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「課題の分離」責任・主体は誰か【アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する"#5】

 今回扱う「課題の分離」は『嫌われる勇気』で示された考えの中でも、かなり広まった言葉です。実は、この語は日本発祥です。
 じゃあアドラー心理学ではないのかというと、そうとは言えません。個人心理学は原典主義とは遠いですし、これまで紹介した考えもドライカースなど後年に発展したものを含んでいます。この「課題の分離」もアドラー心理学の1つと言えますが、その成立の過程を知っておくとより理解が深まるので今回その点も扱います。
 なお『嫌われる勇気』は翻訳出版もされており、「課題の分離」の語は英語版では"Separation of Tasks"です(文献①)。この語はアドラーや主な弟子の著書にはなく(文献②)、英語でアドラーとして言及があれば『嫌われる勇気』の影響と見ていいでしょう。


1.自分と相手の課題を区別する

 AさんはBさんが不機嫌に見えます。何も言ってきませんが、明らかにイライラしています。Aさんは困り、機嫌を取ろうと「お菓子を買ってくる」「家事を手伝う」などします。しかし、機嫌はよくならないどころか「食べたくない」「下手、1人のほうがマシ」と言います。Aさんは「私はあなたのためにこれだけしているのに」というと、Bさんは「そんなこと頼んでいない」と口論になりました。
 ありがちな話です。これを課題の分離では、不機嫌は相手の課題なので放置すべき、とします。自分が何かしてしまったかもしれないし…など抵抗感はある人もいるでしょう。優しい人ほど自分に原因を探したり、自分が相手の問題を解決しようと行動しようと考えます。しかし、それでは自分に負担がかかりますし、相手は自身の責任を放棄するようになります。
 負担は理解しやすいですが、責任という言葉は注意が必要です。この事例で不機嫌なのは、AさんではなくBさんの責任。不機嫌を解消するのはBさんです。この「責任」とは、responsibility(これから起こることに対する責任)であり、accountability(すでに起きたことに対する責任)ではありません。なぜ不機嫌になったかという原因論的な責任問題ではないのです。
 きっかけが何であれ、不機嫌のままか機嫌をなおすか、これからの行動の選択権はBさんにしかない、ということです。

2.過干渉しない、相手の全ては抱えられない

 関わらないと言っても、Bさんが「なんで無視する」「どうしたのって聞いてよ」って言ってくることもあります。しかし、そこで構うと、相手は「不機嫌は態度に示しておけば、ちゃんと伝えなくても構ってくれる」と学習します。Aさんはますます疲れ、Bさんははどんどん甘えて楽をしていきます。責任もとい主体性を放棄して甘え出す、構ってほしいという目的を果たすため不機嫌になるようになっています。
 完全に無視を決め込む必要はなく、「相手がちゃんと言葉にしてきたら聞く」という感じで、過干渉しないことが大切です。
 実際には、不機嫌な人は面倒ですから「干渉したほうが自分が楽」な場面もあります。これが不機嫌のずるいところです。しかし、一方的に課題が押し付けられる関係性を築くことは、長期的に考えて損です。後の弊害を考えると、干渉を踏みとどまることも大事なのです。

 どんなに干渉しようと、相手を思いのままに動かすことはできません。多少動かせたとして、相手が過度に依存し自分なしでは何も出来なくなれば、負担は凄いことになり、精神的にも参ってしまいます。
 課題の分離の考えは、カウンセリングなど臨床上も重要とされます。クライアントの目標は、カウンセラーなしでは生きられない状態ではなく、主体的に動ける状態です。

アドレリアン・カウンセリングで課題の分離が重要となるのは、次のような理由からである。カウンセラーは、クライエントが自己決断と自己責任をまっとうし、他者の課題に不当介入することなく他者との協力関係を形成していけるように、クライエントを勇気づけていく。そこで、どの仕事には誰が責任をもつか、という責任の所在を同定していき、他者の課題に不当介入することなく、最終的には、クライエントが自分自身の課題を見つけだしていくことが重要となる。また、自らの課題を他者に押しつけてしまわないことも重要となる。このような理由から、課題の分離が不可欠となるのである。

