シンとミズチの図像考①
今回の図像考はシンとミズチについてです。
手間暇の割にまったくキャッチーではない図像考シリーズ。
めげずに回を重ねていこうかと思います。
「シン!」だけでいくとだいぶとキャッチーなフレーズですがいかんせん。
今回は、前回のサイとカイバに引き続き、社寺彫刻でもマイナーどころのモチーフ「シン」・「ミズチ」。
たどるとこの方たちも興味深いんですよ。
TOP画像では龍のようにも見えますが、はたして龍の仲間でしょうか。
1回の投稿ではさらえきれず、今回は2回にわけて書いていきます。
蛤やら鰐やら飛び出して参りますが、ポイントは「吐き出すいきもの」。
たまに一息ついて天を仰ぎながらお付き合いください。
まずは社寺におけるこれらの図像のご紹介から。
1.「蜃」は貝、それから龍
シン、漢字では「蜃気楼」の「蜃」と書きます。
この霊獣(いわゆる想像上の生き物)は少々ややこしい形で日本に伝わってきたといわれます。
ためしに「蜃とは」などでちょっと調べて頂いたならば、すぐに出てくるのは「貝なの?龍なの?問題」です。
この論争を詳しく扱っているのはWikipediaの蜃気楼の頁でした。
(蜃や蛟の頁より詳しかったです)
結論から言いますと、日本には貝としての「蜃」と、
龍としての「蜃」、この2つが仲良く手をつないでやってきました。
「蜃」の発生源である中国でも「どっちやねん論争」はありまして
龍と決着がついたり、いや貝やでとなったり。
結局日本にもそのまま素直に2タイプきているようです。
龍でも貝でもぶれない「蜃」の設定は、
①蜃気楼の語源となった想像上の生き物
②その吐く気から楼閣を生じさせる
この2つの部分です。
この生き物が発明された流れは以下のとおり。
設定は共通しているものの、なぜか貝か龍かが明確になっていない。
しかしながら前回のサイ・カイバに比べると、
貝か龍かについてかなり論が尽くされているだけありがたいといいますか、
こういう細かい設定を捨て置けない人がたくさんいるのだなぁと和みます。
興味のある方はWikipediaの蜃気楼の頁をご覧ください。
それにしても、今でも見たらば不思議な「蜃気楼」という現象。
熱心な愛好家さんもいらっしゃるようで、Aランクの蜃気楼発生!や、日本蜃気楼協議会まであり非常に面白そうな世界です。
2.日本の社寺彫刻における”蜃”
貝か龍かの論争はさておき、日本でも「いけてるデザイン」として広まった「蜃」ですが、社寺彫刻においては圧倒的に龍型が多い。
対して貝型は工芸品に多く用いられています。
私調べでは龍型はおおよそ1600年代の半ば頃より社寺に出現し、
軒周りの装飾彫刻や境内の燈籠飾りに見られるようになります。
社寺彫刻の「蜃」は関東に多いですね。
おそらく徳川幕府による寛永寺・日光東照宮での多用が影響したと思われ。
西日本にもないわけではありませんが、見つけたら「お」と思ってOKかと。私も実際に修復現場でお目にかかったことはありません。
ちなみに貝型の「蜃」ですが、やはり貝の形状からか平面的な表現が適しているようで、以下のような感じです。工芸的なあしらいですね。
3.「蜃」の龍型と蛟竜の関係
龍と貝、すんなり「あら奇遇、おんなじ名前だね」で済めば良いのですが、社寺彫刻におけるシンの沼はここから始まります。
龍型の「蜃」
貝の蜃はまぁわかったけれど、龍型の蜃はどんな龍なの?と調べたらば、中国の「本草綱目」や辞典では以下の様に述べられています。
詳細が知りたい方は「本草綱目」「陸佃」を。
どちらにも「ヘビとキジから生まれる」設定があり、興味深いのです。
なぜこのつがいなのかはわからない。
「ヘビと鳥の交わり」という思想は「天と地が交わる・かつ、どちらも卵生だから説得力ありそう」だから?と推測してますがはたして。
そしてここで出てくる「蛟龍」。
こちらはどんな御方でしょうか。
蛟龍について
またまた本草綱目から抽出しますと、蛟龍とは以下のような龍です。
蜃との大きな違いは「ツノがない」・「気を吐かない」、この2点で
ウロコがあったりたてがみがあったりはどちらにも見られる特徴です。
ツノのない蛟竜の中に、ツノのある蜃がいるというだけでややこしい。
そして、加えてややこしいことに、
龍には特徴ごとに以下のような呼び名があります。
このあたり、ズバッと一本芯の通った基準がないためいまいち使いづらい。
今のところのなんとなくなイメージ図。
これで考えると、蛟竜は「鱗がある」ことが条件のようですので、
「鱗あり」という意味でシンは蛟竜の一種…なのでしょうか?
