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代官山で3回泣いた

私は毎月一度、必ず代官山に行きます。
毎月。月に1回だけ、必ずすることを思い浮かべてみてください。
月一でいうと、インドカレーくらいが丁度いいですか?月一は欠かさずインドカレーを食べる。あるいは、山に登るとか。月一は多いですか?

私が毎月代官山に行く理由は、ショートヘアを維持するためです。3年7ヶ月も通っている美容室が代官山にあって、だから月に一度は必ず代官山に行きます。代官山。代官様の山ですから、あからさまに高貴なイメージですね。私は蔦屋のカフェでアルバイトをしていたことがあって、その周辺を通ると、一時期しょっちゅう食べていたお菓子を久々に食べたときの気持ちになります。

3年7ヶ月のうち、3年2ヶ月くらいはずっと同じ髪型で、ハンサムショートでした。これまたすごいネーミングですね。ハンサム。ハンサムショート。頼むのちょっと恥ずかしいですよね。馴染みの美容室では、「伸びた分だけ」とお願いすればいいので大丈夫。そんなハンサムショートもとても気に入っていたのですが、ここ数ヶ月は名称不明なヘルメットヘアになりました。最初はPinterestか何かで見つけた写真を見せてお願いしたのですが、これもまた気に入っていて、しばらくは「伸びた分だけ」で行くことになりそうです。

美容室を出たら、必ず蔦屋へ。
月刊誌の小説新潮の連載を読みにいきます。今月も行きました。建物は3棟に分かれていて、ファミマがある方に小さく文芸誌の一角が。その日はクリスマス当日だったので、男女ワンセットの壁がいくつも在って、その一角に行くまでに、追い抜けない細い通路をゆっくりゆっくり歩きました。前日、クリスマスイブに友達とプロレスを観ながらチキンとケーキを食べたことを思い出したりしながら歩きました。美容室に行く直前に食べた火鍋屋さんの、デザートに出た胡麻団子が1番美味しかったなとか考えながら歩きました。

文芸誌のコーナーに着いて、いつもそこに面陳されているシュールなイラストの描かれた表紙が、ありそうでない。並んでいるラインナップは変わっていないのに、小説新潮だけが見つかりません。おかしい。一度ないと思うと見えなくなるから、あるに決まってるんだからと、目を細めてみたり、少し離れてみたり、固定概念を取り除く方法をいくつか試して、そして本当の本当にないということがわかりました。なんでなんで。毎月の楽しみ小説新潮がない。この横幅1メートル程の小さな一角で、面陳にも平置きにもいない。ない。

友達の家でチキンとケーキとポテトLを5個並べて食べるなんて、年に一度あるかないか。火鍋もそう、年に一度あるかないか。この美容室に行って小説新潮を読む流れは毎月のことでした。

月に一度のことって、1年経っても12回しか繰り返さないわけですから、ルーティンとも言い難いたい。毎日お昼ご飯を食べてる時間にお腹が空くとか、お風呂から上がったら化粧水を塗らずにいられないとか。そのくらい日常に溶け込んでいることなら、それが欠けたときに違和感を覚えるのは分かります。でも、この小説新潮は月に一度のこと。

ないない、ない。新潮がない。私は格好つけなので、とびきり澄ました顔で代官山の蔦屋を、またゆっくり歩きます。ないないないない。信じられない。同じところをぐるぐる歩きます。近くにあった2メートル四方の平置きの台の周りをぐるぐる。なんでやねん。なんでないねん。

3周くらいしたところでやっと、チカチカしていた目が平置きの詳細を捉え始めました。宣伝会議とかブレーンが並んでるな。その中に珍しくPOPなんかが立てられている雑誌、見覚えがあるぞ。NHKの趣味どきっ!だ。これはAマッソの加納さんが載っていたので購入済みのやつ。

蔦屋の店員さんが加納さんに本をおすすめする内容だったので、「蔦屋も登場するよ」てなことでPOPが立てられていたわけですね。すごいな、嬉しいな。その目と鼻の先にある新刊コーナーには、真っ赤な表紙の「これはちゃうか(加納さんの初小説集)」まで平置きされている。すごいな、すごいな。おもむろに、鼓動がポックポックと落ち着いてきました。とはいえ、改めて文芸誌の棚に向かい合っても、やはり小説新潮はありません。


ありません。


ん?

文芸誌コーナーの隣、文藝春秋が並んでいる棚との間の小さな背差しのスペース。あるではありませんか、小説新潮が。マスクの下であるやん!

ようやっと辿り着いた連載が、これまたよくて、少し泣きました。

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