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空は飛べたはず

 90年代の日本人は空を飛べていた
 という従来の定説が先の学会で覆ってしまったらしい
 マジか!

 いや、詳しくない方には何だと思われるかもしれないが、今から約360年前の1990年代のあの頃。そう、「あの」日本最盛期と言われている「90年代」の日本人は飛ぶ鳥を落とす勢いで実際に生身で空を飛んでいたのだ!
 というのは、教科書の隅っこの方にも載っている事実であり、一部の日本マニアの皆さんにはご承知の通りの常識だろうが、これが先の日本文化研究会で「全くの空想である!」と結論づけられたのだから、我々には衝撃が走った。にわかには信じられん!
 とは思うが、学会は「やはり、人間は人間なのであり、人間が生身で空を飛べるわけがなかった」と結論づけてしまったのだ。しかも、各国がそれを鵜呑みにして今年度から教科書で事実として採用されてしまったのだ。その事実に驚く。
 いやいやいや、ホントかな? たった360年前の事なのに、そんなの間違う事ある?
 しかも、それどころか学会は90年代の日本は最盛期などではなく、むしろ「暗黒時代の幕開けであった」とまで結論づけはじめていた。
 いやいやいや、そんな事ある? なんとなくバブルとかもあの辺だった気がするし。あの頃が黄金時代なのは学校の教科書にも載っていた常識だぞ! 間違うわけないだろう!
 え?
 そもそも『日本』とは何かって?

 今は亡き日本を知る人はもうあまりいないのかもしれないが、日本は今から150年前ぐらいまで地図の東の端っこの方に存在していた縦長の島国の事である。つまり、今で言うグランカナンとかヨハキクとか私の住むノハマロクステインとかがあった所の昔の国だが、この国は、なんと20世紀から21世紀初頭にかけて、なかなか隆盛していて世界ナンバーツーあたりの経済大国だったらしい。驚きだね! 我々も子孫として誇らしい!
 しかし、滅びただけあって、以後、日本はアンチを生み出してしまい、つまり、結局のところ、学会も単なるアンチの集まりなのであって過去の日本の栄光を否定したいが為にそんな事を言っているのだろう。私はそうに違いないと睨んでいる。
 というわけで、もう無くなった国だし。大半の人にはこんな話はどうでも良いのだろうが、この結論を巡っては一部日本マニアたちの間で、日々、喧々諤々と議論が戦わされていたのであった。

「90年代の日本は最高である! まずは90年代の歌を聴いて欲しい! 90年代の歌において人間はこんなにも空を飛んでいたのだ!」 
 こう力説するのは、誰あろう私、ハラキ=リオの言葉である。90年代の歌は真に素晴らしく、その歌詞の中には何度も「空を飛ぶ」という言葉が出てきている。つまり、これこそが90年代の日本人が空を飛んでいた証拠だ。この歌の数々を聴くにつけ日本は他の国と比べても明らかに空をよく飛んでいたのは自明であり、こんな事を想像で思いつくわけがない! いや、むしろ、これを想像でみんなが書いていたのだとしたら、そっちの方が驚愕すべき事実だろう。どうかしているよ!
 しかし、学会側の人たちは、研究の結果、これを明確に否定できると豪語していた。
 中でも学会員『徳永=はるか』通称『ハルハル』の弁はこうだ。
「いやいやいや、アホか! ボケ! それは単なる歌なんだよ! 昔の歌は比喩として空を飛べるとか歌いがちだったんだよ! それは、むしろ90年代が暗黒の時代だから、現実から逃れて浮かれた世界に行きたかったんだよ!」
 とか何とかアホらしい。はぁ。呆れるぜ。90年代の歌が暗黒の時代の歌に聴こえるって耳がおかしいんじゃないの? どう聴いても、そう聴こえないだろう! 美しいだろう!
 ていうか、否定派って本当にろくな奴がいなくて、特に否定派の急進派の最先鋒、学会に論文を提出したハルハルは、我々の事を「真実を絶対に受け入れようとしないクソバカ人間たち」とか言って、いつも馬鹿にしまくってくる。
 うぜえ! うぜえ! うぜえ! 
 何が真実だ! 常識も知らねえ奴らが!
 つーか、ハルハルの出生地と言われているロコモコは90年代当時でいう沖永良部島あたりにあって、彼女も実は日本の血を引いているらしいが、それも嘘くさいし。そうやって元日本人を騙ってる奴が我々を否定しようとは血がたぎるほどに許せねえな。
「ああ、ハルハル、ムカつく! ムカつくわー! 実際に会って、凸してえ! 問い詰めてえ!」
「行っちゃう! 今すぐ行っちゃう! ハルハル、かわいいし。会ってみたいジャン」
 と返してきたのは、隣にいた親友のハッカーの猿吉(さるきち)だ。猿吉は、私のぼやきにそんな言葉を突如として返してきたので私は驚いた。
「え? 場所知ってるの? ハルハル、何処にいるの?」
 今までハルハルの場所を割り出せなかった私たちだが、何で猿吉はそれを知っているのか? 不思議な私はすぐさまそう聞き返したが、すると、猿吉はニタニタ笑って得意そうな顔で私にこう言い返してきた。
「へへへ。特定できちゃったんだヨン。遂に特定しちゃったヨン! 探ってみれば簡単だったネ。まあ生きてる人間が場所を隠すなんて、やっぱ、無理な話なんだよなぁ」
 そう言いながら、猿吉は自慢げに顔の前で手のひらを交互に上下に動かしていたが、何そのジェスチャー? 意味不明。
 しかし、流石、猿吉。おそろしい奴よ!
 この時代、住所を特定するのはかなり難しいはずだが、簡単に居場所がわかってしまうとは流石だな!
 そう思って、猿吉の言う通り、ピューンと光速船でハルハルの住所に向かったら、そこにハルハルはいなかった。
 ていうかさぁ。
「クソども! 住所、ハッキングしようとしてんじゃねえよ! ここに俺はいねえよ! バーカバーカ! 低脳ども! by徳永=はるか」
 だってさ。空中に文字が漂ってんじゃん。掴まされてんじゃねえよ! 猿吉ぃぃぃ!
「くそー! ハルハルー! 絶対見つけてヤルー!」
 そう猿吉はギリギリと歯を食いしばりながら口にして、同時に同じ事を心に誓う私だった。しかし、正直、ハルハルの居場所に当てはない。いや、一つだけある。学会だ。

