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自分なりの思考を確立すること(中)

乱読や経験から気づくこと

経験から気づくこと

昨日は手話サロンに参加した。
一昨日は友達と集まって楽しくお喋りをした。
どちらも普通のことで、どちらも楽しく、心躍る時間だった。
しかし、どちらもマイノリティ側を主眼に置いていることは、普通とはまた違うとこであった。

私は常にマジョリティ側にいる。
高校の普通科を卒業し、四年制大学に行き、教職員として仕事をしてきた。
特に大きな挫折はなく、常に大多数側とともに人生を歩んできた。
まぁ、少し違うところと言えば妹に障害があるくらいだが。

そんな中で、色々なことを経験として感じ取った。
友達は社会的にはマイノリティ側にいる。
いつも会うととても楽しそうだが、その背景には色々と辛いことや私では経験できなかったことを経験してきた。
だから、私は友達の魅力に惹かれ、とても仲良くさせてもらっている。
友達としてなので、別に集まってお喋りすることは普通だ。

しかし、世の中にはそれを良しとしない人が一定数いることも事実だ。
私は決して気にしない。気にしたら負けだとも思っている。
世の中を良くしていくことは重要ではあるが、そこに全ての人を含むことは無理だと思っている。
そんな道があるのならぜひ教えて欲しい。

考えてみれば、手話を使う人々もマイノリティ側だ。
たまたま福祉の大学を出て、友達に聴覚障害の子が同級生でいて教わって……。
最近ではドラマでもやっていたらしい(広まることは嬉しいね✨)。

色々なところで活動が起こり、蠢き始めている。
私もその中の一人であることに違いはない。
今、ここまでこれたのは色々な経験が基盤にあるからに他ならない。
経験すらしなければ、どこで誰が困っているか分からないからだ。

ドイツの鉄血宰相と呼ばれたビスマルクは次の格言を残している。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と。
私はその言葉を素直に受け入れることはできない。
必ずしもそうではないと思っているからだ。

世の中の偉い人(賢者)たちは、確かに歴史的事実を紐解きながら国際的な秩序を保つために日々取り組んでおられるが、彼らは果たして賢者なのか??
歴史を否定するわけではないが、机上だけで学んでも何も分からない。
やはり、体を動かして、経験した知識こそ本物だと思いたい。

そんなことを考える私は、一生愚者のままのような気もするが(笑)

最近、YouTubeの「ポリタスTV」でも同じような内容があった。
ブラインドコミュニケーターの石井健介さんを招いての回だった。
障害者の知り合いがいないとその場で「勉強になりました」で終わってしまう。実際にどこかに一緒に遊びに行くと分かる、と。
私たちマジョリティ側がいかにマイノリティ側と共に進んでいけるか。
いずれ、そんな「マジョリティ」「マイノリティ」なんて言葉が死語になってくれたら……。

私の経験から、そんなことをグルグル考えた先週末だった。

素晴らしい内容に、色々と考えてしまったYouTube動画✨

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