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対談:どこでも住めるとしたら妄想

(登場人物 F:俺、A:安部ちゃん)

F:今回は、ちょっと目先を変えて、noteのパナソニックさん主催『どこでも住めるとしたら』企画に参加したいわけよ、この対談で。

A:えー、大丈夫っすか?また変なこと言ったり毒づいたりしません?

F:(笑)それは分かんないなあ。俺は自分をいちばん信用してないし。で、君は「どこでも住めるとしたら」どこに住みたい?

A:うーん、比較的温暖で、海とか山とかの自然が近く、魚が美味しくて、人との関係が密すぎず疎すぎない土地ですかねえ。

F:君、ほとんどそんな場所に住んでるじゃん。

A:いやあ、気候とか自然環境はそうかもしれませんけど、昔からの漁師町なんで、ちょっと隣近所との関係が濃すぎますねえ。

F:俺は今よりは田舎のほうに住みたいって思ってたけどね。こんな地方都市でも、俺にとっては人が多すぎるわ。

A:前にも言いましたけど、田舎を甘く見てますよ、それ。田舎の人間関係って本当に面倒くさいんですよ。街で人が若干多いほうがましなくらいに。

F:そんなもんかねえ。しかしさあ、君も俺も年取った親とか、女房子供がいるわけじゃん、実際。それ考えると、「俺、あそこに住むわ」なんて軽く移住とかできないよな。

A:その辺のシガラミとかはカッコに入れるのが前提の企画なんじゃないすか、これ。『としたら』なんで。

F:分かってるんだけどね、どーしてもこう、妄想にブレーキがかかっちゃうわけよ、俺なんか。良い齢だから突破力がなくなってきてんのかね?

A:まあ、その突破力がなくなった妄想で良いんで、どこに住みたいんですか?

F:そーねー、ある程度ひなびた温泉地が見えます。メインストリートはシャッター街ってほどまでは寂れていない。八百屋とか魚屋とかはきちんと残っている。小さな独立系スーパーもね。何とかモールなんてのは入ってきていない。雰囲気の良い喫茶店もある。ちょっと今風のカフェなんかがあるのも許そう。街を囲む山々からは、温泉の湯気が立ち昇っている。そんな土地で、通りから一段高くなった敷地に建つ昭和っぽいアパートに住んでるわけよ。

イメージです。もちろん。

A:誰がです?

F:もちろん、俺。

A:ブレーキどころか、妄想が暴走してませんか?

F:季節は初夏の夕暮れ時だな。俺は部屋に風を通すのに木枠の窓を開けて、そこに腰掛けて本なんか読んでいるわけだ。本はねえ、藤沢周平さんの隠し剣シリーズの文庫かな。山本周五郎まで行くと渋すぎるからね。で、その前の道を、つい最近顔見知りになった近所の女性が通りかかる。彼女は地元民が使う温泉からの帰りで、湿り気の残った後れ毛が真っ白な首筋に数本、張りついているわけだ。

イメージです。もちろん。

A:女性?………女房子供がねえ、って話はどうなったんですか?

F:良いんだよ、『としたら』論なんだから。で、俺たちは挨拶するわけだ。「今日はちょっと暑くなりましたねえ」ってね。そうだねえ、彼女の仕事は少し堅いタイピストだな。

A:タイピストって、昭和もかなりさかのぼりますね。小津っぽいというか。大体、温泉街にタイピストの需要ありますか?

F:この際、細かな整合性は置いとこう。で、そういう堅い女性だから、俺もまだ部屋に誘ったりはしませんよ。「暑気払いに、あとで『時代屋』でビールでも飲みませんか?」とだけ誘う。

A:時代屋?

F:アパートからさほど遠くない温泉街のはずれにあって、あんまり観光客とかが入ってこない喫茶店だな。夜はちょっとしたお酒も飲ませます。俺の若い頃、本当にこの名前の喫茶店があって良く行ってたよ。で、彼女は少し首を傾げて「もしかしたら、行くかもしれません」と微笑んで、去っていくのよ。この後、そうだなあ、俺は19時くらいに『時代屋』に行って、カウンターで冷えたピルスナーを飲んでいる。うーん、BGMが難しいねえ、温泉街でフォークソングじゃあ貧乏くさくなるんで、重すぎないジャズがボリューム抑え気味にかかっている。でも鬱陶しい親父が睨みを利かせてるジャズ喫茶なんかじゃないよ、ここは。

A:ちょこちょこ毒を吐き始めていますよ。

F:まあ、芸風だからね。で、「今晩はフラれたかな?」と思っていると、背後でカラン、と木の扉が開く音がする。………こんな所に俺は住みたいね。

A:あっ、『どこでも住めるとしたら』の話でしたね。なんか完全に欲望先行の妄想じゃないっすか?

