見出し画像

フジケンってどんな人?|紹介インタビュー

フジケンさんのnoteをご覧のみなさま、こんにちは!
私は〈採用広報お姉さん〉としてフリーランスでライター・カメラマン・デザイナーなどを担当しながら、人や企業の魅力発信をしている アオパン と申します。
今回は、一緒に活動している まんぶさん の持ち込み企画として、キャリアデザインスクール「我究館」館長、フジケンさんのnoteにお邪魔をしています!!

最初に少しだけ経緯を説明しますと、まんぶさんはCEOとしてCareertrackというキャリア形成支援サービスを作っており、そのサービス開発がきっかけでフジケンさんとのご縁が繋がりました。

ふたりとも「自己分析やキャリア自律支援を通じて、人のなりたい・やりたいを応援する人生」を送っており、あっという間に意気投合。
「フジケンさんの面白いキャリアや考え方を、もっと多くの人に知ってもらいたい!」と熱い想いを抱いたまんぶさんによって、わたくしアオパンのところへインタビュー企画が持ち込まれ、フジケンさんにインタビューをするに至ったのです!

これからコーチングなどを通じてフジケンさんとお話をされる方、または、お仕事でご一緒される方が、フジケンさんの魅力を知るきっかけになれば幸いです。
楽しんでいただけたら、ぜひ「いいね」や「シェア」をお願いします👍

ちなみに私とまんぶさんの紹介記事も掲載しておくので、よかったら併せてご覧いただけると嬉しいです🙌

スポーツ大好きマルチリンガル
アフリカ帰りの31歳が辿り着いた「我究」の世界

はじめに、簡単に自己紹介をお願いします。

我究館の館長をしている藤本健司と申します。《フジケン》というニックネームを気に入っているので、みなさんもぜひそう呼んでください。
普段は、我究館として発行している『絶対内定』シリーズなどの執筆活動とコーチング、セミナー登壇をしています。

出身は大阪なのですが、ほぼ千葉県柏市育ちです。
柏といえば、柏レイソル! と言い切っていいかわかりませんが、私の趣味もサッカーで、大学まではずっとプレイヤーとして走り回っていました。
サッカー以外のスポーツも好きで、最近ではゴルフを始めました!
あとは語学を学ぶのが好きです。ネイティブレベルかと言われると極められてませんが(笑)、中級くらいであれば、英語・中国語・スワヒリ語を扱えます。

どんなキャリアを歩んできたのですか?

中学から体育が一番好きだったので、千葉大学教育学部のスポーツ科学課程で学びました。幅広く実技をやったり、社会学やバイオメカニクスなど広く浅くスポーツを勉強できるところでとても楽しかったです。

当時はJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉」やプロ野球の「千葉ロッテマリーンズ」と提携していて、大学とプロチームで交流会や地域イベントを行っていました。僕が参加していたスポーツイベントサークルでは、そうしたイベントの運営などをやっていたんです。

イベント運営はすごく楽しくて、「勝ちにこだわるような競技スポーツより、楽しみながらプレイする生涯スポーツの空気が好きだなあ」と気づき、スポーツイベントの運営って仕事にならないかな〜と考えるようになりました。

そこで見つけたのが、アマチュアサッカー大会の企画運営の営業職。集客・お客様対応・現地の運営など、やりたいことをやらせてもらいました。年間100日くらいは茨城のサッカーグラウンドにいましたね(笑)。サッカーを楽しんでいる人たちを見ていて幸せな気持ちでした。

営業として3年半勤める中で、社内表彰をしてもらうくらいの成果は出せた一方で、それって先輩や上司・同僚に助けてもらった部分も大きくて……。自分のスキルに自信が持てず、このままずっと営業としてやっていけるのかな?と思うようになり、違う道に進むことを考え始めたんです。

