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短歌 一階の砂かけババアの生活のすべてが運び出されゆく春


一階の砂かけババアの生活のすべてが運び出されゆく春

 実家のマンションの住人で、変わり者のおばあさんがいた。仮にS原さんとする。
 S原さんは話好きで、一度つかまると長くなるので、マンションの住人たちからは親しまれながらも敬遠されていた。いつも共用スペースの水道で野菜を洗ったり、自分の部屋の前でなにか作業をしたりしていたS原さんとの遭遇率は高く、子供の頃はマンションの階段や共用スペースでS原さんの姿を見かけると、話しかけられないようにコソコソ隠れていた。S原さんはただの話好きのフレンドリーなおばあさんというわけではない。私を見つけて「あら●●ちゃん!」と言う時の目つきはどこか鋭く射るようで、声には皮肉が含まれていたし、私の兄が共用スペースに無断駐車していた自転車にバケツで水をぶっかけたりするような人だったので、影では兄と二人して「S原のババア」と呼んで憎まれ口をたたいていた。
 私も兄も成人して東京で暮らし始めてからは、実家には年に一回帰るか帰らないかになった。それでもたまに帰った時には必ずといっていいほどS原さんに出くわし、そのたびにS原さんはあの目つきでこちらをジロジロ眺め回して「あら●●ちゃん大きくなったわねえ」と声をかけてきた。なんだかんだ言ってマンションの住人たちの中で一番よく話したのはS原さんだ。他の住人もみんなそうだっただろう。
 いつだったか帰省したときに、最近S原さんを見かけない、と母が言った。施設に入るか死んだかしたかねえ、と。アラサーの私が子供だった時分からババアだったS原さんは、今ではかなりの高齢になっているはずだった。いつしかS原さんの部屋の前から表札が外され、郵便受けは塞がれた。それでも引っ越した様子はないので、ドアの向こうには変わらずS原さんが30年以上暮らしてきた部屋があるはずだった。
 ある日、ずっと閉ざされていたS原さんの部屋のドアが開け放たれ、トラックが何台もやってきて、業者の人たちが一日がかりで部屋の中の家財道具を外に運び出した。いくつもの空っぽの戸棚、洋服がゴミみたく詰められたたくさんのビニール袋を、もうあとは捨てるだけのものを運ぶ手つきで、バイトの若者がかるがるとトラックの荷台に投げた。夕方になると、そのままでは運搬が難しい大型の戸棚類を数人がかりでバラバラに壊して、細切れの板にしていた。引っ越しの業者か、遺品整理の業者かわからないが、日が沈む頃にはS原さんの数十年間の生活をまるまるトラックに積んで行ってしまった。ついに、本当に空っぽになってしまった部屋をあとに残して。

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