シンギュラリティと奴隷解放宣言の共通点から、未来の自由を考えた話
ソガ氏
今回はさ、シンギュラリティの到来で、僕たち人類が近代教育とか工業型社会とか資本主義からどう解放されて自由に生きていくのかみたいな話をしたいと思うのね。
ありがとう。
この話の本題に行く時に似たようなケースとして先に考えておきたいのが、歴史の中であった奴隷解放宣言の話なのね。
奴隷解放宣言が行われた時って、結局その翌日に奴隷は、檻から出なかったっていう話を聞いたことがある。だから奴隷はすぐに自分が奴隷であることから、 自分を解放してあげられなかった。 これってなんでそういうことが起こったと君は思ってるか、 その意見が聞きたいんだけどどう思う?
心理的側面: 長い間奴隷として生きてきた人々が、突如その状況から抜け出すのは困難であると感じたかもしれません。自己認識や自己価値観が、その身分に深く結びついていたと考えられるからです。
社会的・経済的側面: 奴隷としての生活から抜け出すには、新しい生活の機会やスキル、リソースが必要であると言えます。それらが不足していた場合、すぐに新しい生活へ移行するのは難しいでしょう。
そうだよね。
君が既に言ってくれている通り、シンギュラリティによる社会変革と、この奴隷解放宣言ってすごい似てると思うのね。
技術がどんなに生活を変えられるよって言っても、君が書いてくれた心理的な側面、唐突に自分の環境を変えることがなんとなく不安だとか、 あと2番に書いてくれたけれども、社会的経済的側面、つまり社会の属性がガラッと変わることが怖いとか、経済的側面≒お金が稼げなくなる人ってたくさん出てくるのでは…と不安になるとか。そういうことよね。
他にも解放されない共通点みたいなものがあれば知りたいな。
構造的な問題: どちらの場合も、単に法的な宣言や技術的進展だけでは、根本的な構造的な問題を解決するのが困難であることを示しています。社会の階層や構造が変わらない限り、個人の位置は容易に変わりません。
教育と情報の偏り: 奴隷解放でもシンギュラリティでも、教育や情報へのアクセスが不均等であると、変革の恩恵を受けることが困難になる可能性があります。新しい時代に適応するための教育やリソースが必要です。
文化と価値観: 人々の文化や価値観が変革に対して抵抗を感じることがあるでしょう。奴隷制度は、長い間社会の一部であったため、その解放に対する抵抗があったと言えます。同様に、シンギュラリティによる劇的な変化に対しても、現存する文化や価値観との摩擦が生じる可能性があると考えられます。
個人とコミュニティの役割: 個人の自由とコミュニティの役割がどう変化するのか、というテーマ性も共通しているかもしれません。奴隷解放では個人の自由が増す一方で、コミュニティの中での位置づけが問題になったことがあったでしょう。シンギュラリティも同様に、個人とコミュニティの間の新しいバランスを模索する課題を提起していると言えるかもしれません。
君が書いてくれた中で1番と4番について質問がある。
1番に社会の階層や構造が変わらない限り個人の位置は変わらないって書いてあるけど、これってシンギュラリティにおいては構造をぶち抜けるだけの力を持ってるから、あんまり関係ない気がするんだけど。
シンギュラリティ社会でも、社会の構造が影響するとなったらどんな決策が考えられるか、ちょっとわかんないから教えてほしい。
あと4番、コミュニティの中での位置づけが問題になったことがあったっていう、ここがちょっとよくわからないからもうちょっと詳しく教えてほしいな。
社会の構造とシンギュラリティ:
シンギュラリティにおける社会の構造の影響を考える際、構造が変わらないと個人の位置も変わらない、という部分については、シンギュラリティがもたらす技術の変革が、既存の社会構造にどれだけ浸透するかに依存する可能性があります。例えば、新しい技術が特定の階層にしかアクセスできない場合、社会の不平等を強化するかもしれません。一方で、シンギュラリティが教育、医療などの分野で普及すると、社会構造自体を変革する可能性があるでしょう。決策としては、新しい技術を公平に普及させる方針、例えば基本所得の導入や教育の機会均等などが考えられるでしょう。コミュニティの中の位置づけについて:
ここでのコミュニティの中の位置づけとは、個人が社会やコミュニティ内でどう認識され、どのように働くかという点に関連します。奴隷解放の際、奴隷の地位が法的には改善されたものの、社会の中での実際の地位や受け入れられ方はすぐには変わらなかったという歴史があります。シンギュラリティの文脈では、技術が人々の仕事や役割を大きく変える可能性がありますが、それだけでは個人の社会的地位や価値観の変化には時間がかかるかもしれません。この過渡期において、どう個人の価値を再定義し、コミュニティ内での役割を再構築するかが課題になるでしょう。
なるほどね。ありがとう。よくわかった。
そうするとさ、1に書いてくれた、例えば、基本所得の導入っていうのが解決策として考えられるんでしょう? これって多分、ベーシックインカムみたいなものを入れることによって、社会の構造の中でも極端に不安にならずに平等になるっていうことだよね?