 学会とは、日本文化研究会の会合の事だが、ここにハルハルがいるのは自明であり、学会の時間と場所さえ突き止められれば、ハルハルにも会えるだろう。しかし、学会はクローズドに行なわれていて、学会自体が何処で何をやっているかは誰にも分からない。というわけで、結局、我々はハルハルに凸できないのだが、そこに一つの情報が突如やってきたので我々はにわかに沸き立った。
「学会はニチタ=アセパラ星でやってるよ」
 あのあと、各方面に学会の場所を打診していたところ、3ヶ月後にこの情報をくれたのはマルマル=アキオ氏である。
 マルマル氏は我々同様、日本マニアであるが、比較的、中立な態度を取っており「学会の言う事にも一理あるかもね。でも、まあ、それを信じたくはないよね」という優柔不断な奴である。
 しかし、今度ばかりはその優柔不断さが功を奏したのだろう。マルマル氏は猿吉とも仲が良く、同時に、学会員のヨロヒーとも仲が良く、ヨロヒーの口から学会の在処をあっさり突き止めたのであった。あっさりだ。
「ていうかさー、猿吉。マルマル氏があっさり分かる事が何でお前に分かんなかったわけ? お前、ハッカーとしての腕が落ちたんじゃないの?」
 ハルハルの居場所が全く分からなかった自分の心に棚を作った上で私がそう言うと、先のハルハルのトラップに大変ダメージを受けていた猿吉は
「すいません。しーましぇん、ハラキしゃん。あわわ。僕はダメ人間だ。ダメ人間ジャー」と言って、頭を抱えて震えていた。
 いや、何もそこまで落ち込まれるとなぁ。私も言いすぎたよ。ごめんよ。
 こうして落ち込んだ猿吉だったが、ハルハルに会いたい気持ちは人一倍強かったので、私と一緒に学会に行ってみる事にした。
「行くぞ! 猿吉! 敵のアジトへ!」
 こうして我々は90年代のRPGのようなノリで場所から場所へとワープするように一緒に学会に乗り込むのであった。今度もまた高速船で、ニチタ=アセパラ星のある四億五千光年先までサラッとワープして行く。
 ドビューーーーーン!

 正直、ワープしても185日かかる遠い場所だったが、この時代、学会なんてオンラインでも良いだろうに、何でこんなに遠くで学会を開いているのか? これでは、ハルハルの居場所など分かるはずもない。しかも、普通、日本の学会なんだから、元々、日本があった場所でやるべきなんじゃないの? とは思うが、要するに学会は我々のような野次馬を退けたいんだろう。そうはさせねーぞ! 行ってやる!