大学で体育教諭の教員免許を取得していたので、改めて学校の先生になろうと思いました。でもその前に、大学時代から興味を持っていた青年海外協力隊に参加してみたくて。単純に興味本意の部分もありましたが、海外の教育事情を知ったり経験したりすることで、教師になった時に子どもたちに教えられることが増えるんじゃないかなと思ったんです。

英語圏への派遣を希望していたところ、ケニアの更生学校に行くことになりました。でも行ってみたら、現地での公用語はバリバリのスワヒリ語だったんですよ(笑)。子どもたちが「ムワリーム (先生)!」って呼んでくれて色々話しかけてくれるんですけど、なんて言ってるのか全然わからなくて……。

青年海外協力隊として役立ちに来たはずなのに、まともにコミュニケーションが取れない! とにかく、スワヒリ語をマスターするしかないわけです。毎日わからない単語をメモして、単語帳を作って、休みの日も必死に勉強しました。半年くらいかけてスワヒリ語の職員会議にもついていけるレベルになり、ようやく仕事ができるようになりました。

更生学校は、貧困などが原因で補導された子どもたちをケニア中から集めて、基礎教育や職業訓練、カウンセリングを受けてもらう施設です。いろんな経験をさせてもらい、本当に楽しかったです。

いちばん印象に残っている出来事は?

更生学校での勤務を終えた後のトラック調査ですかね。
本来は2年間で帰国するプログラムだったんですが、更生学校を出た子ども達がどうなっているのかを追跡調査したくて、期間を延長してもらったんですよ。最長13時間バスを乗り継いだりしながら、ケニアの各地にいる21人の生徒に会いに行きました。行き先にはスラム街も含まれていました。

結果としては本当にさまざま。紹介された仕事に就いて頑張っている子もいたし、勉強嫌いだったのにセカンダリースクールに通っている子もいました。
そこでは「教育で人は変われるんだな」と一定の手応え、可能性を感じることができました。

一方ですごく悲しく衝撃だったのは、ひとりが亡くなっていたこと。まだ16歳だったのに、悪い仲間とまたつるんでしまったせいで地域警察にリンチされたと聞いて……。悔しいし、やりきれない気持ちになりました。

ほかにも再び更生学校に戻ることになったような子もいましたが、そうした結果になってしまったパターンには「子どもがその気になっていないまま無理やり参加させられている」という傾向があるように感じました。押し付けられるように更生学校で学んだ子は、学校から逃げ出したり、家に帰ってからも反発して、また問題を起こしてしまうようでした。

この調査の結果を踏まえて、厚労省に「この支援をする上では、子どもと親の相互が合意形成をするプロセスが大事なのでは?」と提言しました。
僕としてはこの提言に自信を持っていたのですが、すぐに対応してもらえるわけもなく。そりゃ部外者が言いたいこと言ってるだけなんで、若干迷惑だっただろうなあと思うんですけどね……(笑)。

大きな組織にはルールがあり、そこから逸脱することや前例にないことに取り組むのは難しいんだなと、公教育の限界を感じました。
今思えば追跡調査も、僕がケニアの現地教員ではなく、青年海外協力隊から来たゲストだからできたことなんですよ。
帰国したら先生になるつもりでいたものの、そんなこともあって公教育ではなく、より自由度の高い民間教育に携わりたいと考えるようになりました。

教員になる道を見失った自分は、どこで誰に何をしたいのかが相当ふわっとしていたし、客観的に見れば「アフリカ帰りの31歳独身無職実家暮らし」(笑)。帰国後に就職活動をしようにも、自分で自分のことを「誰がこいつ欲しいねん!」と思うほどで、不安に思っていたんです。
そんな状態の僕に、青年海外協力隊の同期がキャリアカウンセラーさんを紹介してくれて、そのツテで我究館の前館長と出会いました。

最初はコーチとしての就職斡旋だったのですが……。我究館の説明会に参加し、我究とは自分と向き合うことであり、自分の考えやこれまでの経験、家族や友人との関係など、様々な角度から自分を言語化していくことだと知り、「今の自分に必要なのはこれだ!」と思ってすぐに《受講生》になる意思決定をしました。

理想の自分に近づくために、考えて、決めて、行動して、自信をつける

我究館と出会って何が変わりましたか?

