見出し画像

ジョブスのようには、なかなかいかない

つい先日は思い切って(前回も書いたように、本当に意を決してという感じ。やれ天気が悪そう、やれ何やらと考え始めるとどうでもよくなってしまうのだ。困ったもの、反省しなくては)、上野の『クリムト』展に出かけてきた。

で、その前にランチから。今回は、銀座で(といっても中心からは、外れたところにある)お蕎麦を。

ビルの小さな階段を上ってお目当ての店に入ると、案内されたのは奥の白木のカウンター席。いちばん向こうにはすでに先客が2人あったので、手前に座った。眺めてみると、向かいの棚に設けられた縦格子の開口部から台所の様子が見え隠れしている。店内に入った時の印象は、ぱっと見はこぎれい。しかし、洒落すぎてはいない(居酒屋のように使える蕎麦屋を標榜しているというから、丁度いい塩梅か)。

まずはお酒。今回は大阪能勢の銘酒『秋鹿』を見つけたので、これを(昔、能勢で調査をした事があったのだ)。で、さっそく注文して落ち着いたところで改めて眺めていると、気になることが。ちょうど正面に、こちらと厨房をつなぐ開口には長い暖簾がかかっているのだけれど、その下から大きな青いポリバケツ(ゴミ入れ)がまる見えなのだ。これが、ちょっと興ざめ。パソコンのプリント基板の美しさまで気にしたというスティーブ・ジョブスのようにはなかなかなかいかないよう。

さらには、小さな立ち上がりのついた白木のカウンターのすぐ向こうにお燗用の雪平鍋やら灰色の大小のポット(魔法瓶というのがふさわしい)が中途半端に見えている。さらにその向こうの棚には大小さまざまな瓶が並んでいるのも、バーのそれのようには美しくも楽しくもないし、縦格子の開口部も中途半端のような気がしてきた(こんな風に、ほんのちょっとしたことで印象が大きく変わることがある)。さて、これはデザイナー側の責任か、お店のせいか、はたまた両方だろうか。

さらに、カウンターの向こう側でサービスする女性は年配の人だったけれど、せいろを置くスペースを作るためか、目の前にあったメニューを払うようにして脇へ退けた。きちんと重ねて置いていたのに、その後直そうともしないまま蕎麦を置くのだった。言葉遣いは丁寧なのに、これじゃあね(テーブル席へのサービスも受け持っているようだったから、忙しすぎたのでしょうね。少しばかり、余裕がなかった)。

さて、この日のメイン・イベントである『クリムト展』は平日だというのに、随分と混んでいた。

入り口には、「20分待ち」の掲示が。中に入ってみると、チケットが売り場からしてけっこう並んでいた。しかし、ここはさほどでもなく、5分かそこらで買うことができた。これならと思って、会場入口に向かうとそれとは別次元の長蛇の列、おまけに時間を区切っての入場制で、のろのろと進むしかない。角を曲がるとさらに大勢の人が横に広が理ながら長い列をつくっていた。結局、入場するまでに30分ほど要した。

ようやく会場に入ると、当然のことながらなお一層混んでいて、小さなものには近寄って観ることができない程。それでも、作風が案外変化に富んでいる事が知れた(色彩の扱い、暗い色調からあざやかなものまで。平面的な表現から、立体的なものまである。ま、当然といえば、当然のような気もするけれど)。

モローやクリムトの実物を短い間に観る前は、同じように「耽美的」、「官能的」と評される二人が似ていると思っていたのに(おまけに、読み方が違いこそすれ、同じファーストネーム。関係ないけど)、実際観てみると随分と違っているように思えたのだ。

フランス人のモローが血を連想させるような激しく熱い、直接的な官能性だとすれば、ウィーン出身のクリムトは静かで冷たいそれのように見えた。二人が生きた時期は1826〜1898年、1862〜1918年で、クリムトが40年ほど遅い。それでも、先達の晩年と後輩の活躍した時期はそう長くはないにしても重なっている。

モローがはじめた主題を、直接の教え子であるルオーやマティスよりも、いわば後輩のクリムトがそれに加えてジャポニズム等時代の影響を受けながらも引き継いで、洗練させ、そして新しい描き方で描いたということだろうか(僕は絵画を分析的に、あるいは絵画史の文脈で観ることに慣れていないので、印象を述べるしかできないのが残念。そこで、作風の類似と差異性について、教えてくれる人がいたら嬉しい)。

なんであれ、後から出てきた芸術家やクリエイターは、それ以前のものに「新しさ」をつけ加えることを自らに課すはずだから、楽じゃないね。

それでも、それをいくらかでもなし得たと実感した時の達成感、喜びは他の人にはわからないほどのものがあるに違いない(たとえ、それが一時のものにとどまるしかないとしても)。(F)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?