全身麻酔を施され、何だかわからないうちに抜歯手術は終わった 暫くは朦朧としていて何も感じなかったが、麻酔がキレてきて徐々に痛みが増してきた 奥歯が使えないから副菜が食えずひたすらお粥だけ啜ってる 微熱や頭痛も続き、ガッタガタなのに、今日退院 こんなんで街で生きていけるのかな⋯
これを押すと バッハのメヌエットが 流れる仕掛けになっている これが、ほぼ途切れることなく やみくもに鳴っている 始終、誰かが押している 今も鳴っている やはり音楽は、生演奏がいい #入院
ついに本日、入院 明日、おやしらず抜歯手術 今まで病院てのは見舞いに行く所だた それがまさか自分が入院する羽目になるた、思いもよらず 昔、母の入院、手術に付き添ったが、 病室から手術室に向う母が放った叫び 「もう、どうにでもなれ!」 を、私も叫ぼう
今年の元日も、至極「普通に」起きた。 普段からほとんどテレビを見ないし、新聞もとっていない。新年を迎えたとてやはりテレビのスイッチを入れる挙動には至らない。初詣にでかける殊勝な心がけもなく、新年の誓いもない。なんという不了見か。 とはいえ神棚には正月飾りを施し、門柱には簡便な門松を括り付けてある。朝食の雑煮とミニサイズのお節料理を食べると、ああ正月なんだなという意識がようやく巡ってきた。 「季の巡りの悪い男」だ。 腹がくちて落ち着いたところでポストを開けに行く。年賀状
one of the 桜並木 today #大泉学園町 #練馬区 #桜 ダメな腕とダメなカメラの相乗効果
学校も会社も、3月が年度末、というところが多かろうと思う。 個人的に、3月はあまり好きではない。とりわけサラリーマン時代は、年度末の業務(決算等)と新年度の業務(準備)が併行してしんどかった。 併行で閉口。 ドタバタ齷齪書類山積み。 非番日出勤も随分やった。 そんな時期であった。 3月はまた「別れ」の月でもある。 何年かに一回、妙に別れの多い年が巡ってくる。 昇進、転勤、退職が重なるとお別れ会だらけになる。トラウマになるくらいに大変に寂しい気持ちになる。
どんな境涯に在っても生き抜く 智慧と勇気が欲しい
やれやれ 春一番が吹いた 季節が変わる そういう変わり目だからか、 老化がより進行したか、 心身が些か窮している 仔細有之、週5日の肉体勤務を罷める事ができない 土日は休みだが、土曜日なんぞは半日、布団の中で横になっている 疲れが抜けぬのだ この歳になって「芸は身を助くる」の重大さが身に沁みて理解できる 免許皆伝の技術がある、楽器が弾ける、絵が上手い、等々 そこまで明確な事でなくとも、話が上手い、美味い店をたくさん識ってる、酒の飲み方が善い、麻雀仲間がいる、なんてのでもい
…という通知を頂いたが、この所、私事多難のため思考がブラウン運動していてまともな文章を構築する余裕がない。 「以呂波」を並べたり”Gute Nacht”だのを書き連ねても、読む方々の鼻から息が漏れるだけだ。 いずれニューロンがうまく繋がったら 書き出すであろうかと思う。御免候へ
妻とクルマの「自動運転」の話をした。 妻の言うに、自動車に運転を任せて「運転席の人間」はスマホをいぢってる、という映像を見たことがあるそうだ。 「何でもAI」の時代が来つつあるようだが、はて、それでいいのか。 たとえばAIが小説を書いたとして、それが数多の文豪が平伏す程の名作大作だったら、それは人工知能を発展させてきた人類の勝利なのだろうか。 人々は享楽するだけの存在になるのか。だとしたらそれは決して「ユートピア」ではない。極めて末期的で恐ろしい
”X”に twitter は 一日にして成らず 多くの参加者が集まり うねりながら止揚しながら ここまで多種多様なものが 蓄積され肥えてきたのだ たわけ者が無知なドミノ倒しに指を触れんとしている よし触ればあらゆる智慧や知見や触れ合いの世界が一気に無に帰す様に思われる (続)
夫婦のスマホ使用頻度過多や長時間使用の常態化をやむなしとし、思い切ってdocomo光導入手続を本日行うた。 少しだけ料金が安くなる見込みだが、老いの身でかつてない事をした為、不安で胃が痛い。 依存度が減衰したらやめりゃいい位の気持ちになれればよいのだろうが…。
実は今、腰が痛い。 けっこう痛い。 元々、腰痛持ちで、傷めるのは専ら右腰である。こちらは悪化する度に通い治療していて、とりあえず今は「山体膨張」等していない。 だが今回はこれまで何ともなかった左側に突如痛みが発生した。 そんでそれがもうひと月以上続いている。 整形外科に行ったら、鎮痛剤を処方してくれたが、副作用で胃痛を起こすことがあるとのことで、一緒に胃薬を出してくれた。 こういう薬の使い方って、以前にも違う病で経験したこ
腰痛激痛 歩行困難 七転八倒 嗚呼嗚呼 #鴉
実際に、明日(10月23日)の朝8時までに自宅の門前に出すことになっている。 出すものは、ベッドの落下防止用の柵(鉄製)とーなんでそんなものがウチにあったのかなー、既にかび臭くなっている掛け布団一枚、それだけである。 ところが夢の中では、明日が回収日だと言うのに粗大ゴミを集積すらしておらず、余は家の中を一人であちらこちらとうろたえながら、出すものを探し回っている。どうやら、何を出すのか、何品出すのか、頭に入ってないようだ。 二人ほど同居者がいたよう