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落語家笑福亭笑瓶の横顔

 三味線が出囃子の主旋律を刻む。
 聞き覚えのある軽快なメロディーは記憶を刺激して、つい歌詞が口をついて出てくる。マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン。そう「魔法使いサリー」の主題歌だ。
 それに乗って姿を現した演者を拍手が迎える。やがて見台の前に座るとピシリと一発打った扇子が場内をしずめ、甲高めのしわがれ声が続く。
「そういうことで、笑瓶ちゃんでございます」

 今年の二月に急逝した笑福亭笑瓶の落語の高座を収めたCDが、先日追悼盤として発売されました。
 師匠である笑福亭鶴瓶が「落語家笑福亭笑瓶の姿を残しておきたい」と奔走されたというニュース記事を以前拝見し、とうとう高座を目にする機会に恵まれなかった身としては、是非とも聴いてみたいと手許に届くのを心待ちにしておりました。

『笑福亭笑瓶落語集』(MHCL 3049)

 発売元となったソニーミュージッの来福は、これまでも数多くの落語CDを手掛けてきたレーベルです。
 収録は「ある日の六代目」「横山大観」の二席で、師匠の鶴瓶同様自らの実体験を落語化した〈私落語〉を笑瓶自身でいうところの〈楽語〉として口演しています。

「ある日の六代目」

 六代目こと六代目笑福亭松鶴は笑福亭鶴瓶の師匠で、笑福亭笑瓶から見ると大師匠にあたる人物です。

 これはそんな大師匠の乗る車の運転を、まだ入門して日の浅かった笑瓶がまかされたことから起こる騒動を描いています。

 いらち、標準語でいうところのせっかちで、関西人は概ねこの傾向が強いといわれておりまして、「大阪で信号の青は進め、黄はあわてて進め、赤は急いで進め」なんてジョークがまことしやかに口にされています。
 六代目笑福亭松鶴はまさにその典型で、だれかに道を譲るのが大嫌いという性分ですから、車が発進しても五分とじっとしていられず、隣を走る車に並びかけられようものなら「行けー! 抜けー! 抜きさらせーっ!」と大騒ぎをはじめる始末で、弟子入りしたての笑瓶に逆らえるわけもなく――また本人も大いにいらちの気もあるところから、言われるままに猛スピードでの大師匠送迎となってゆきます。

 古典落語「反対俥」は破天荒な車夫に乗り合わせた客がひどい目に合わされる噺ですが、その丁度逆になっていて、「反対俥」同様オーバーな言動からの疾走感が聴きどころになっています。

 それにしてもこの六代目笑福亭松鶴のキャラクターがかわいらしいのですね。
 無類の酒好きで豪放磊落さはそのままで、鶴瓶が漫談をやっていた時代のものまねもベースになっているのだと思うのですが、その鶴瓶を嫌う場面でのいやいや期の赤ん坊のようなしゃべり方や、笑瓶が一台ほかの車を抜くたびにきゃっきゃ喜ぶ様子など、あどけなさを十分に持った愛嬌に満ちています。
 本当に隣にいたら嫌だろうなと思わせず、噺のユーモラスさに自然に入り込める巧みな趣向だと思います。
 とにかくスピードとドタバタのよく入り混じったスラップスティックに笑わせてもらえる一席です。

 ちなみに、笑瓶が運転手を務め、後部座席に松鶴が座っているのですが、大騒ぎをする大師匠を抑えるためにその隣にもう一人の弟子が控えています。噺中ほとんど「お弟子さん」としか語られないのですが、ただ一度だけ松鶴が「松葉はこっちな」と名前をつぶやきます。
 笑福亭松葉。堅実な実力派の噺家で、七代目笑福亭松鶴の襲名を内定させながら、その目前で病に倒れた人物で、鶴瓶の最も慕った兄弟子でもあります。その松葉を、ほんの一瞬でも髣髴とさせてくれることに、ついとても感慨が深くなります。

「横山大観」

 ある日、妻の実家から、近所の老舗旅館が店をたたむことになり、調度品の一部を譲り受けたと連絡が入った。そのなかには横山大観という銘と落款の入った浮世絵が含まれているという。はじめはその名前を聞いてもぴんとこなかった笑瓶とその妻だったが、周囲に聞き込むにつれてとんでもない大家だと知れてきて……

 横山大観の名画にまつわると思いきや、それを入手した奥さんの両親の突拍子もない行動を受けての笑瓶と奥さんの掛け合いがメインとなっています。

 落款を確かめようと唾をつけて指でこすってみる。絵を運ぶために装丁されていた額をたたき割って取り出す。ぐるぐると筒状に丸めて持ち運ぼうとする。
「お前んとこの親アホちゃうかァ?」
「人の親つかまえてアホ言わんといてよ!」

 奥さんには悪いもののちょっと擁護しにくい粗雑な扱いの数々ですがでも笑瓶も嫁さんの実家の悪口だけは冗談でも言わない方がいいですよ……、それはともかくとしましてこのやりとりが段々と定番になってきて夫婦にどんどん愛着がわいてきます。

 それと横山大観というチョイスが絶妙ですね。明治以降の近代日本画の大家として名前はもちろん広く知れ渡っているのですが、じゃあ実作はというと具体的なタイトルが思い浮かばない。純粋に高価なものという小道具として、余計な先入観なく物語に組み込めて噺の邪魔をしない見事な配置だと感じます。

 前の「ある日の六代目」が笑福亭松鶴の弟子の笑福亭鶴瓶のさらに弟子である笑福亭笑瓶ならではであったのに対して、こちらはずっと普遍性のある噺に感じられました。
 会話のメインとなる笑瓶と妻はもちろん、途中で登場する骨董品好きの高嶋政伸も一般人に変更が可能で、新作落語にありがちな道徳臭やお涙頂戴もなく誰でも楽しめる噺として引き継がれていくんじゃないかなと思えます。

 以上二席、楽語というふれこみ通りの笑いの絶えない高座でした。
 語りや間の取り方など技術的な面は私にはわかりませんが、七十分近いCDの録音を途中でだれることもなく聴き通せ、なにより落語を聴いたという実感を確かに味わわせてもらえました。
 確かに、ここに落語家笑福亭笑瓶の姿があるように思えます。

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