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夫の人生初めての転職

前々から記事に書いてきた通り、私個人のこの2021年は厄年のためか色々散々です。(厄払いはしたのでこれでも緩和されてるのかもしれませんが)

年始から、退職やそれに伴うゴタゴタや、ちょっとは休んで今後のことを長いスパンで考えたいのに、保育園退園の脅しからの求職活動、仕方なく就いたブラックバイトでまたしても退職に伴うゴタゴタ…

特に辛かったのは、行きたくもないハロワで、どんなに探しても最低賃金のしたくもない仕事しかない中、それでも探し出さなければいけないという物凄い焦りの渦中にいた時です。

とにかく必死で、血眼になって探して探して探しまくって、ネットの求人も見ても、残念ながら少しでも興味のある仕事はほぼ「未経験者は35歳まで」と、年齢で足切りされるものばかり…
焦りを後押しするかのように、私の収入がなくなったことで貯金が目減りしていき、実生活の不安も増していく… 夫は手取り14万… ん?

そこでふと気付きました。夫は高卒から10年以上も務めてそれなりに責任も増えてきたのに、基本給1円も上がらないっておかしくね?と。

でも、これが地方の現実なんです。夫なんかまだマシな方。危険な肉体労働者でも、月90時間くらい残業して手取り20万を超えるくらいで、それがなければ手取り11〜2万なんて会社ザラにあります。
(だから皆、公務員を羨ましがる。旧態依然の体質で嫌な思いもいっぱいしてきたし、都会の大企業に比べたら給料だって全然大したことないけど、それでも地方の中ではマシだから。)

でもよく求人を見返すと、夫の年齢なら、私が足切りされる仕事にも応募できる。少なくとも今よりは条件も給料も良くなるものもある。じゃあ、まず生活費問題に関しては、私1人が重責を抱え込むより、夫が転職した方が話早いんじゃない? ということに気が付きました。

そんなとき、地方ではあり得ないような高待遇の求人が出ていて、しかも夫の経験を生かせるような感じだったので、すぐさま「これいいんじゃない?」と勧めました。そこから私も添削などサポートし、なんとか履歴書を完成させて応募すると、、英文のメールが返って来て2人でびっくり。外資の「が」の字も知らないまま、そんな企業に応募していたのでした。偏差値45の高卒の夫は特にビビったのか、少なくとも大学受験英語までならなんとかなる私に心理的に縋っているようにも見えました。でも私も初めて聞く業界単語に慌てふためき、かえって足を引っ張ったりしながらも、夫はリモート面接を何度も受け、、、なんと有難いことに奇跡的に内定を頂けたのです。
ところが、「今の職場が繁忙期だから…」という理由で入社時期を延ばそうとする夫。どれだけ骨の髄まで社畜なんだよ、というより、これまで長らく一緒に働いてきた仲間の負担を考えると、自分だけ今抜ける訳にはいかない、という義理人情のようでした。しかし転職先企業の方も早めの入社を希望しており、後ろ髪をひかれつつも転職を決意した夫なのでした。
ちなみに、私のように立つ鳥跡を濁しまくりの退職とは全く違い、夫は有給も取らずに(40日近く残してドブに捨てた)、転職先入社日直前まで働いていました。
こちら(家族)側からしたら、一円の得にもならないのに出社されて、その間は家事も育児も全部私の負担で。もし有休消化してくれたなら、どんなにか楽だったろう、と思う所もあったけど、夫が世話になってきた先輩には私も凄く感謝しているので、円満退社を陰で支えることにしました。

そんなこんなで無事転職すると、次の月から手取りが倍以上になりました。これには本人もびっくり。外資って凄いね… 関連の事業や企業をどんどん引っ張って進出してきてもらえれば、地方の経済も少しは活性化するかもしれない。

何にせよ、この転職のおかげで、確かに共働きのときより世帯年収は減ったものの、贅沢する訳でもなし、充分な生活費は確保できそうになったことで大分安堵したのでした。。

しかしその代わり、夫は年を跨ぐほど長期の海外研修に行くことになりました。生まれた時からパパにべったりでママ嫌の、超パパっ子の娘が誰よりも寂しがることが今から想像できます。今までは泊まりがけがあっても1日か2日でしたが、それでも寂しがっていたのに。。たぶん、毎晩、「今日寝たら明日パパ帰ってくる?」と聞いてくることでしょう。。私はその度に、どう答え、どう慰めたら良いのかまだ分かりません。。

私も確かに寂しい。
でもそれ以上に、あの夫がここまでになるなんて想像もしていなかったから、、、

出会った頃は実家暮らしでぬくぬくしていて、ゲームばっかして向学心のカケラもない無気力で甘えた高卒DQNだったのに。
昔の大きな怪我で身体も強いわけじゃないくせにカッコつけで、男らしさを見せようとしてか洗濯機を無理して一人で背負ったりして、私のアパートから中古住宅に引っ越しして、、25歳の若さでパパになり、苦労して5kgも痩せたけど、めちゃくちゃ子煩悩で。家事育児も私以上にしてくれたけどそれだけが取り柄で。
家計の大黒柱は私だったけど、私が毎日辛くて愚痴ばかり言ってたら、生活が苦しくなるのは分かっていながら「辞めてもいいよ」と言ってくれ…

以前の記事で、少ない給料から宝くじに課金していたことに怒ってしまったと書いたけど、、
そのときはそのときの夫なりに、なんとか私たちを食べさせていかなきゃと、極めて僅かな可能性でもそのときできることに賭けていたんだろうな、と気付きました。そしてその思いは今と変わらないだろうことも。
それなのに責めてしまった自分の浅はかさを後悔すると共に、夫がその思いを現実的に実現できるまでになれたことが何より嬉しかった。
一生懸命、英語を翻訳しながら、本社のエリートな人達相手にメールを打って、今までロクにしてこなかった慣れない勉強を必死にしている。そしてこれから大変な海外の研修に行こうとしている。
お金がどうこうじゃなくて、この変化が嬉しかった。
正直、期待なんてしていなかった。年上の私がどうにかしなければ、私が引っ張っていかなければ、と思っていた。
なのにもう私のことなんかいつの間にか追い越していた。

そのことが嬉しくて泣いた。涙が止まらなかった。

だから私は寂しくても耐えられる。


今年の私の苦労は、このためにあったのかもしれない。私が必死で仕事を探していなければ、あの求人を見つけることもできなかった。そう考えると、厄年もそこまで悪くない。


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