出典:鎌田(2002)pp.75-76(文献③)

3.他人にも自分の課題に踏み込ませない

 他人の課題を抱えないと共に、他人にも自分の課題に踏み込ませないことも大切です。これは援助を断って独力でという意味ではなく、この道に進むという方向は自分で決めた上で必要な助力を求めるということです。全ての選択を他者に委ねるな、ということです。
 典型例は職業選択です。周囲が決めた道では、うまくいっても周囲の「おかげ」、失敗しても周囲の「せい」になる。自分が決めれば、失敗しても自分の責任で次はこうしようと考え、成功すれば心から喜べます。自分の人生は自分の課題と言えます。
 この例も他人の話を聞くなという話ではなく、最終的に自分が判断し行動するということです。あなたの人生はあなたが生きる、他者の人生を抱えて自分を失うことはありません。自立とも言い換えられるでしょう。
 注意として、ここまで述べてきた責任や課題とは、全て主体的に自己決定した際の行動や選択の話です。外から押し付けられた責任や課題ではありません。

4.「課題の分離」成立まで

 内容面は以上ですが、先述した成立の背景を述べていきます。
 「課題の分離」概念を整理した八卷(2020)によると、近い内容はドライカースと協力してディンクメイヤーが60年代開発した子育てトレーニングプログラムSTEP(文献④)にあります。この中の"The Concept of Problem Ownership"(誰にとっての問題か考える)という節が、子どもの問題か親の問題か分けて考えるという内容です。問題の"オーナーシップ"という語は、ここまで述べてきた考え方にしっくりきます。

 そして、「課題の分離」の文言が明確に出るのが、初代日本アドラー心理学会会長である野田俊作(1948-2020)の親子関係トレーニング・プログラムSMILE(1987)です。子どもの問題か親の問題か分けて考えるという内容であり(文献⑤)、STEPの影響が考えられます。
 もっとも、野田氏のHPでの言及がドライカースが出典だ(2017)とも、自分が考えた(2016)ともありややこしいのですが…。まあドライカースの影響ありつつ用語は考えたという所と思われます(※)。

 他にも、以下のドライカースの引用が「課題の分離」を示しているとする書籍もありました(文献⑥)。

One of the fundamental prerequisites to a solution is the recognition that the only point at which either one can start is with himself. No other basis for successful and effective action can be found.
問題を解決するための基本的な前提条件の一つは、解決を始めることのできる唯一の地点が自分自身であることをどちらかが理解することです。成功が見込める効果ある行為の基盤は他にはありません。

出典:D. Rudolf(1964) pp.145-146、訳前田(1996)(文献⑦)

 以上が「課題の分離」の考え方と成立経緯です。ただ、これを他者に介入せず自己に介入させず、嫌われることを恐れず自己を貫くとするとキツイです。「他人のことを抱え込み過ぎて苦しまなくていいよ」くらいでいいと思います。
 他人の課題を抱えないことは、他人に「自分にある課題から目を背けるな」と示すことにもなります。逆に、不機嫌とかで相手に無理やり自分の課題を押し付けないよう気を付けたいです。

(次回へ続く)

