見出し画像

男女の違いって何だろう??

私たち世代でもあるのかなぁ??

タブー視される教育論

最近、知見を広めるために色々な動画を見て学ぶ。
特にジェンダー系が今は多いような気がする。

教員時代から言葉には気を付けていた。
「男の子だから〇〇」「女の子だから〇〇」は絶対に言わない。
性別だけで決めつけられることは、おかしいとずっと思っていた。
小学生時代、女の子に泣かされたこともあるしね(笑)

教員を辞めた時、学校側へ何かできないかと今も考えている。
何か外からアプローチはできないのか。

2年半前くらいに、朝のNHKニュースで「生理の貧困」の特集があった。
当時、担任をしていたクラスの女の子が、よく腹痛で休んでいた。
「生理痛」が欠席理由であることも多々あった。

私はその時、それほどまでに生理痛が苦しいことを知らなかった。
休むほどのことでもないと、本気でそう思っていた。
でも、実際はそうではない。多くの女性が苦しんでいた。

保健の時間に何となく、生理についてやっただけ。
特に林間学校前には、女子だけ集められて話がされるだけ。
男子は知らない――裏を返せば男子は知らなくていい、と思われているのだろうか。

だから、私みたいに無知のまま大人になる男が出てくる。

各学校に生理用ナプキンを置けないか??

先程の「生理の貧困」に話を戻そう(時を戻そう)。
一時期、本当に学校内で生理用ナプキンを置くことができないか考えた。
色々考えた挙句、結局実現できなかった。
周囲から「早すぎるのでは?」「そこまではいらないのでは?」の声。

事前に設置する気満々だった私は、すでに生理用ナプキンを別団体から頂いていた(それはこども食堂でお母さん方に配って、大変好評だった)。
私自身もバイアスがかかっていたが、現場ではこれだけ理解されないのか、なんて思っていた。

上記のような考えの人もいる。
本気か?!
そこまで子どもに無意味な自立を押し付けてしまう、そんな現実離れした考え方の教員がいることに驚きが隠せない。

狭い考え方の中で、仕事をしていくと視野が狭いまま大人になってしまう。
それでは子どもに対して、真実を伝えることができないし、これからのことについて建設的な話し合いはできないだろう。

私たち世代の教員(30代くらい?)はいないとは思いたいが……。
基本的に私たちよりも上の世代がそんな考えをお持ちのような気がする。

不都合な真実は教えない

学習指導要領にないから教えない??

性教育も同じく教えない。
これだけ男女平等が叫ばれているのに、それすらも教えることができない。
相手との違いを理解して、初めて他の人にやさしくなれると思う。
そんな機会すらも奪ってしまうことは、果たして良いことなのだろうか??

相手のことを教えないのに、他人にやさしくすることはできない。
身体の違いも分からないのに、内面に訴えかける授業は果たして意味があるのだろうか?? とも考えてしまう。
特に多様性が叫ばれている中だ。
そこも知らない中で、次の世代へ持続的に世界基準をアップデートしながら発展させていくことはできないだろう。

私は性教育は早ければより良いと思っている。
実際に「包括的性教育」で調べてもらえればと思う。

次の世代、また次の世代へ

私たちは一人では生きていけないし、生まれても来れない。
しかし、より高度な社会である現代は、色々と出産にもリスクが伴う。
出産、育児が素晴らしいことは分かる。
それでもタイミングというものもあるのも、また事実だ。

何でも日本社会は「自己責任」で片づけてしまう。
実際にはそうではない。
望まなかった妊娠は、これもまた「自己責任」なのだろうか??
今まで懇切丁寧に教えてこなかった、私たちや社会の責任ではないか??

私は何もかもを「自己責任」にはしない。
問題があれば、一緒に解決していくのが人間ではないか。
教育はその原点だと思っている。

生きていく中で、必要なことはしっかりと教えていきたい。
そんな居場所もあっていいのではないだろうか。

多様性を認め合うために、必要だなぁと思った良書の一冊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?