自分にとっては「世のため、人のため」という言葉がとても大事なんだと気づきました。
僕の母親は保育士かつ地域活動家で、街で会う人みんなから「お世話になってます」って声をかけられる人でして。そういう環境で育ったからか、世のため人のために動くことって自分にとっても当たり前になってたんですよね。

結論として、僕がふわっと抱いていた「民間教育に携わりたい」という思いを具体化されました。
僕のやりたいことは「人を育て、組織を育て、社会に貢献すること」。そうしっかり語れるようになったんです。

自分がどういう人間なのか言語化できたことで自己肯定もできるようになって、「自分のことなんか誰も採用したくないだろう」と思っていたところから一転、「自分を貫いてもいいんだ」って思えるようになりました。
そうなったら転職活動もうまくいくようになって、自分の人間性ややりたいことを認めてくれる人がいるんだって感じられたのがすごくありがたかったですね。

それと同時に、我究館の方々から「フジケンがやりたいことって、我究館でできるんじゃない?」と声をかけてもらったんですよ。
受講したからこそ我究の価値や魅力は知っているし、確かに「人を育て、組織を育て、社会に貢献すること」もできると感じたんですが、入館するかは悩みました。誰かの人生、キャリアに大きなインパクトを与える仕事だからこそ、その責任を背負えるのか怖かったんです。

前館長は、僕のそんな煮え切らない感じを見抜いてくれて「どうする?」と問いかけてくれたと同時に、「一緒に頑張れる仲間と頑張りたい」というメッセージをくれました。その言葉を聞いて、頑張りたいからこそ、目を瞑って飛び込むことに決めました。
そこから我究館のメンバーとして働く中で多くの人と関わらせていただき、今では自分が館長をさせてもらっています。

今はどんなお仕事をされているんですか?

入館してからずっと変わらないのは、コーチとして受講生と話をすることですね。
未来の自分のためにも、就活をポジティブな転機にしようと頑張っている学生が多くて、いつも自分の方が元気をもらっています。
形式としてはワークショップ形式の講義や個別面談などさまざまで、特に春頃は1日10時間くらい学生と向き合っています。

我究を一言で表現するなら、「変わること」だと思っています。
我究はシンプルに捉えると「自分と向き合うこと」なんですけど、ただ自己分析するだけではなく、気づきを踏まえて行動することも含まれます。考えるだけではなく、行動して初めて自己実現ができる。理想の自分に近づくために、考えて、決めて、行動して、自信をつけること。このサイクル自体が「変わること」なんです。
つまり我究館がやっているのは、頑張りたい人が頑張れる場づくりです。

もうすぐ新社会人となる学生に、我究をやって良かったポイントは?と聞いたら、「弱みに向き合えたこと」と言っていました。自分の至らなさに向き合うのって苦しかったり難しかったりして、自己否定しちゃったりします。でも、コーチと一緒に我究することで「悪いところもあるけど、いいところもある。それ全部が自分じゃん!」と、理解と受容の両方を経て一緒に乗り越えていけるんです。
明確に何かをやりたい学生が少ない中で、自己分析から併走して意思決定をサポートしていける仕事にはやりがいがありますね。

学生と向き合う上で、大事にしている考え方を教えてください。

一番大事にしているのは「一旦聞く、受け入れる」ということですかね。
コーチングって基本的には「相手の中に答えがある」というスタンスなので、自分がこうだと押し付けずにまずは聞く。これを徹底しています。
ケニア時代の先生からの学びでもありますけど、アドバイスするよりも「ウナジャリブ (いいよ、頑張ってるね)!」って姿勢を大事にしています。

