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子のNICU時代を振り返る。【育児】

我が家の双子は1000g未満で生まれた超低出生体重児で、医療的ケア児です。
今回はNICUでの入院生活について。私のメンタル的な話がほとんどですが。


※現在は退院して元気に生活しております。
でも、もしかしたら不安を煽っちゃうかも。
妊婦さんやママで読みたくない!と思ったら引き返してください。
もし同じ状況の人が少しでも共感して安心してもらえたら嬉しいです。


妊娠中~出産についてはこちらの記事で書いていますので、良かったらこちらも読んでみてください。


私が出産したのはちょうどコロナで緊急事態宣言が出ていた頃でした。
退院後の面会は1時間まで、など制限がありました。一番ひどいときには面会15分なんてこともありました。二人で15分なんで、もう顔見て看護師さんに様子聞いたら終了、という感じでした。
でも、完全に面会禁止の病院もあったようなので、まだマシな方だったと思う。

それでも毎日毎日、搾乳して(←文字にしたらまじで牛やなw)凍らせた母乳を持って面会に行っていました。
往復時間の方が全然長かった。
でも、私にできることはこれしかなかった。

いつもNICUに入る時は緊張。
状態が変わっているのではないか、装置や薬が増えているのではないか…色んな嫌な想像をしてしまいます。


そして、一番怖かったのが病院からの電話。

何度か深夜にかかってきたことがありました。

「呼吸がしんどくて、挿管して鎮静しています」
「状態が悪化しています、今から来れますか?」

深夜に車を走らせて行ってみると、機械に囲まれて眠る子ども。
声を掛けながら撫でることしかできない無力さ。
とっても苦しかった。でも一番苦しいのはもちろん子どもだから、苦しいなんて言えなくて。


多分ね、体力的には他のママより楽だったと思います。
搾乳しているとはいえ泣き声で起こされることもないし、産後の体での育児もない。自分のペースでご飯も食べられる。

でも、メンタルはボロボロでした。
早く産んでしまった、自分だけ先に退院してしまった、何もしてあげられることがない…
友達には出産報告もうまくできない、家族には気を遣わせる…

息子たちは10ヶ月間NICUにいたのですが、これは周りを見ても結構長いと思います。
なので、後から産まれた子たちがどんどん大きくなって、むちむちになって、ママと遊んだり授乳したり。そして先に退院していくんですよね。
「私たちにその未来はないのかもしれない。」そんな風に思いながら見ていました。


それでも感動することもたくさんありました。
先生や看護師さん、保育士さんや心理士さん、様々な人が関わってサポートしてくれて。
何より赤ちゃんの生きる力は本当にすごくて。
保育器やコットの狭い世界の中で一生懸命泣いて暴れて眠って。

先生が「NICUは戻ることのない故郷だと思っています」と言っていたことがありました。
もちろん、退院できた今だから言えることですけど。当時はそんなこと思う余裕もなかったけど。
そこにいた時間は確かにあって、そこで出会った人がいて。ただ治療していただけじゃなくて、生活していたんだな、と思います。

今、子どもたちは当時の自分たちの写真や動画を見て楽しんでいます。
これ誰?←自分やで。
赤ちゃんかわいいなあ←自分やで。
なんて言いながら。

(まだ感染症のいろいろがあって難しいみたいだけど)いつかNICUの見学をさせてあげたいなーと思っています。


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