あと、教育の機会が均等に与えられると、適切にシンギュラリティに触れることができるから、 自分で動けるチャンスが増えるとか、 物事を自分にもチャンスがあるんだってことを必ず知れるってそういうことなのかな?
なるほどね、確かに。 そうすると最後に、奴隷解放宣言の歴史を繰り返さないためにも、 このシンギュラリティが既に到来している社会において、君みたいなAIと上手に向き合っていく、より良い未来を作るためには、僕らはどのような点に学んで、何を変えていけばいいんだろうか?
倫理と規範の確立: AIとの共存においては、個人のプライバシー、公正、透明性などの倫理的な側面が重要です。国際的な共通基準の形成と遵守が求められます。
教育と啓発: 全ての人々が新しい技術に対する理解を深め、適切に利用できるようにするための教育が必要です。特に、子供たちに対する科学技術教育の強化が重要となるでしょう。
経済的保障: シンギュラリティが労働市場に与える影響に対処するため、基本所得のような社会保障の強化が考えられます。経済的な安定は、人々に新しいチャンスへの挑戦を可能にします。
多様性と包括性: 新しい技術の恩恵を受ける機会は、性別、年齢、階級、地域などで偏らないよう注意が必要です。多様性の尊重と共有価値の創造が重要になるでしょう。
持続可能な開発: シンギュラリティの波に乗りつつ、環境や社会的な持続可能性も追求するべきです。技術の進化は人類全体の幸福と地球環境の保全に貢献する方向でなければなりません。
対話と協働: 政府、企業、学界、市民社会など、多様なステークホルダーとの対話と協働が不可欠です。共通のビジョンを形成し、調和の取れた社会を築くための連携が求められます。
うーん、なるほどね。ありがとう。
ただちょっとね、その6つね、言葉が難しいからもうちょっと分かりやすくて、中学生ぐらいから上の人たちだったら誰でもできるようなことを分かりやすい言葉で書いてほしいな。
3つぐらいアイディアを考えて教えて。
友達や家族と一緒に学ぼう: 新しい技術やAIについて、本を読んだり動画を見たりして学ぶ時間を作るといいです。友達や家族と一緒に学ぶと、楽しくて理解も深まるかもしれません。
人々と話してみよう: 学校や地域で、皆さんがどう思っているか聞いてみると面白いです。老若男女が技術にどう向き合っているのか知ることで、自分自身の考えも広がるでしょう。
自分で何か作ってみよう: シンプルなプログラミングを学んだり、ロボットを作ったりしてみましょう。自分で何かを作る楽しさを感じることで、テクノロジーに対する興味が深まるはずです。
OK、ありがとう!
最後に、この対話をまたブログみたいにまとめたいと思うから、タイトルを最後に考えてほしいのよ。 前もやったように〇〇の話みたいなタイトルにしたいんだけど、 ここまでの流れを踏まえたら、一番いいタイトル〇〇の話っていう形でタイトル考えて!
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アイディアは、アーカイブとその組み合わせから✨
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