見出し画像

一汁一菜でよいという提案にのっかっています

なんとなく投稿に間が空いている内に、
もう1月が終わるというじゃありませんか。

このままでは

「月イチ龍の話をしに来る人」

という、よくわからないキャラクターが定着しそうです。

これは本意ではない。
けして私はそのような人物ではない。

と、一念発起。
文明の利器・スマートなフォンでポチポチ打っています。
スマホさんにもだいぶ慣れてきました。

さて、とはいえ、
まとまった内容が起こせる感じでもない。
何を書こうかというところです。
意外と日々の中で「noteで書こう!」と盛り上がることは多いのですが、
「いつやるの?今でしょ!」になれないまま
ゆるりと自分の中で熟成するだけのなんと多いことか。

その中でもここ最近、
これはちょっと声を少しばかり大きくして、
イザ公衆の電波に乗っけてみたいと思う話題があります。
それが表題の「一汁一菜」


土井善晴『一汁一菜でよいという提案』


2021年発行、言わずとしれた大ベストセラー。
この本で救われた人多数!の恐るべき料理本(もう思想書)。

なんの気なしに手にとり読んだわけですが
土井先生の一言一句が研ぎ澄まされすぎてまして。

ハンナリ京言葉、かと思っていましたが

いやいや、居合抜きに立ち会うが心持ち。

ピンピンの言葉たちが整然と連なっています。


で、やってみています、一汁一菜。

うちの場合、正確には一汁一飯です。
朝昼晩ともお味噌汁、白米が土台にあり
そこになんやかやのご飯のお供、おかずがあったりなかったり。

本日のお昼。
お昼はスープジャーでお味噌汁持参スタイルになりました。



え、普通じゃん。

と仰る方もいらっしゃるでしょう。
そう、ここは日本国。
なんら奇抜な光景とは映りません。
しかしながら昨年末までお味噌汁、ほとんど飲まなかったんですねぇ…

朝はパン。
昼はお弁当のみ。
夜はなんやかやおかずメインとお酒。

一汁つくことがまぁなかった。


たまにつけると「やっぱり汁物は満足度高い」と思いつつ
味噌摂取をほとんどしていませんでした。


それが今や3食味噌汁付きである。
朝と昼は簡単味噌汁。
器にお味噌と柚子皮(冷凍してある)と乾燥わかめを入れてお湯を注ぐだけ。

出汁粉も途中から入れなくなりました。

それでいいのか。
それでえぇんです。

普通においしい。
(普通においしい、は土井先生公認の褒め言葉)



しかも折良く、味噌を戴いた。
長野の米みそと鹿児島の麦みそ。
また麦みそが美味しい。ものすごく美味しい。

こうなってくるともう体が一汁一菜を求めてきます。
外に働きに出ない日も、アトリエにやっぱり味噌汁を持参。
おかずがなくても、白米とお味噌汁。
そこに少し佃煮(お正月の出汁殻)やちりめん山椒(これも戴き物)。



充分である。
むしろ幸福である。


最近では「一汁一菜よい」のではなく
「一汁一菜よい」になってきているのである。



なんとなく落ち着きます。

これまでおかず中心に考えていた夕飯。
白米と味噌汁がど真ん中に降臨したことで圧倒的な平安が訪れました。

食事のベースが決まっているから楽というのもありますが、
こう、なんとなく、体が安心している感じ。
忙しなくないのです。

最初は「言うてその内あきるんではなかろうか」
脳裏を横切らないこともなかった。

しかし飽きない。
飽きるどころではなく、なにかこう、正道を邁進していっている感じです。

恐るべし、一汁一菜!




とまぁ、これが最近では1番声を大きくして言いたかったことです。

そんなん言うたかて、ボリュームが…
言うてお出汁とったり、なんやかんやと手間が…

まぁすべての答えが一冊にまとまっています。
びしびしと一分の隙もなく選び抜かれた言葉を読んだら
あとはやるだけです。

比較的、食に対しての欲求が薄い私がいそいそと取り上げる
一汁一菜でよいという提案。

静かな興奮と幸福に包まれた毎日を過ごしています。
今夜もご飯とお味噌汁が待っている!
ぼちぼちわが家の夕飯です。





おまけ

ついでにもう1つ「土井先生!」となったこと。
お米の炊き方です。
仰る通りに炊いたら美味しさアップでした。

①お米とぐ
②ザルにあける
③そのまま30〜40分おく(これが浸水)
④お釜に米と水を入れて炊飯器で早炊き

これまでは
「ザルにあけて15分、お釜の中で浸水10分、普通炊飯」でしたが
この工程で炊くと確かに美味しさアップでした。
恐るべし、土井先生!


結局のところ自宅でちびちび呑みながらPCで仕上げ。


この記事が参加している募集

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?