冬野由記(Fuyuno, Yuki)

標高と緯度の高いところを志向する風来坊。今は大きな淡水湖の畔に出没中。

冬野由記(Fuyuno, Yuki)

標高と緯度の高いところを志向する風来坊。今は大きな淡水湖の畔に出没中。

最近の記事

むかしがたり『さかいのひめ』

  《はじめに》  学生時代に、幸いにも吉田敦彦氏のもとで神話について学ぶ機会を得た。氏は論文などでご指導もいただいた恩師でもある。そして、氏の講座や演習でとりあげられたハイヌウェレやうりこひめの神話にはおおいに刺激を受けた。また、その後触れた赤坂憲雄氏の『異人論序説』をはじめとする「境」「周縁」に関する研究にもずいぶんと啓発された。そんな気分の中で、なかば勢いづいて編んだ小説が、以下の『さかいのひめ』である。ぼくなりに「さかい」というものを表現してみた。いかがなものであろ

    • むかしがたり『白い象の野原』

       私は子供のころに、この物語を祖父から聞いた。祖父もまた、この話を若いころにインドの山奥の小さな村で聞いたのだという。  祖父は冒険好きで、若いころはかなりの野心家でもあったので、戦争のころ――第二次世界大戦のことだが――中国奥地から遠くインドにまで旅をして、そこで大きな事業でも起こそうと考えていたらしい。  祖父は、インドの東、大きな川の上流近く、中国や東南アジアの国々と国境を接しているようなあたり――そこは、今でもインドや中国、バングラディシュ、ビルマ(ミャンマー)、少し

      • 祀りの夜

         玉音放送はよく聴きとれた。  今考えると不思議な気もする。  総勢数十名の隊員が、かつて教員室だった広い部屋で聴いた。  そこは、かつて小学校だったものを軍が借り上げた兵舎だった。  ラジオの性能もよくなかったはずだし、兵舎の立地から言っても電波事情は悪かったはずだ。  だが、よく聴きとれた。よくわかった。  なぜか、格別な感動とか、衝撃とかはなかった。  放送の後で部隊長が説明をしたが、要は、戦争は終わったのだと言った。  部隊長の説明など要らないほど、ぼくらは戦争が終わ

      むかしがたり『さかいのひめ』