見出し画像

芸術は断じて不要不急の案件ではない

という文化庁長官の声明に様々な意見が飛び交っていますが、とりあえず緊急事態宣言が出ていて人出が少ないうちに鑑賞しておきたいという私的理由で、神戸市博物館の東山魁夷障壁画展と白鶴美術館の展示会に行ってきました。
コロナ発生以来ほんとに久しぶりに神戸市中心地へ。お酒を出す店は休業していることは報道で知っていたのだけど、実際に見てみるとかなりのショックでした。それにもかかわらず歩いている人たちの多いこと。当たり前ですが、博物館界隈はお仕事の中心地でもあり、私も現在でもここにメインバンクがあります。かつては銀行行ってお役所行って仕事先行って、全部歩いて回り(だって公共交通機関がここら辺にはない)2時間ぐらい歩くことは当然だったわけで、それは現在でも変わらないでしょう。こりゃコロナが収まるわけないわ。
さて博物館で「涛声」の前に立った瞬間に思ったこと、波の音が聞こえない。。唐招提寺御影堂で、広々とした座敷に6月の明るい日差しが満ちて、波の音が響き渡っていた印象の「涛声」でしたが、薄暗い屋内でかなりの人とそこら中に展示されたパネルの中で見る「涛声」は別物でした。そもそも御影堂の公開が年に3日に限定され、近年は大修理のために色々不自由なのだから、博物館で拝見できるだけでも幸せだと自らを慰め、そそくさと第2展示室へ。(広さの関係で障壁画はぶった切った状態で展示されているのだ)そこにはベンチが置いてあり、座ってみると真正面にあの青いホトトギスが今にもこちらに飛び出しそうにいた。最初に御影堂で発見?したときのまま変わらずにいました。しばらく座ってみていると山の空気があたりに漂い始めて幸せな気分になることができた。
思うに第1展示室と第2展示室との差は中にいた人数と座る椅子があるかどうかの違いかもしれない。人数が多い密の状態はコロナにとって嬉しく人類にとっても美術鑑賞にとってもよろしくないことが証明されたわけで、次は遥々御影堂で人が少ない時に畳に座り込んで鑑賞したいと思いました。そんな日が来るのか?

画像1

画像2

画像3

というわけで、そそくさと博物館を後にし、白鶴美術館へ。
ここは人がいなくてすっきりしました。写真は撮影可能な廊下部分。
トイレの窓の取っ手すら好みだわ。阪神間にはお金持ちの収集品を展示している民間美術館が多くて、正しいお金の使い方というものを教えてくださります。そこらじゅうに鶴の意匠があるのはいかがなもんかとは個人的に思いますが、もちろんお好きにされる権利はおありです。
今回は春から美術系大学の通信教育を受けていて、中国芸術史をやったばかりだったので、実物を鑑賞しにまいりました。やはり実際に見られるということは素晴らしい。青銅器や銀器や陶磁器やお宝の数々が並ぶ。別館の絨毯も素敵でしたが、こちらは20世紀に入ってからのものがほとんどで、もう少し幅広い時代に渡って収集してほしかったと欲がわきました。コレクションというものには集めた人や時代が現れるモノなのですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?