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椎名林檎の「俺の女感」は異常

椎名林檎に出会ったのは中学校1年生の時。それまでは宇多田ヒカルに心酔しきっていた私に、ある友達が勧めてくれたのがきっかけで聴くようになった。はじめのうちはその表現手法のクセと、これまで宇多田ヒカルを至高の存在として愛聴してきたプライドみたいなものが邪魔して、林檎さんの曲をすんなり聴くことができなかったものだが、今ではすっかり2大歌姫として崇め奉っている。
いや、歌姫どころの騒ぎじゃない。もはや私の中では、この二人が日本音楽界の金剛力士像的な立ち位置である。阿吽の金剛力士歌姫だ。

椎名林檎の魅力はなんと言っても「俺の女感」である。彼女には、「この歌詞の意味を、この歌い方のわけを、この表情の奥底を、この人の心を、真に理解しているのは私だ!」と、全てのファンに思わせてしまうような魔力がある。
大学1年で「好きなアーティストのライナーノーツを書く」という授業を受けた時はこの辺りについて、「特異な言葉遣いや固有名詞の多用からなる抽象的な表現が、聴き手の意識世界に勝手にアジャストすることが一因だ」といったようなことを書いた覚えがある。わかるわかる。わかるよ、当時の私ちゃん。全体的に何言ってるかわかんないのに、店の名前とか車、ギター、道路の名前はやけにそのまま入るから、場面設定あり台詞・ト書きなし妄想が捗るよね。若い時の林檎さんは、少し不安定で、だけど情熱的で、自信家で冷めてんのかと思ったら寂しがりやな側面もあるガール。今の林檎さんは、酸いも甘いも噛み分けて成熟し、プライドを持って人に尽くすことができる、でも茶目っ気を忘れないレディ。全ての曲にこの人が出てきて、相手役に自分を入れてみる贅沢。はー素敵。

結局椎名林檎の場合は、椎名林檎という「人」に惹かれている部分が大きい。私が彼女の曲を聴くとき主人公はいつだって椎名林檎その人で、自分は椎名林檎の連れ合いの誰かになっている。しかも「彼女」ではない。恐らくそんな単純な名で表してはいけない感じなのだ。(わからん)
そしてそれでいくと宇多田ヒカルは「楽曲」が軸だ。彼女の歌を聴くときは、主人公が「聴き手である自分」になることが多い。良くも悪くも宇多田ヒカルという人物の個性は、曲の世界観の中では薄まっているように感じる。

言うなれば宇多田ヒカルが「店の暖簾に客をつける老舗居酒屋」であるのに対し、椎名林檎は「ママに客をつける銀座のクラブ」といったところだろうか。(?)それにしても最強の阿形と吽形である。

この2人が立ち続けている限り、日本の音楽シーン、ソロで活動するシンガーソングライターの核は、守られていくのだろうと思う。(何様)

#椎名林檎 #音楽 #宇多田ヒカル

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