聞いていて、あまり本人の中で言語化が進んでいないなと感じたときは、「なんで?」「本当に?」「具体的には?」と質問するようにしています。頭の中で言語化されてないモヤモヤがブレーキになっている印象があるので、問いかけで刺激を与えて言語化を促すんです。

これは自分自身が人生に迷っていたとき「とりあえずMBAを取って……」なんて言っていたら、コーチから「本当にそうしたいの?」って聞かれてはっ!とした経験もあり、価値を実感している方法です。

自己分析をしていると、自分のことがよくわからないとか、言葉にすると違和感がある、しっくりこないって感情になること、よくあるんですよ。自分の考えや意思決定に自信が持てないのは、普通のことなんですよね。

未来を決める上で正解がわかるならハッピーだけど、生きるというプロセスは不確定要素だらけ。自分のキャリアを自分で決める勇気が必要で、その答えは自分の中にしかない。だからこそ、苦しくても「本当に?」と問いかけ続けることが大事だなと思います。
何をどう頑張っていきたいのか考え抜いて踏ん張る力が、自分の人生の納得感に繋がりますから。

これからの未来に向けて、フジケンさんが目指している世界は?

ちょっといきなりですが、「コア就活」が世の中の当たり前にならないかなと思ってます。コアとは『絶対内定』の中で「価値観」とイコールで表現されているもので、社会の中で自分はこういう存在でありたい、こうしていきたい、と思う部分のことです。

例えば、僕のコアは「変化と成長」なんですけど、そんなふうに自分のことを自分の言葉で語れるようになった上で内定を手にしてほしいし、会社でパフォーマンスできるようになってほしい。それが「コア就活」です。

一方で、現在の就活はまだまだ相手の正解を探すようなコミュニケーションが多いなと感じています。こういうふうに言えば気に入ってもらえるはず、みたいな。
でも、できることよりもやりたいことの方が大事だと思うし、やりたいことがないまま内定だけを目指すのもよくないと思っていて。企業の採用フローにおいても、就活生のコアを確認していくようなプロセスがもっと強くなってくれるといいなと思います。

これからは人生100年時代で、転職や独立が当たり前になっていきます。自分が次にどんな仕事をしようか考えるとき、条件だけじゃなく「頑張れる理由」に紐付けたコアを中心に意思決定することで、経済的にも精神的にも豊かに幸福を感じられるはず。そのために、自分のコアに向き合うのが我究なんです。

ただなんとなく生きるのではなく、みんなが我究をする世界を目指しています。
やりたいことならしんどくても続けられるし、未経験で飛び込んでも実績が出せるんです!

僕も我究の成果として今を楽しんでいますし、我究館の卒業生が「働くのが楽しいです!」と言ってくれるのがとにかく嬉しくて、こういう卒業生を一人でも多く増やしていきたいと思っています。

まとめ

フジケンさん、貴重なお時間をありがとうございました!
常に「世のため人のため」に行動をし続けてきたフジケンさんのキャリアは、学生への優しさと愛情、そして熱い想いで溢れていました。
明るいお人柄から元気をもらえましたし、苦しいときこそ踏ん張って乗り越えてきたキャリアからは「真剣に向き合うことが大切」だと学ばせてもらった気持ちです。
フジケンさんがコーチをしてきた学生さんたちにもお会いしてみたいなあ〜✨

もしこの記事から「フジケンさんに会ってみたい!」と思った方がいたら、ぜひ我究館へ足を運んでみてください。学生さんにも、転職を希望する社会人の方にも、きっとしっかり向き合い、熱く語ってくださると思います。

今回はフジケンさんのキャリアにフォーカスしてお話を伺いましたが、企画を持ち込んでくれたまんぶさんとフジケンさんの「人のなりたい・やりたいを応援する対談」も面白そう!😆

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
アオパン

この記事が参加している募集

自己紹介

就活体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?