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北の旅人 2022蝦夷梅雨 炭鉄港を巡る②赤平

炭鉱ガイダンス施設

9時半に赤平市入り。
今回の目的地、赤平市炭鉱ガイダンス施設へ向かいます。


立杭櫓とガイダンス施設


赤平のシンボルである旧住友赤平炭鉱立杭櫓。
立杭櫓横に無料のガイダンス施設があり、施設の利用自体は無料。

ヘルメットを装着して内部へ

立杭櫓内部と隣の自走枠工場は、かつてこの炭鉱で働いていた方のガイドを聞きながら見学することができ、見ごたえたっぷりな時間を過ごしてきました。(90分,800円,写真撮影可)
ガイドは1日2回(10:00~,13:30~)行われていて、この日はは10人ほどの参加者がいましたが1人からでも実施してくれるというスゴさ…。
日本に数多く存在する旧炭鉱施設の中でも、立杭櫓の中に入れる場所はここだけとのことです。


下から見上げる立杭櫓


立杭櫓は人員や石炭を坑道へ運搬するエレベーターとしての施設。
地下からはかすかに硫黄の匂いが香ります。

トロッコの跡
エレベーターの巻き上げ機
巻き上げ機の操縦室から
多くの鉱員を乗せたエレベーター内はかなり狭く感じた

赤平だけでも山ごとに多くの炭鉱があったわけですが、ここは住友系の炭鉱跡。安全管理にはめっぽう厳しかったようで、1996年の閉山まで大きな事故は起きていないそうです。
「脱炭素」が求められる現代、身近な炭鉱や石炭は姿を消しつつありますが発電などのエネルギー源として日本は未だに一定の割合を石炭に頼っているんです、というガイドさんの言葉が印象に残っています。
同時に、石炭の採掘がかつての北海道においていかに基幹産業であり、
いかに日本の近代化に影響を与えたかを赤平での体験は教えてくれました。

手に取らせていただいた石炭。

「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭。確かに組成はダイヤモンドも石炭も同じ
「C」。でも、そんなことが分かる以前から黒いダイヤの呼称は使われていたらしいです。

一つの産業がいかに生まれ、いかに終わりを向かえていったのか、炭鉱を支えた技術力の結晶の跡と共に間近で目に焼き付けてきました。

自走枠工場では、炭鉱で使われた掘削機械がたくさん展示されていました

ズリ山

立杭櫓見学の後は隣の山へ移動し旧北炭赤間炭鉱ズリ山。
立杭櫓は住友系でこちらは北炭。
小さな山間に複数の炭鉱が所狭しと並んでいた往時を思いながら登ります。

777段の階段が続く

坑内から出る石炭以外の土砂や岩石は「ズリ」と呼ばれ、それらが積み上げられ塵も積もれば…で形成された山がズリ山。
積み上げられた当時は裸山だったものも年月が過ぎ、今ではすっかり森になっています。
山頂までは777段の階段!登山のいいトレーニングだ!(登頂時間5分)
階段を登るにつれ、先ほどの立杭櫓や立派な赤平駅が見えてきます。

先程の立杭櫓
立派な赤平駅
石炭で栄えた頃は積み出し量日本一を記録した
ズリ山山頂

映画「ドライブマイカー」のロケ地として使われたズリ山。
早速看板が立っていました。


初めての赤平は、予想以上にいいところでした。
TEDtalkで有名な「植松電機」さんは国道沿いにちらっと眺めてきました🚀
時間の都合上、「水曜どうでしょう」関係(最新作のロケが行なわれたり、ミスターが赤平出身で在住だったり)や「かばんのいたがき」さんなど立ち寄れなかった場所もまだまだあるのでまた訪れたい場所です。



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