 というわけで、185日後、我々はワープ時に入ったコールドスリープの眠りから覚めてニチタ=アセパラ星に着いた。ここがニチタ=アセパラ星か。広い。デカい。およそ地球の3万倍はあり、大気は不安定で地上もマグマの吹き溜まりのような熱さとなっていた。ここに人がいるのかな?
 そう思った我々は惑星全体をスキャンしたが、何処にも人の住めそうな環境はなかったので我々は焦った。
「なあ、猿吉よ。ここに人が住めると思うか?」
「無理シュ。絶対、無理シュ。ここに人はいないっシュ」
「だよねー」
 またしても掴まされたーーー!

 怒った我々は、その場ですぐさまマルマル氏に連絡を入れたが、当然、出るわけもなかった。というか、遠すぎて通信が遮断されていた。はぁ。
「帰るか」
「そうしまショ」
 こうして我々は、わざわざニチタ=アセパラ星まで行ったが、すぐさま地球に帰り、帰って早々、すぐさまマルマル氏に連絡を取り、その真偽を問い詰めたのであった。
 すると、マルマル氏曰く
「本当に学会はニチタ=アセパラ星にあるよ。間違いない。ちゃんと探したの?」
 そう言い張って、90年代式の住所の印刷された封筒とか名刺とか、その他諸々の証拠を我々に見せてきた。住所か。最初に聞いておけば良かったぜ。ここを探せばいいのかな。本当に学会はそこにあるのか?

 冷静に考えると、我々はニチタ=アセパラ星の表面だけを見て無理と判断して帰ってきただけだったが、もしかしたら、あの中にスキャンを遮断するシェルターとかがあって、何処かに学会の環境を構築していたのかもしれない。そうとなれば、もう一回行ってみるのが良いのかも?
 そう思ってまた猿吉とニチタ=アセパラ星に行くか話し合っていたが、その前にまた否定派、つまり、学会員たちとのチャット会があったので、行く前にハルハルを問い詰めてみる事にした。
 しかし、チャット当日。
「おうおうおう、肯定派のアホども! 今日も指導してやるから、そろそろ認識を改めやがれ! カスども!」
 会話の中で一瞬で「アホ」が「カス」に変わるほど口悪く切り出したのは、言うまでもなくハルハルである。
 ハルハルは、ホログラムでは何故かタンプトップにホットパンツと露出度の高い服を着ており、その姿自体、我々を煽ってる感じでムカついた。そしてまた、顔も決まってカワイイので、それもまたムカつく。
 ハルハルの隣には同じく学会員のヨロヒーもいた。コイツは会うたびに男と女の姿で入れ替わって現れており、今日は普通に白い医者のような服を着た男の姿になっていたが、こちらは、いかにも90年代の日本の学者っぽくて、逆にそれがコスプレっぽいっていうか、コスプレだろう。
「やあやあやあ、ヨロヒーでーす! 皆様、ニチタ=アセパラ星には来なかったようですな。残念ですな。マルマル氏には、お二人が行くからよろしくと言われていたのですが。ぷくくくく」
 ヨロヒーがそう言うと、我々より先に、すぐさまハルハルの方が反応した。
「はあ? コイツらに住所教えたのかよ。何でだよ?」
「いや、住所までは教えてないですよ。ニチタ=アセパラ星に学会がある事を教えただけですよ。まあ、結局、来られなかったんですけどね。ぷくくくく」
 そう言いながら、面白そうに顔を歪めてヨロヒーが笑い出した。
 ふはあはははあっっはっっはっはっはっは!
 ヨロヒーはよく分からない声で急に笑い転げて、一人で爆裂に受けていた。何だ、コイツ!
 それを見て、我々の腹は煮えくり返っていた。
 ふヒャヒャヒャヒャ! ヨロヒーはまだ笑い続けている。
 学会員、マジでろくな奴がいねえな!
 その姿を見て、私は心に誓うのであった。
「こんな奴らの言う事、絶対、聞けねえ! 聞けるわけねえ! やべえ! コイツらの言う事は嘘ばっかりだ! やっぱり、日本人は空を飛んでたんだっ!」
 そう思う私の前で引き続きヨロヒーは笑い転げていた。つられて、ハルハルもおかしくなってきたようだ。
「はっはっは。何だよ、お前ら、実はニチタ=アセパラ星に来たのにすごすご帰ったんじゃね? だせえ! クソだせえ! はっはっは。流石、お前ら、リテラシー、低すぎぃ!」
 こう言って、ハルハルも腹を抱えて笑い出していた。そして、笑った時に少し足が上がってパンツが見えそうになっていたので、猿吉がそこをじっと凝視していたが、やめろ、猿吉! それも猿吉なりの攻撃なのかもしれないが、それは不味い! やめろ! やめてくれ! 私がそう思っていると案の定
「猿吉ー! お前、私の足の付け根見てただろ! ばーかばーか! パンツなんか見えるわけねえだろ! ホログラムだぞ!」
 そう言って、ハルハルが猿吉をバカにして、その瞬間、猿吉は走って消え去ってしまった。
「猿吉ぃ!」
 ひどい、余りにもひどい。今まで事の真偽で言い争いになった事はあっても、こんなにバカにされたのは生まれて初めてだ。屈辱! コイツら、マジでクソだな。こんな屈辱を受けてまで、コイツらと会話する価値など無い!
「おい、お前ら! 他人をバカにするのも大概にしろよ! もうお前らと話す必要も無いからな! 絶好だ!」
「おお、願ったり叶ったりだね。真実も受け入れられない蛮族に真実を教えるのは、やはり無理だったようだな。これに懲りて、もう凸してくんなよ! 迷惑だから!」
 そう言って、ハルハルはホログラムの唾をこちらに吐きかけて、しっしっと我々を追い払うような仕草をしてきた。
 くそっ!
 何だってんだ! 私たちが何をしたって言うんだ! いや、凸しようとしたけどさ。
 冷静に考えると、我々は実際のハルハルに凸して、いろいろ問い詰めようとしていたので、向こうが恐れて煙に巻いたのも仕方ないのかもしれない。しかし、インターネットで人々が交流するようになって、かれこれ400年弱。人類は全く成長せずに、嘘と真実の狭間でこうして人間関係を崩してしまうのかと思うと全く情けない事しきりであった。
「はぁ。何で、嘘を言っている学会の方が権威があるんだろうなぁ。自分の無力を感じるわ。あんなに勉強したのになぁ」
 そう思い返して、今までの勉学を無駄にしない為にも我々は『空は飛べた派』の仲間を増やすべく地道に活動をしていこうと思い直した。
 こうして私はまた猿吉と合流し、宇宙中のフォーラムをめぐり、地道に仲間を増やしていった。
 そして、1年後。