F:(笑)失礼だな、君。この妄想の中では、俺は独身で、まだ若いの。仮定の話なんだから、良いでしょ?それくらい。それに彼女とは知り合いになったばかりで、何もありませんよ。こういう頃がいちばん楽しいんだよね。

A:『どこでも住めるとしたら』って、人間関係のセッティング込みで、どこでもない妄想の中に住みたいって感じになっちゃいましたね。

F:うん、妄想上等なんじゃない?『どこでも住めるとしたら』って話は、そうなるよね?実在のどこかの土地に「住みたい」って言ってたとしても、「そこで自分がどのように生き、何を経験し、どのように受け入れられるか?」なんて未知数、しょせん妄想でしかないわけだから。人間ってのは、その「妄想」に賭けて、『人生の楽園』的に移住したりするわけでしょ?

A:その理論だと、『どこでも住めるとしたら』って、VRの中でもOKになりません?

F:そうねえ、VRとか流行りのメタバースとかもありだけど、機械を頼る必要はないんじゃない?人間って小説とか単純なボードゲームとかでもじゅうぶん「体験」できるわけじゃん。結局は妄想力だと思うんだよね。妄想力さえあれば、「どこにでも住めます」ってことだよ。システムに頼らず、自分の「妄想力」をブンブンまわそう、かなあ。効率良くて、移動時間ゼロ、光速なんか軽くぶっちぎってるんだぜ。なんか浄土真宗みたいだけど。

A:また怒られそうな例えを………。

F:考えるとさあ、十数万年前に人類がアフリカ大陸から出て、こんな極東の果てまで来たのも妄想力なんじゃない?海に漕ぎ出しても、その先に陸地があるか否かなんて最初の人間には分からなかったんだから。「この先に何かあって、そこで良いことあるかも!」って妄想で動いたんだと思うのよ。

A:そりゃあまあねえ。………しかしこの流れで良いんですかね?『どこでも住めるとしたら』論として。なんかメタっぽい話になっちゃってますが。

F:良いんじゃない?まあ俺としてはひなびた温泉街に、付かず離れずな関係の彼女と空間を共有していたい。積極的に妄想を働かせば、今ここでも理想の住処はありってことだな。だいたいアフリカから極東に達するまでの途中途中でとどまった人々もいたわけで、彼らは「ここに楽園を実現できる!」って妄想したのかもしれない。人それぞれですよ。あっ、今思いついたけど、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も、結局、「どこでもないどこか」を妄想しまくる旅だったんじゃない?

A:また流れが変わったな………。どの辺がです?

F:あれってストーリー的にはちょっと変だと思うんだよね、マックスもフュリオサも「楽園に行こう!」って妄想して、あの砦から逃げ出すわけでしょ?なのに色々あった挙句、「あの砦を奪い取っちゃえ」って戻って行くわけじゃん。

A:まあ、結構、無駄足感ありましたね。

F:でしょ?結局、彼らは自分たちの妄想した楽園を、「今までいた場所に創り上げちゃえば良いんじゃん!」って戻っていく。なんかメーテルリンクの『青い鳥』っぽいよな。でも、戦いの末に砦を手に入れたフュリオサたちを置いて、マックス自身は去っていく。「楽園をここに作ろう」派と、「やっぱどこかにあるんじゃないか」派の別れだよな。男というジェンダーの煩悩って気もするが。

A:我々の年齢としては、フュリオサ派ですかねえ。

F:そうだろうねえ。皆で出て行っちゃうんじゃなく、その土地に居着いて共同体を支える大人ってのも一定数必要だから。俺たちはここにとどまるで良いんじゃない?それが若くもない年寄りの責任ってもんでしょう。でも妄想は自由にブンブンまわして、多少なりとも自分の生活空間をカスタマイズしながら。

A:それ、ちょっとした耄碌もうろくと区別がつきにくい気もしますがね。

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