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「あの人が通報するかもしれない」困っている人が目の前にいても助けないのはなぜ?集団心理が引き起こす傍観者効果

こんばんは、ガクセイメディアです。

新学期・新生活がスタートしましたね!みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

私は最近、社会心理学に興味が出てきて、学び直していると「傍観者効果」という言葉を目にしました。

みなさんは、以下の話をご存じでしょうか。

【キティ・ジェノヴィーズ事件】

キティ・ジェノヴィーズ事件とは、1964年にニューヨークで起こった婦女殺人事件。1964年、深夜に自宅アパート前でキティ・ジェノヴィーズが暴漢に襲われた。

近隣住民38人がキティの悲鳴を聞いたり、事件を目撃していたにもかかわらず、誰一人事件に介入しなかった。

暴漢が二度現場に戻り、傷害と強姦を繰り返す間に、誰も警察へ通報せず助けにも入らなかったため、キティは死亡した。


ここで注目すべき点は、近隣住民はキティの悲鳴を聞いたり、事件現場を目撃していたのにも関わらず、誰一人として事件に介入しなかったことです。

目の前で誰かが襲われていたら、一早く助けようとアクションを起こすのが普通だと思われる方は多いでしょう。

しかし、周りに他の人がいたら?

「あの人が通報するかもしれない」
「自分が事件に関わってしまうことが怖い」

と思い、他者に委ね、自分は何もしない人は一定数いるでしょう。

このように、集団でいるほど、事態に対処する行動が抑制される心理現象のことを、「傍観者効果」と呼びます。


私たちは困っている人がいるにもかかわらず、なぜ行動を起こさない時があるのでしょうか。

今回はこの傍観者効果についてご紹介しようと思います。



傍観者効果とは



これは、進撃の巨人71話「傍観者」の一場面です。

この語り手、キース・シャーディスは自らのことを「何も変えることのできない傍観者」だと揶揄します。彼は第12代調査兵団団長であり、退団後は訓練兵団教官として兵士教育に務めていました。

彼の人生を端的に述べれば、彼は自分自身が特別であるかどうかということに固執し、そのために自分や仲間の命を危険にさらしてしまいます。

しかし、何も結果が残せなかったときには「やはり自分は特別じゃなかったんだ」と落胆する。

そもそも私は、何もできなくて当たり前の傍観者だからできなかっただけ。

キースのいう傍観者は、なんだか行動と関係があるように感じました。

先述したように、傍観者効果とは、その事柄を見ている人や同じ空間にいる人(傍観者)が自分以外にもいる場合、率先して行動を起こさない心理の事を言います。

自分が動かなくても誰かが何とかしてくれる。
他の人もやっているから大丈夫。
皆と違うことをして浮きたくない。

人間であれば自然に持つこの心理。この気持ちが、傍観者効果です。


傍観者効果の原因は「きっと大したことじゃないだろう」という思い込み?


心理学研究者ラタネとダーリー(1997)によると、傍観者効果の原因には
①責任分散、②多元的無知、③評価懸念があるとされています。

➀責任分散

責任分散とは、「周りの人と同じ行動をしているのだから、何かあっても自分だけの責任ではなくなる」と判断してしまうことです。

人間は重大な局面で自分が責任を負うことを回避し、ほかの人の行動を当てにする傾向があります。このとき、集団の規模が大きくなるほど、「周りの誰かが行動するだろう」と思い込む傾向が強くなるのです。

〈責任分散の例〉

・あの子がいじめられているのはかわいそうだけど、誰も止めようとしないし、私だって放っておいても何も悪くないし、自分が出しゃばる必要もない。
・自分が率先して仕事をすると今後いろいろ任されて面倒臭くなりそうだ。自分から動くのはやめておこう。


②多元的無知

多元的無知とは、他の人が行動しない=緊急性がないと考え、行動しない、できないことを言います。

〈多元的無知の例〉

・道に倒れている人がいるけど、他の人は気にせず歩いているし、もう既に誰かが助けを呼んでいるかもしれない。私は何もしなくていいだろう。
・路上でけんかが起きているけれど、誰も止めに入っていないから自分が止めなくても大丈夫だろう。