 地道な活動の成果もあって、仲間は次々に増えていった。我々はハルハルとのやり取りの反省から物腰を柔らかくして聞く耳を持ち、粘り強く相手を説得できるようになっていた。もちろん、最後の部分の空を飛べた歴史を覆す事は無かったが、それ以外の部分ではなるべく譲歩して他人と合わせるようにした。
 こうして我々の活動は徐々に実りはじめ、反対にハルハルたち学会員は性格の悪さが祟ったのか、徐々にその支持者を減らしていった。
 各国政府の歴史委員たちも今年度から票につながらないからと空は飛べてなかった説の歴史を書き換える国も出てきて、我々の活動が徐々に実っていったようだ。
 こうして一時、学会によって覆ってしまった90年代の定説はわずか2年の間に元の常識へと盛り返しつつあった。
 勝った!

 そもそも90年代の日本人は空を飛べていたのだから、これは必然の勝利であろう。この100年以上続いた定説が、ハルハルだのヨロヒーだの、あのクソみたいな学会員たちに一時でも覆されたのが本当に腹立たしい。まだ半数以上の国は学会の説を採用し続けているが、これもまたいずれ元の定説に戻るはずである。

 やはり、活動というものは地道に行うのが近道なのだな。
 そう思った我々は気を緩めないように地道な活動を続けようと猿吉と誓い合った。が、そんな私たちの元にハルハルが面会を求めてきた。
「こんにちは。ハラキ=リオ、猿吉。以前はバカにしてすまなかった。一度きっちりお前らと話し合いたい。どこかで会えないか? 素の姿で会ってやっても良いぞ」
 そう言うハルハルのホログラムは珍しくロングの黒髪とスーツ姿で90年代の就活生のような格好をしていた。少し態度もしおらしく顔も幼げだ。その姿に横で猿吉がとても興奮していた。
「どうする? 猿吉。会ってみるか?」
「会いましょう、ハラキしゃん。僕、就活生ルック大好きです」
 あれだけ馬鹿にされたのにそれを気にもしない様子で猿吉はそう言った。流石、猿吉、過去を水に流す男よ。でも、良くないぞ、そういうの。本当に良くないので他人を見た目で判断しないで欲しい。という、その心をグッと抑えて私は猿吉と共に素のハルハルに会う事を決めた。
「よし! 会おう! 折角だから学会で会おう! まずハルハル氏に伺いたい。学会は本当にニチタ=アセパラ星にあるのか?」
「無論だ。座標を送る。そこで会おう。学会に出席してくれ」
 ハルハルはそう言うと、ニチタ=アセパラ星にある学会の位置をこちらに送ってきた。これを見ると、その場所はニチタ=アセパラ星の中というよりも衛星のように回ってる500メートル程度の小さな丸いシェルターの中に学会があるようだ。なるほど、小さい。これでは星をスキャンしても出てこないわけだ。
「ここに本当に学会があるんだな」
「嘘じゃない。今度こそ本当だ。学会に来れば、そこで人間が空を飛べない根拠がつぶさに見られるだろう。そこに来てもらえれば、俺たちとしても願ったり叶ったりだな」
 ハルハルはそう言ったが、じゃあ、何でそもそもすぐに会わずに我々を煙に巻いたのか? そういう所が頭に来るが、まあ直接会えるんなら、その時こそ、こちらが正しい事を証明してやろう! そう思って、ここはグッと気持ちを抑えて我々も前に進む事にした。
「よし、行ってやる! 学会に行ってやるぞ!」
 こうして私と猿吉はニチタ=アセパラ星に向かった。

 学会の所在するシェルターは座標と照らし合わせてすぐに見つかった。中に入ると90年代の渋谷センター街のような街並みが再現されていて、ちょっとテンションが上がった。
「すげえな、ここ。渋谷じゃん」
 学会はハチ公前の交差点の向かいのビルの中にあり、中には90年代の本やDVDがぎっしり並んでいて、それにもまたテンションが上がった。
「どうだ、すごいだろ」
 DVDタイトルの数々に興奮していた我々の前に現れたのは、誰あろうハルハルだろう。タンクトップにホットパンツ姿は前にホログラムで見た通りの見た目である。
「おお、ハルハルか。お前、素の姿でも、その格好なんだな」
「ハルハルしゃん。良いです。可愛いですー」
