二種類の人間

人間には二種類ある。とは、しばしば耳にすることである。この他にもいろいろな二つについて、よく言われていることに違いない。

例えば、成功した人間と、そうでない人間。与える人間と与えられる人間。勝ち組と負組、等々。もしかしたら、デザインする人間としてもらう人間という言い方もあるかもしれない。大抵、自信のある立場からの言い方が多いようなのだけれど……。嬉しくないですね。第一、単純な二元論というのもどうかと思う。ま、とりあえずわかりやすくする効果はあるけれど。

ところで、常に新しいものを求める人もいれば、馴染んだものを好む人もいる(あ、二つに分けている。このくらいよく用いられる言い方です)。

「ペッパーに限らず、過去の人はもう聴かないよね。残りの時間も少ないから、そんなもん聴く暇があったら、たとえ未熟でも無名の新人をがんがん聴きたいからね」と言うのは、ジャズ好きで有名な編集者安原顯。ジャズ喫茶の経営者でオーディオ・マニアとしても知られる寺島靖国との対談集『JAZZ ジャイアンツ 名盤はこれだ』の中にあった*。

一方、寺島はこんなことを言っていた『いつの間にか現代ジャズの持つ、一種無機質な部分が体内に染み込んで、あまりにも艶っぽいペッパーのような音楽は受け入れられなくなっちゃった』。

いずれも新しい音楽を好む人たちのよう。でも、このタイプは、その分野に精通しているという自負があるのだろうとも思う。そうでないと、ただの新しがり。先代の勘三郎の言葉を借りると『ただの型なし』ということで、つまらない。

その夜のFMの番組『映画音楽三昧』で聴いた曲は、懐かしくもあったけれど、それだけじゃなく楽しめてなかなか良かったな。映画音楽に限らず、こうしたことはよくある。

新しいものを求める人は、安定よりも前進、革新性を求めるのだろう。他方、スタンダードを好むタイプは、伝統やオーソライズされたものを重視する。また、前者が点、あるいは破線とすれば、後者は直線的と言えるのかもしれない。

僕はと言えば今、新しいものを聴くよりも、少し古くても耳に馴染んだものを改めて聴こうと思い始めてる。ま、これは僕自身が大して知らないからということでもある。その分野に精通していたら、新しいものに興味を持ったに違いない。もっと精通していたら、先祖返りということもあるのあるのかもしれないけれど。これは何であれ同じ。残り時間が少なくなった今、できるだけ優れた古典に触れておきたいと思うのだ。

やっぱり、年齢にかかわらず、二種類のタイプの人間がいるということでしょうね。どちらがいい、わるいとかいうことではないと思うけれど。

*このところジャズが気になっていたので、帰省した折に図書館で読んだ。


追伸:ようやく自身のHPを再開しました。これからは、note ではもう少し3人が共有できそうな事柄、たとえば「デザイン」や「映画」について、書くようにしようと思います。

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