見出し画像

LOCAL PRODUCE BOOK (12) 「事業化論_【その①】プロセス編」

さて、書き続けてきたLOCAL PRODUCE BOOKもいよいよ最終章。ラストは事業化論についてお伝えしたいと思います。

まず、【その①】として実例を交えながら「起業に向けたプロセス」について紹介したいと思います。


地域に入り、地域を知り、自分でやりたいことが出てきたり、または他人から求められていることが見えてきたりして、自ら事業化・起業・副業をしようと思った時に、どんなところに気をつければいいでしょうか?
または、何気なくはじめた地域のプロジェクトを長く続けるための収益化については、どのように考えればいいのでしょう?その辺りの問いに応える内容をお伝えできればと思います。

ちなみに、事業化について、もっと簡単にいうと商品やサービスを売って対価を得る「商い」について論じようとすると、これだけで本を1冊も2冊も書けるほど奥が深いものですので、網羅してお伝えすることはできません。また、バリバリの新規事業立ち上げ畑出身でもコンサルティング会社出身でもないので、正当な事業化論は展開できないと思います。

あくまで25,000人ほどの人口のまちに移住し、ゼロから起業してきた自分の経験をもとにした主観的・限定的な話になることを予めご了承いただければと思います(それを言い出すと、このnote全部そうなのですが…)。

さらに、「起業」といってもどのぐらい稼ぐのか、目指すところによって考え方や学べき内容は異なります。自分の状況に照らし合わせながら、必要な内容をキャッチアップしてもらえると嬉しいです。

僕はAとBの中間、ややB寄りかなと。拡大したいという考えはなく、自分がやりたいことが続けられるような状況を作れればと思っています。


ちなみに、自分も含めて遠野へ移住して起業した人々を見るとこんな共通点があります。

最初は地域おこし協力隊などの制度を活用して国から支援を受けつつ、起業する際には地銀から借入を行い、様々な制度を活用しながら自立していっているイメージです。

僕も地域の商工会に入って、支援員の方に事業についてたまに相談してますし(最近も、いい税理士さんいますかね?という質問をしたり)、遠野市や市外の行政の方々などに仕事や事業の相談もしたりもしています。色々な人に助けを借りながらなんとか前に進んでいる日々です。

「売上」のことだけを考えれば、ガンガン大きな企業の仕事を獲りにいったり、広告代理店や印刷会社と組んで攻めていくのでしょうが、それだと東京でやっていたことと同じじゃん、となってしまうので、「地域らしい仕事」と「安定的な売上」の天秤の間を常に揺れている感じです。これはこの先もずっと考えていくことなのでしょう。


軌道に乗るまで3年は必要?

まず、ローカルでゼロから仕事を始める場合は、軌道に乗るまでに3年はかかると思った方がいいです。いや、もっとリアルな感覚でいうと4〜5年ほどでしょうか。移住(またはUターンでも)して土地の人々との関係性をつくるところからスタートすると、思ったよりも時間がないのです。

あるブログで3年間を以下のように表しているのを見かけ、事業づくりでも同じだなぁと参考にしていますが、1年目は「耕作・種まき」、2年目は「水やり」、3年目で「収穫」。4年目はまた「耕作・種まき」に戻り、それを繰り返していくイメージです。

3年目に売上としてお金を得るためには、種をまき、水をやらねばなりません。すべての種が発芽するかも分かりませんし、途中で鹿に食べられちゃうかもしれません。夏場の暑さも冬の寒さも乗り越えなければなりません。

最初から目先のキャッシュを狙わずに、かといってのんびりもせずに、この3年間のサイクルを意識して、着実に動いていくのがいいかと思います。

地域おこし協力隊は3年間、総務省から金銭的支援を受けて活動できる制度。各自治体で募集をしているので、興味ある自治体を見つけたら調べてみるといいだろう。東京にいる時は全く知らなかった。


