百合咲く川辺で、どうか笑って

「私、百合の花って好きじゃない」
 彼女がそう言ったのは、彼女の部屋でそうした……いわゆる恋人らしい雰囲気になり、どちらからともなく口づけを交わそうとした時のことだった。
 あとほんの少し、どちらかがふと吐く息の温度を感じられるような距離。
 そこで赤い唇から発せられた言葉は、ずいぶんな言葉だった。
「……どうして急にそんなこと言うのさ」
 このまま口づけをする気にはなれなくて、私は彼女の肩に置いていた手を離す。すると、彼女はそんな私を見て、くすくすと笑った。
「べつに無理矢理押し倒してくれてもよかったんだけど。だって、恋人同士隣り合ってベッドに座って、なんてこれ以上ないほどのシチュエーションなんだから」
 口ではそう言いながらも、彼女はベッドから身体を起こした。
 私と同じ高校の制服である黒のセーラー服も「面倒だから」という理由だけで短くしている私とは違う長い黒髪も「彼女のもの」と思うだけで、ひどく神聖なものに見えるから不思議だ。
「それはそうだけど、そんな気分じゃないの! なくなっちゃったの!」
 悔しくて、私は思わず近くにあったクッションを胸に抱き込む。
 もちろん彼女が言うように、これ以上ないほどのシチュエーションだということはわかっている。
 彼女から家に誘われた時から、正直期待はしていた。
 もちろん、そうしたことだけが目的ではないとは言え、そこは年頃の恋人同士、期待しない方が嘘になるというものだ。
 こんなことを言っては何かもしれないけれど、女の子にだって性欲はある。
 それはきっと同姓だとか異性だとか、そういうことではなくて、ただ好きな人とふれあいたい繋がりたいという、一種の独占欲のようなものだ。
 まして、彼女は同級生だけでなく、先輩や後輩からも人気が高く、どうして付き合えたのか未だに不思議で、夢ではないかと思うこともある。
 そうして私が「これは本当に現実なのか」を確認するたびに、彼女は呆れたように笑って、その整った化粧をしてなくても赤い唇で、私に愛をつむいでくれるのだ。
 彼女からの言葉を聞くだけで私は天にものぼるような気持ちで、とても幸せだった。
 それでも人間というのは欲深い生き物で、彼女の言葉だけでなく、彼女が欲しくてたまらなくなってしまったのだ。
 その欲望を聞いた彼女はそんな私に呆れることもなく、家に来ないかと誘ってくれた。
 そうして家にやってきた矢先の彼女の言葉に、さすがの私も落ち込むしかなかった。
 何でもないようなふりをしているが、実際のところ、ショックは大きい。
「どうして嫌いなのか、聞いてもいい?」
「だって綺麗だから」
「それが嫌いな理由? 好きな理由じゃなくて?」
「そうよ。それに香りもきつくて、どこにあってもわかるし、それに花粉も。一度服につくとなかなか取れなくて困るから」
「でも、なんだかいいよね。自分のだって、主張してるみたいで」
 私の言葉に彼女はきょとんとした顔を見せたと思うと、声をあげて笑い出した。
「ふふ、あなたは面白いことを言うのね」
「そ、そう?」
 こうして声を上げて笑う彼女はなかなか見ることができない。
 うっすら頬が赤くする彼女に、そういうことはまだしたことがないというのに、そういうことを思ってしまい、ドキドキする。
 そんなことを思う自分を恥じ、彼女から目を反らして自分の膝の上でぎゅっと握り締めたこぶしを見ていると、彼女の白い手がふれた。
「それで、あなたはしてくれないの。自分のだって、主張」
「……する」
 その言葉を聞いて、おとなしくしていられるわけもなく、私は彼女に抱きついた勢いのまま、彼女をベッドの上に押し倒していた。

 それが、一週間前の出来事だ。
 彼女は、自分の目の前で眠っている。
 しかし眠っているのはあたたかくやわらかな、彼女の香りに包まれたベッドではなく、固い棺の中だ。
 スピード違反の車が突っ込んできた不幸な事故だったと、そう聞いた。
 私は彼女が死んだことが信じられなかったが、それでも最期に彼女に会いに行かねばと。
 そう強く思ったのは、頭のどこかでこれを逃せば彼女に会えなくなるとわかっていたのだろう。
 同級生も先輩も後輩も、皆が彼女の突然の死を悲しんでいた。それでも、なぜか私は涙が出なかった。
 棺に花をおさめるようにうながされ、そこで私はようやく彼女の顔をまともに見ることができた。
 初めて共に過ごした日に見た安らかな寝顔がそこにはあった。
 花で埋め尽くされている彼女は昔読んだ絵本に出てくるお姫様のようだった。
「ねぇ、綺麗だよ、すごく」
 彼女にそう呟くが、彼女は何も答えない。
 当たり前だ。だって、もう死んでいるのだから。
 その答えが私の中からあふれ出し、私を揺さぶり叩きつけてくる。
 わかっている、そんなことはわかっている。
 だからこそ、私はここに来たのだ。
 私はずっと手にしていたそれを、彼女の寝顔の横に置いた。
 それはあの日彼女が嫌いだと言った、真っ白な百合の花だった。
 手に残ったその一輪を、彼女の耳元に挿す。
 皮肉な程に、彼女が嫌いだと言った花は、彼女によく似合っていた。
「嫌いだって言ってたから。嫌いなものなら、焼かれて、形がなくなったって覚えてるでしょう……ねぇ、ちゃんと覚えててよね」
 あの日、彼女がどんなつもりで私と同じ名前の花を嫌いだと、私に告白したのか。
 今となってはわからない。けれど、私は想い続けるだろう。
 私と同じ名前の花を嫌いだと言い、嫌いな花と同じ名前を持つ私を好きだと言った彼女のことを。
 ずっと、ずっと……。

 彼女を天へと送る煙は、百合の花のように白かった。

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