③評価懸念

評価懸念とは、自分の行動結果に対して他者から否定的な評価を得るリスクを心配することです。

緊急事態に直面したとき、「行動を起こして失敗してしまうくらいならば、始めから何も行動しない方がいい」と思う評価懸念により、援助行動が抑制され傍観者効果が起こります。

また、「自分が起こした行動に対して、他の人からネガティブな評価をされてしまうのではないか」という聴衆抑制によっても援助行動が抑制されてしまいます。具体的には、電車やバスでお年寄りに席を譲ろうとしたけれど、断られたら嫌だなと思い、結局行動に移せないという例が挙げられます。

〈評価懸念の例〉

・自分が張り切って出すぎると他の人に調子に乗っていると思われるかもしれない。


いじめから傍観者効果を考える



事件や実験の話だけを聞いても、まだ他人事の様に感じる人もいるかもしれません。けれど、いじめの問題を考えた時、被害者・加害者・傍観者のいずれかを経験した人は少なくないのではないでしょうか。

いじめにおける傍観者効果は、次のように働いていると考えられます。

責任分散→いじめを見ているのは自分だけではないのだから、誰かが止めてくれるだろう。
多元的無知→みんな見て見ぬ振りをしているのだから、助けるほどの深刻性はないだろう。
評価懸念→助けたことで、今度は自分がいじめの標的になるのは怖い。

女子プロレスラーの木村花さん(当時22歳)はSNSでの誹謗中傷により自殺したと報道されました。これは、いじめが事件に発展した事例であり、傍観者効果が働いていなかったと言い切れるでしょうか。

木村さんを傷つける書き込みをしたわけではなく、ただ見ていただけの人達は、加害者とは言えませんか?花さんが、誰からも助けてもらえないことで、自分の価値を見失ってしまったのだとしたら、傷つけたのは、誰でしょう。

森田洋司ほか「日本のいじめ」(1999)


上記の表をご覧ください。

いじめ研究者の森田洋司は、いじめについて考えるための基礎的な枠組みとして、「いじめの四層構造論」を唱えました。これはつまり、いじめには常に、「いじめっ子」「いじめられっ子」「観衆」(周りではやし立てる者)「傍観者」(見て見ぬふりする者)が関わっているという見方です。

この見方にのっとれば、友達に止めてほしいというのは、要は「傍観者」を減らし、言うなれば「通報者」「仲裁者」を増やしてほしい、ということになります。

しかし、厚生労働省の調査によると、日本では小学校から中学校にかけて「仲裁者」と「通報者」の割合が減少し、「傍観者」の割合が増えるといいます。

「傍観者」が増加するということは、頻繁化・長期化しやすい中学時代のいじめを、ますます深刻化させることにつながります。


傍観者にならないため、あなたにしてほしいこと



当たり前のことですが、いじめを受けて嬉しい人など一人としていません。

話を聞いてあげる、大人に助けを求めるだけでも、それがいじめを受けている人の勇気に変えられるかもしれません。

いじめに限らず、まずは行動に移すことが大切です。

しかし私たちにとってその一歩は、とても勇気のいることです。
私は、「私の周りは皆傍観者だ」と考えることが効果的だと思います。というのも、傍観者は「誰かが代わりにやってくれるだろう」という心理のもと、結局は何もしないからです。

最初から、周りの人は何もしないと考えることで、自分の行動に責任が持ちやすくなるのではないでしょうか。

自分の出来る範囲で大丈夫です。 見ているだけ、知っているだけでは何も変えることはできません。見て見ぬ振りから、ほんの少しだけ勇気を持てば傍観者から抜け出す事ができ、誰かを助ける事が出来るかもしれません。


まとめ



今回は、傍観者効果についてご紹介しました。

新生活が始まって、新たな環境に身を置くようになった人も多いのではないでしょうか。

新たな環境に中々馴染めず、孤立している人がいたら、今のあなたはどのような行動をとりますか?

「あの子だけ仲間外れにされているように感じる」
「声をかけても、私の思い過ごしだったらどうしよう」
「でも、他の人はみんな何もしない」

あなたが声を上げることで、助けられる人はきっといるでしょう。



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