見出し画像

猛暑とヒマワリと PENTAX Q7

台風が去った直後はそこそこ涼しかったが、またぞろ暑さがぶり返してきた。連日、34℃とか35℃とか言っている今日この頃である。

にもかかわらず、FUJI使いである娘の「台風で行けなかったヒマワリの撮影に行きたい」というリクエストで、「俺は猛暑の中、ヒマワリをじっくり撮影するような根性はないな」と思ったものの、家族サービスってことで行ってきた。もちろん、こっちのお供は、PENTAX Q7である。ごめんごめん、EOS。
それにしてもFUJI使いの人って、どーしてあんな重いカメラとかレンズとか持ち歩けるんだろう? 不思議だ………。

で、今回も主に、最近入手した「単焦点トイレンズ 04」を使ってみた。イマイチ、こいつの使いかたに悩んでいるんでね。

単焦点トイレンズ 04と骸骨のデッサンモデル

着いたのは森の中のハーブ園。大きなヒマワリは台風にやられたのか、こぶりなヒマワリたちが健気に咲いていた。

赤いヒマワリなのか? これは

娘を放牧し、日陰を選んで歩きながら、「単焦点トイレンズ 04」で撮影。最初はマニュアルモードだったが、そのうちにダラダラ汗を流しつつISOだの絞りだのをいじるのが面倒になり、オートモードに切り替え。この辺が俺の根性の限界だな。

睡蓮鉢
かろうじて残っている紫陽花
遠くを歩く人々

こうして撮ってみると、まあフワッとしたエッジに「懐かしいような味わいがないとも言えなくもない」のか?

で、ちょっと思ったのが、「写真の表現って何なんだろうね?」ってことだな。
目の前の事物の、(シャッター速度依存の)ある時間を切り取り、記録する、ある構図で。もちろん組み合わせとしてはほぼ無限にあり得るんで、「その選択が撮影者の自己表現」であり、加えて「現像(的)という行為での仕上げ」も表現の過程なのかな? あっ、もちろんレンズ問題もあるか。つまりカメラのハードとかレンズ、各種設定などなどは、自己表現のパラメタをどのようにして増やすか、ってことなのかね? で、「このフワッとしたエッジも、なんか良い」ってのは、撮影者の自己表現に合致しているってことなのか? まあ、たぶん芸術系とか哲学系のエライ人たちが議論済だろうが。

俺は絵を描くので、「一朝一夕には身につかず、日々研鑽し、サボると劣化するデッサン力」なんて大前提のスキルを必要としないカメラの表現ってのは、この段階を端折はしょれて楽ね、とか思っちゃったりするんだが、それは比較しても仕方ない「ラーメンと蕎麦」を比較するようなものなんだろうな。

それにしても秋が待ち遠しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?