 私の言葉に続けて、猿吉がまた気持ちの悪い事を言ったが
「いや、私はハルハルではない。萬八之助(よろずはちのすけ)である。私は学会員にして純日本人の末裔じゃ」
 と前にホログラムで見たハルハルの姿をしていた男は萬八之助と名乗った。
 別人か?
「純日本人の末裔? ハルハルじゃない? じゃあ、ハルハルは何処にいるんだ?」
 日本マニアの私は初めて純日本人の末裔に会えた興奮とハルハルの姿がハルハルじゃないという戸惑いで少々パニックになってしまっていた。
「ハルハルは俺だよ」
 そして、その頭を冷やすかのようにそこにハルハルがやってきた。その姿はなんと白衣を着たおじさんで横にいる猿吉が露骨にガッカリしたような素振りでこう言ってしまった。
「ハルハルしゃん、おじさんなのー。ガッカリじゃーん」
 猿吉、アウトーー!
 この時代、性別が見た目で分かる事はあり得ないが、社会通念上、見た目で分かる性別と自分の性別を合わせている人が多いので、猿吉のように口を滑らせてしまう奴もまた多い。しかし、今までの傾向からハルハルは明らかに女性で、つまり、おじさんでは無いのに猿吉が完全に容姿で「おじさん」と言ってしまったので、私は心の底から猿吉の発言に頭を抱えてしまっていた。これを当然のようにハルハルがたしなめた。
「猿吉、俺はおじさんじゃねえから。女性だから。今まで散々、話してきただろ。いきなり見た目で判断しないでくれる?」
「しーましぇーん」
 猿吉は言われるなり縮こまったが、これは場合によっては訴えられる所であり、反省すれば済む話ではない。猿吉、軽率な奴よ。何でお前はいつまでもそう軽率なのか。90年代の文化に染まりすぎていて、90年代思考が頭から抜けないのではないか。私はそう思いつつ、ハルハルの方を見たが、彼女は、まあまあという態度を取っていたので、事が荒立たなかった事にホッとした。そして、話を続ける事にした。
「しかし、我々の知るハルハル氏は萬氏の容姿だったが、これはどういう事なんだ? 戸惑うぞ」
「なあに、ちょっとしたシャレですよ」
 と、萬氏が答えると
「そうそう。ホログラムだから何でも良いだろ。俺だって、たまには可愛い格好したかったから、萬氏の見た目を借りたんだよ」
 続けてハルハルがそう言ったが、まだこれがハルハルだという事にどうも慣れない。というか、声の方も萬氏の方が我々のよく知るハルハルなのであるが、ハルハルは全く知らない声なのに話し方が完全にハルハルなので混乱する。
 これだから、生身は嫌なんだよ!
 そう思っていると、今度はぬっとこれまた見た事ない白衣の美女が唐突に現れた。
「どうもー、皆様。ヨロヒーでーす。やあやあ、よく来たね。ぷくくく」
 ヨロヒーもまたホログラムでは容姿を変えていたようだ。前に女性姿のヨロヒーを何度も見ていたが、生身だと、その時とも全く違う容姿になっていて、これが本当の姿なのだろうか。うーん、なんてややこしいんだ。これじゃ、まるでホログラムと全く同じ姿の私と猿吉が馬鹿みたいじゃないか! そう思う私の横で
「ヨロヒー、よろしくねー。綺麗でしゅねー」
 と猿吉が挨拶した。いや、お前は本当に容姿の事ばかり言うなぁと思って、私はまたしても頭を抱えたが、しかし、ヨロヒーは
「あら、ありがとう。綺麗って言われて嬉しいわ。ぷくくく」と言ったので、そういえば、ヨロヒーは容姿を褒められると喜ぶタイプだったなぁと思い出した。ていうか、コイツ、どの姿でもいっつも笑ってて、本当にイラつくなぁ。まあ、いいや。コイツは無視しとこう。と思った所でみんな揃ったので、私は本題を切り出すべく、こう声をあげた!
「来たぞ、学会員! 90年代の日本人が空を飛んでいた事を私が証明してやる!」
 そう言って、私は私の持つ資料の数々をプレゼンテーションしようとカバンに手をかけたが、しかし、ハルハルがすぐさまそれを遮った。
「おいおいおい、ここは学会だぞ。俺たちの方にプレゼンさせろよ。すげえ資料が目白押しなんだぜ。見てえだろ」
 そう言って、ハルハルが手招きして、私たちは会議室と書かれた部屋に連れられていった。