【注釈】

※野田氏のHPでの発言は以下の通りである。省略すると省かれる文脈や雰囲気も出てくるので、資料的価値も鑑みて長いが該当部を引用している。

アドレリアンはおおらかなので、誰が作ったとか誰が最初に論文に書いただとかにあまりこだわらない。みんなの共有財産でいいじゃないかという感じだ。役に立つものは残っていくし、役に立たないものは忘れられていく。それにまかせておけばいいと思う。ところが、大学の先生たちは、そこのところで権力追求をしているので、「この概念は最初はどこに書いてあったんですか?」というようなことにこだわって、私のところに聞きに来る。たとえば「『課題の分離』って、アドラーはどこに書いているんですか?」って尋ねたりするんだけど、どこにも書いてないですよ。だってあれは私が言いだしたんだもの。アメリカの人たちは「誰の責任か (Who's Responsibility?)」と言ったりするけれど、それでは日本人にはわかりにくい。それで、日本語の特性に合わせて、「誰の責任か」を「誰の課題か」に言い換えた。これだと日本人は得意だ。そこから「課題の分離」と「共同の課題」という考え方が出てきた。つまり、「課題の分離」も「共同の課題」も、私が言いだした概念だから、アドラーやドライカースがどこかに書いているわけがない。でも、「私が最初に言ったんだ」と誇示する気もない。そんなことをするのは、ニーチェやアドラーの言葉使いを借りるなら、「権力への意思」であり、自己執着だ。誰が言い出したのでもいいじゃないの。アドラー心理学の文脈にちゃんとはまっていて、しかも役に立つなら、それで十分だ。

出典:野田俊作の補正項2016.2.21(文献⑧)

ついでに、「課題の分離」についても、岸見氏は出典をあきらかにしないで、まるでアドラーの言葉であるかのような説明の仕方をしておられる。ある「セミナー屋」さんがこれに反発して、「自分のところでやっている育児プログラムが原典だ」と主張していた。あのね、その育児プログラムは私が書いたことも言った方がいいですよ。もっとも、私が「課題の分離」という概念を発明したわけではなくて、出典はドライカースだ。ドライカースはものすごい多作だったので、初出がどれかと言われると困るのだけれど、近く創元社からドライカース&ディンクメイヤー『子どもにやる気を起こさせる方法:アドラー学派の実践的教育メソッド』が復刻出版されるので、そこらあたりを読んでいただくと、本来どういう使い方がされていたかは、おわかりになると思う。ともあれ「課題の分離」→「共同の課題」という流れは、オリジナルはドライカースで、それを私が日本人にわかりやすい言葉に翻訳して説明したのを、岸見氏が出典を明記しないで、しかも説明の後半部分をカットして紹介されたので、問題が生じたわけだ。

出典:野田俊作の補正項2017.2.11(文献⑨)

【参考文献】

①I. Kishimi & F. Koga "The Courage to Be Disliked" Atria Books, 2018
②八卷秀「『課題の分離』を再考する―包括概念としての『課題の分担』の提案―」『個人心理学研究』2(1)、pp. 33–43、2021年
③鎌田穣「カウンセリングにおける課題の分離に関する一試論 -コミュニケーションの矢印を用いた視覚的理解の試み-」『アドレリアン』39、pp.75-80、2002年
④D. C. Dinkmeyer & G. D. McKay "Systematic Training for Effective Parenting" American Guidance Service, 1976(柳平彬訳『STEP 親のためのガイドブック』発心社、1982年)
⑤野田俊作『SMILE:愛と勇気づけの親子関係セミナー』ヒューマン・ギルド、1987年
⑥諸富祥彦『カウンセリングの理論(下):力動論・認知行動論・システム論』誠信書房、2022年
⑦D. Rudolf "The challenge of marriage" Duell, Sloan and Pearce, 1946(前田憲一訳『人はどのように愛するのか―愛と結婚の心理学』一光社、1996年)
⑧野田俊作の補正項 2016/02/21:https://adlerguild.sakura.ne.jp/diary/2016/02/21.html (参照 2023年6月15日).
⑨野田俊作の補正項 2017/02/11: https://adlerguild.sakura.ne.jp/diary/2017/02/11.html (参照 2023年6月15日).

★アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する" 一覧はこちら

<前回>#4 「性格」の呪縛・ライフスタイル
 https://note.com/gakumarui/n/n5467ef6963de
<次回>#6「ほめてはいけない」よりも見下さない
 https://note.com/gakumarui/n/n066f18b9fea7

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