残虐な心を持った地元の少年たちと、少女に異常なまでの執着心を持った少年たちの母親によって殺された。

この本は今まで読んだ本のように教訓とか、学びとかは特に無かったように感じた。ただ、描写の正確性から来る性描写、虐待描写は凄まじく、ただただ物語に入り込んで痛がったり、興奮したりしながら読んだ。



正直マジで本当に感想ない。思うところと言えば、「なぜ少女はあんな目にあったのか」という気持ちのみだが、それは感想ではなく考察だろう。それに答えなどなく、「そういう流れだったから」と答えるほかない。

流れを作った奴が偶然頭がおかしくて子供っぽかっただけだし、流れに乗った奴が子供だったからああなったんだと思う。

自分もよく朱に交わって赤くなるタイプだから怖くなった。
少年たちが少女をいじめるシーンには正直ワクワクして、次に少女はどんな反応をするのだろう!?とか、少年たちの母親のあまりに自信を持った素っ頓狂な発言に納得したり、冷静に考えると自分はかなり物語に入り込んで、奴らと同じ思考回路に陥ってたと思う。良かった、この場にいなくて。

この本を読んで、最低限の自分の芯みたいな、ここはダメだぞ!といあ倫理観を強く持たなければ知らず知らずのうちに取り返しのつかないことになってしまうのだろうと思った。

そして、その芯もまた、強すぎると身を滅ぼすんだなと、少女の生き様を見てそう思った。

隣の家の少女を読んで、「こう生きられたら良いなあ」みたいな今まで読んだ本で感じた人生の指標的な教訓は得られなかったが、自分の醜くも純真な嗜虐心が露わとなり、幼い時に無意味に虫を殺した時のような高揚感を思い出した。

この陰鬱な作品は、おそらくしばらく忘れることはない。ふとした時の感情の機微でただ思い出すと思う。というか今も思い出す。
それがうまく働くか、なんの影響を及ばさないのか、それとも悪影響を及ぼすのかはわからないが、いつまでも心に留め、何かあった時の気の持ちようとして心の中に持っていようと思う。

隣の家の少女を読んだ。何とも言えない喪失感と空虚感に満たされ、自分の忘れていた価値観を思い出した。子供の頃に戻ったような気持ちに、一瞬だけなった。



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