 中に入ると、そこは90年代の渋谷の単館系映画館のような佇まいで、こじんまりとしながらも大きなスクリーンがあって、そこで資料映像を見られるようになっていた。
「まあ、まずは見てくれよ。90年代の貴重映像の数々をさ」
 ハルハルがそう言ってから数日間、私たちは来る日も来る日も90年代の映像を見続けた。
 初日は向こうのセレクトによる日本各地の街並みの映像や90年代の医療現場やカルテのスライドなどを集めたものを見せられたが、しかし、それは眠いので、次の日からはDVDの棚を漁っては見たい映画やドラマを物色して見せてもらえるようになった。それはいくら探しても我々には見つけられなかったマニアックな映像の数々で、こんなに大量の映像を学会が持っていたなんて、遠隔でやり取りしていた時は思ってもみなかったよ。ずるいぞ、学会! なんて至福のライブラリーだろう。

 こうして映画を見ながら、私は不覚にも学会員と徐々に距離を縮めていってしまっていた。しかし、その核となる「空を飛べたかどうか」の議論についてはお互い歩み寄る事はなかった。
 いや、実際には、私は少し心動かされていたのかもしれない。
 というのも、映像を見ると、中には空を飛んでいる人物もいたが、それは明らかにトリックで飛んでいるようだったからだ。私は子供の頃、当時の漫画やアニメを見て昔の人が空を飛んでいるものとばかり思って育ってきたが、どうやらあそこまで綺麗に空を飛ぶ映像は実写では残っていないようだ。私は、空を飛ぶ人間を探して来る日も来る日も映像を見続けたが、いつまで経っても、マトモなそれと出会う事はなかったので、内心、焦っていた。そして、猿吉は、もはや明らかに完全に考えを変え始めてしまっていたようだった。
「ハラキしゃーん。みんな空、飛んでましぇんねー。恋愛ドラマとか本当に飛びませんねー」
「いやいやいや、いくつか飛んでるのあっただろ。ちゃんと見ろよ。私もいくつか指摘したじゃん」
「あれ、全部、合成でしたよねー。90年代、合成、下手だから分かりやすいですよねー」
 こんな感じで遂に猿吉は90年代の「空を飛んでいた人たち」の存在を疑い始めていた。横で学会員たちがニヤニヤとこちらを見てくる。くっ、分が悪い。これだからアウェーは嫌なんだよ!
「いやいやいや、猿吉。生身で空を飛ぶのは何らかの条件があるのかもしれないぞ。90年代、泣きの演技も目薬をさしてやっていたって言うじゃないか。それと一緒だよ。所詮、映画やドラマはフィクションだからな。惑わされるな。次はニュースを見てみよう」
「いや、ニュースは嫌ですー。つまんないですー」
 そう言う猿吉はもはや完全に90年代の文化をただ単に楽しんでいるだけの奴になっていた。そして、私もニュースを見ては眠くなってしまうので、やはり、映画やドラマの方が面白く、ついついそっちを見てしまう始末であった。というか、もうこの際、事の真偽はどうでもよくなっていて、早く連続ドラマの続きを見たい気持ちの方が勝ち始めていた。そして、我々は途中から単に90年代文化を楽しむだけの会の人たちと化していた。
「いやぁ、やっぱり、90年代ドラマは良いねぇ。最高だな」
 もはや3ヶ月ぐらい居座って、映画やドラマばかり見ていた私はすっかりこの夢のような状況に浸って、そう呟いていた。