厳密に決まっていないことは承知の上で気になる気になる。
ツノのない龍が水を吐く
さて問題は、そんな龍の分類を横目に
日本の社寺彫刻には「水を吐いているツノのない龍」が存在するのです。
「あれ、吐いているのは蜃のチャームポイントだけども、蜃はツノのある人でしょ?」と思いますよね。
(いや、そんなこと思う方は少ない気はしますが)思いますよね。
「気や水を吐きだしている」時点で「蜃」認定してしまうので、
私も実際に仕事で巡り合ったとして
「いやこれツノがないから蜃じゃありませんよ」みたいなメンドクサイ人にはなりませんけどね。
でも気になる。
そしてまぁまぁいるんだなこれが。
このツノのない御仁たちの中でも、龍らしい人や、
いや、ちょっともう龍じゃないねという人がいます。
となると沼のポイントは2つです。
4.日本における”龍”と”ミズチ”
まず、「気や水を吐くツノのない龍は何なのか」
これを考えるためにおさえないと!なことは龍についてです。
中国における水の思想=龍の変遷
龍のルーツは古く、遡ればメソポタミアあたり。
人間が文明を築き出した頃から育まれてきた水の思想の1つともいえます。
すこぶるおもしろいのでまたそれだけでまとめを作りますが、今回は紙幅が足りませんので割愛。
中国でも龍は水を司る霊獣として姿を変えながら人々に根差していきます。
ヘビのようにしなやかな後漢以前の中国の龍。
紆余曲折あり、今日本に暮らす私たちがすんなりイメージする龍、いわゆる「三停九似説」の龍が後漢(25-220年)で登場。
そこからガチっと各部位の設定が決まります。
龍を描かないといけなくなったら、たいてい三停九似説をまずおさえる。
個人的にはそれ以前の龍が格好良くて学ぶところが多いですが
今の時代、万人共通の「龍」イメージはやはりこれなのです。
日本における水の思想
この、姿かたちの落ち着いた龍が日本へくるのは弥生末期です。
それまでの日本ではどのように水を考えていたのでしょう。
世界各地で「水」と「ヘビ」は切っても切れない関係。
ご多分に漏れず日本も古くからヘビが基底信仰として根付いていました。
地面を滑るように這う姿や、光る体。
そのあとを辿っていけば水源が見つけられ、生活に不可欠な水をもたらす水神としてのヘビ。
また水の力を畏れあがめ、日本ではそれを美豆知すなわち水の霊と呼びました。
ミズチは水の神、また水と関わりのある霊(モウリョウ)です。
決まった図像があるわけではないものの
やはりヘビの形で表されることが多く、
「ミズチ=霊力のあるヘビ」の認識が浸透していました。
(ただのヘビではなく、山や川の精が凝結してヘビの形をとっている)
そんなヘビ信仰が根付く土地に、
三停九似説以前のヘビの形を色濃く持つ龍がやってきたとき
ヘビと龍は影響しあい、中でも「ツノを持たない龍」は
容易くヘビと混じりあったのではないでしょうか。
(今でも試しにミズチと打ったらば「蛟」の字が変換に出てきます。
これに関しては「たまたまだから意味ないよ」という話もありますがちょっと気になるじゃないですか。)
気や水を吐くツノのない龍=ミズチ
ツノの有無で蜃と蛟龍を区別していた確証はありませんが、
通常は龍であればツノがあるように形作られます。1600年代なら尚のこと。
ツノなしは少なくとも三停九似の龍ではなく、
蛟竜や螭龍の表現と見ても良いかと思いますがどうでしょう。
また、蜃らしき彫刻には「気」でなく「水」を吐いているものがあります。
本来は「蜃気楼」であったはずが水となった背景には
「龍=水神」のイメージがあるように思えます。
そして「水神とはミズチ(水の霊)」です。
龍であればツノありが一般的な中で、
ツノなしは蛟龍や螭龍のイメージであり、
そしてそれはツノのない水神=ヘビ=ミズチのイメージともいえます。
ここに「水神=龍・ミズチ」
⇒「ツノのある蜃とツノのない蛟龍」の混ざりあいが生じ、
結果、ツノがあるはずの蜃の中に、ツノのないものが出てきたのではないでしょうか。
(一旦休憩)
さてさて、ツノのない龍で水を吐くのは「ミズチ」と呼んでも良いんじゃない、となったところで(軽い)
お次は「気や水を吐く龍じゃない生き物は何なのか」問題です。
ただいかんせん沼の中で息継ぎが難しいので一旦ここで一呼吸。
正直なところこの投稿、もう2か月くらいかかって云々しております。
頭の中ではできていても、文章にするって大変ですね。
そもそもが今回のお題である「シン・ミズチ」について考え出したのは
じゃじゃん、この子との出会いが発端です。(本題までが遠い)
明らかに龍ではない。
さすがにこの子をすんなり「ミズチ」と呼んで良いかわからない。
私の心の自由な辞書もページが上手く繰れません。
このお方を考える時、避けて通れなかったのが「マカラ」という思想です。
中国からの「蜃」と「龍」。それをうける日本の「ミズチ」。
それらの根源に関わる「マカラ」は中国よりも更に西方で出現しました。
調べれば調べるほど、マカラは深い沼です。
龍も大きな思想・発明ですが、
マカラは「世界の成り立ちを具現化する霊獣」。
西方に馴染みの少ない私はスケールの大きさにちょっとたじろぎます。
世界を呑み込み吐き出す霊獣マカラがどんな風に日本で生息しているのか。
蜃からミズチへと辿った「吐き出すいきもの」。
次回はマカラを絡めてお送り致します。
(マカラ絡めてこのまま書くとたぶん10,000字近くなりそうなので)
それでは最後まで読んで頂きありがとうございます。
(毎回このフレーズを使いますが、「図像考」シリーズは「最後まで読んで頂きありがとうございます」の想いが激しく溢れます)
また次回の投稿で。
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