実例:3年間の過ごし方

それでは、この3年間をどのように使っていたのか、僕の例を紹介します。2016年9月に遠野市の地域おこし協力隊として着任し、2019年8月まで毎月15万円ほどの支援を受けながら活動していました。2019年9月からは完全に自立してフリーランス&法人として活動しています。以下、時系列でお伝えしますね。

① 1年目前半:地域になじむ。関係性構築

最初の半年は、遠野の様々な集まりに顔を出したり、人と会ったり、何かと関係性を構築したような半年間でした。地域の草刈りやお祭りの手伝いもしました。移住直後、温かく受け入れてくださった方もいれば、「あいつら誰?」みたいな冷たい目で見られたりもしました(通過儀礼ですね)。東京での生活から変化が大きく、環境に慣れることも大変で、なかなかうまくいかないことが多く、悔しい思いもたくさんした頃です。


② 1年目後半:フリーランスとして独立。

地域で活動するにあたり、また仕事を重ねていくにあたり、何者なのかを明確に打ち出す必要性を感じたため、このタイミングで個人事業主として開業届を出しました。こんなに早く開業するとは思っていませんでしたが、本気度を示す意味でもしっかりと旗を掲げる必要を感じ、前倒しして用意しました。屋号を「富川屋」と決め、名刺をデザインしてもらい、自作でホームページも作りました。

③ 2年目〜3年目:年間20件ほどの仕事。一切断らずに全部やる。

地域では、仕事が次の仕事を呼んできます。一つ実績ができればそれが名刺代わりとなる。小さな地域だと情報が回るのも早いので、良い流れができれば相談が続いていきます。

実際この期間に頼まれた仕事はそれまでやったことのない領域ばかりでしたが、とにかく断らずに「できます」と答えて、チャレンジしました。また、予算がどんなに少なくても断らずにお受けしました。まず実績を作らないことには次の仕事も生まれません。

④ 3年目〜4年目:仕事を受け続ける。法人化へ

3年目も、引き続き頼まれた仕事をしっかりと形にしていきました。協力隊が終わるタイミングで、地方自治体や大きな企業とも仕事ができた方がいいと思い、これも必要に迫られて株式会社として法人化した。ある程度のキャッシュを手元に置くために借入もしましたが、社会的な信用のためにも法人格は必要でした。

④ 4年目:ツアー、お土産、研修事業を事業化

デザインやプロデュースなどの受託事業、いわゆるクライアントワークだけでなく、自ら売上を上げていく自社事業があるといいなと思い、4年目になってツアー、お土産(オンラインショップ)、研修事業にそれぞれ名前をつけてリリースしました。それぞれの事業で収益が出るように色々と試行錯誤しました(それは今も続いています)。

この最初の3年間、地域おこし協力隊の制度があってよかったなと思う。何も縁もゆかりもない土地でゼロから事業を立ち上げるのはかなり難易度が高い。3年あってもギリギリだったと思う。


上記の歩みは、以下のnoteの記事にかなり詳しく書いたのでぜひ参考にしてください。当時の生々しいブログもそのまま引用しているので、苦悩の様子なども感じてもらえると思います。地域おこし協力隊などのローカルキャリアの参考にもなれば。


振り返ると最初の3年間は本当に一瞬でした。1年目は地域になじむので一杯いっぱいでしたし、ラストの3年目は「本当に、俺一人でやっていけるのかな?」と不安を感じながら現実的な動きをしていたので、実質、事業の可能性を探ったり色々なチャレンジができたのは「2年目」だったなと思います。

ただ、地域おこし協力隊に限った話をすれば、必ずしも全員が起業をする必要はなく、どこかの企業や組織に就職することも全然あり得ますので、あまり思い詰めすぎずに柔軟にキャリアについて考えるのがいいと思います。シンプルに起業に向き・不向きもあると思います。


今回は以上です。
次の記事では、起業や事業化に向けた具体的な手法についてお伝えしたいと思います。今回もお読みいただきありがとうございました!


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?