「良いよなぁ。90年代トレンディドラマ。俺もあの時代にオフィスラブしたかったぜ」
 ドラマを見終わった後、ハルハルはそう言ったが、生身だと見た目が小太りのおじさんだったので、それはちょっとあの時代に生きていても無理なんじゃないかなぁと私は思ってしまっていた。いや、もちろん、それは失礼すぎるので、思ったのは心の奥底だけで、口には出していないのだが。
「ははは。やはり日本のドラマは素晴らしい。私も純日本人の末裔として誇らしいぞ」
 そして、萬氏もこんな調子で常に純日本人の血をアピールしてきたので、若干めんどくさくなってきた。
 こう言う二人の横でヨロヒーは爆睡していた。あまりドラマが好きでもないらしい。その寝顔をドラマそっちのけで猿吉が眺めていたりするんだけど、何をやってんだか。

 こうして我々は学会員と共に時を過ごしたが、結局、私は生身の人間が空を飛ぶ姿を探し当てる事は出来なかった。しかし、それでも、それは映像の中だけの事なので、やはり、私は考えを改める気にはなれなかった。
 昔の人間は果たして空を飛んでいたのか否か?
 まあ、飛んでいたとは思うけど、その存在を証明するのは難しい。結局、こんなものは映像で証明できるものでも無いのだろうというわけで、ここはもう諦めて、もう飛んでいたと確信した事にして、私はそろそろ帰る事に決めた。
「猿吉、そろそろ帰るぞ。結局、90年代の日本人が空を飛んでいた事もはっきりしたしな」
「え? はっきりしたんでしゅか? どこではっきりしたんでしゅか?」
「そりゃ、映像を見たら、はっきりしただろう。誰の目にも明らかだな。飛んでる人いたし」
 そう言って、私は合成で飛んでいる人の例でお茶を濁して、90年代の人間が空を飛んでいる事にした。
 まあ、正直ここに来て、もしかしたら飛んでいなかったかもと思い始めてしまっているが、今更、意見を変えるなんてあり得ない事だからしょうがない。そもそも元を辿れば、これも我が祖国ノハマロクステインの教科書にずっと書いてあった事なんだし。公教育で教わった事がそんなに大きく間違ってる事も無いだろう。そう思って帰ろうとすると、そこを納得のいかないハルハルが遮って、こう言ってきた。
「おい、ハラキ=リオ! 前にもホログラムで見せた事があるが、もう一度、この90年代の人体解剖図をよく見てみろ。医療現場の映像も見ろ。どうだ? この構造の何処に空を飛べる要素がある? お前たちは間違っているんだよ! 認めろよ!」
 ハルハルは頑なに意見を変えない私に業を煮やしたのか、最後に私にそう言ってきたが、しかし、私とて、そんなありきたりの意見で今までの意見を変えるわけはない。
「前にも言ったけど、それが本物である証明はないだろう。空を飛べる人だって単に一部しかいなかったんだろうしさ。今まで見た映像だって、本当に90年代のものだという確証はない。まして、ここはお前らの学会だ。我々に見せないように入念に飛んでいる人間の映像を隠した可能性だってある。つまり、話にならないね。無い事の証明は無理なんだよ!」
 そう言って、私は、結局、ハルハルの提案を突っぱねた。しかし、心の底では既に真実がどちらにあるのか朧げに分かり始めていたので、突っぱねてはみたものの今度から少し活動を抑えようと思いつつ、学会を後にした。

 地球に戻り、少し考えを改めはじめた私と猿吉は活動を制限して暇を持て余してしまい、日がな、ぼーっとしていた。この時代、仕事も何も無いので単に90年代のドラマを思い出しつつ、あのオフィスって奴は活気があって良かったなぁなどとぼーっと思い出に浸っていたのだ。うん。暇だな。
 結局、そうした暇な中、周りからせっつかれてる内に私はまた『空は飛べた派』の会合などに参加して活動を始めていた。そうなってくると面白いもので研究の結果、やはり90年代の人たちは空を飛べていたのだなと再び私の中で結論づけられてきて活き活きとしてきた。
 そして、3年後。

 『空は飛べた派』はそのロビイングの成果もあって、徐々に勢力を盛り返し、教科書における説の採用シェアを既に8割型、元の「空は飛べた説」に戻しつつあった。それはつまり、学会の「空は飛べなかった説」は急速にしぼみ始めていたという事である。まあ「空は飛べなかった説」は、あまりにも価値観が変わりすぎて、人々に受け入れ難い話ではあったし。結局、それは一時の珍説だったと歴史に葬られる事になるのだろう。そういう風潮になっていくと、私も結局、やはり、90年代の日本人は空を飛べていたに違いないと安堵し始めた。
 しかし、同時に私はこの達成にもどうにも気分が晴れずにいた。実際の所、本当に90年代の日本人が空を飛べていたのかどうか、もはや既に分からなくなっていたからだ。実際の所は飛べていなかったとしたら、私は学会員たちにとんでもなく酷い事をしてしまったのではないだろうか?

 いや、真実かどうかは、やがて時が判断していく事になるのだろう。
 というと、今の教科書の採択の趨勢を見て、この先、空を飛べていた派が主流になるとしか思えないが、先の学会のように何か根拠のありそうなデータを揃える一派が現れたら、その時はまた覆っていくのかもしれない。
 全ての虚実が入り混じるこの時代、真実を探し当てるのは難しい。
 まして日本のようにもう既に無い国の事など、気にしているのは実のところ、ほんの一部のマニアの人たちのみなのだ。それを政治的な問題にして、出来るだけ拡大していくのが我々の役目であろうとしても、まあ、そもそも膨大な量が載っている教科書の隅のほんのちょこんと一行だけ載っているこの事実の真偽なんて、99パーセント以上の人たちには何も興味のない出来事なのだろう。であれば、我々は一体、何をこんな事にムキになって争っているというのか? それは過ぎてしまえば、全てが虚しく感じられるものだろう。

 しかし、私にとって良かった事と言えば、活動の最中に学会員たちと仲良くなり、学会の在処で、たまに90年代の映画やドラマを見せてもらいに行けるようになった事だろう。いや、それだけに説が覆って学会の人たちには申し訳ない気持ちもあるのだが、しかし、実際のところ、90年代の日本人は空を飛べていたんだから、それはしょうがないよな。
 ていうか、何で学会の人たちはあんなに頑なに説を否定するんだろうな。無い歴史をアピールしても、予算も出ないだろうし。政治的にも良い事は無いだろうに。全く変な人たちだ。
「バーカ! アーホ! 90年代の日本人が空を飛べてたわけねえだろ! この未開人どもが!」
 このハルハルの言い草はそれでもこの先止まる事は無かった。
 それは他の学会員たちも同様だった。
 いや、全く、学会員たちは、口も悪いし。態度も悪いし。妙に頑固で損な人たちの集まりだ。

 こうして我々は学会員とは真の意味で分かりあう事は無かったけれど、常に平行線のまま、その後も話し合いを続けていた。というより、彼らと我々はしょっちゅう頻繁にドラマを見る仲になっていて、それでも結局、我々の意見は最後まで交わる事は無かった。
 ま、真実を信じる人たちはいつも厄介だという事で。

 いや、それは我々も一緒なので、しょうがないのだろうとは思うが、真実を明らかにするのはこんなにも大変なのかと思いつつ、今日もまた全く意見の交わらない我々が一緒に同じドラマを見ているのであった。

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