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神奈川を制する者は全国を制す

『神奈川を制する者は全国を制す』

1971年に桐蔭学園が
甲子園を優勝した時に生まれた言葉だ。
(日本にマクドナルド第1号店ができた年)

前年の1970年に原貢氏率いる最強東海大相模が甲子園優勝。
翌年、創部5年目の桐蔭学園が準決勝以外全て完封の甲子園優勝。
2年連続インパクトある神奈川県の全国制覇がこの言葉を産んだ。

ここで神奈川県の高校野球の歴史を軽く辿って行きたいと思う。

甲子園第2回大会で慶應が神奈川県勢初優勝。
その後湘南が1949年、法政二が1960年に甲子園優勝。
神奈川群雄割拠の中
1966年、前年に全国制覇した三池工業(福岡)の監督、
原貢氏を東海大相模が招聘。
(東海大学の松前理事長が原貢氏に惚れ込んだことがきっかけらしい。)
1970年、原東海大相模は見事全国制覇。(1974年に原辰徳氏入学)
そして翌年、創部5年目の桐蔭学園が全国制覇した。

ある日、相模湾で働いてる漁師が言った

「戦国時代さながらのこの神奈川を制した奴ぁ、全国も取れる。漁師も負けてられねえ、今日も鯖が大量だい」


これが『神奈川を制する者は全国を制する』の音葉の始まり。(妄想)

その言葉の威力は凄く野球漫画の金字塔「ドカベン」のモデルにもなった。

神奈川代表・明訓高校を超える高校はもう現れないよね。(独り言)

話を戻して歴史の続き

1970年代を引っ張ってきた東海大相模、桐蔭学園に
待ったをかけたのが横浜高校。
1968年に横浜高校の監督に就任した渡辺元智氏が
「打倒・原、打倒・相模」を掲げ地獄の練習の末
1973年に選抜優勝。
1980年には愛甲猛氏を率いて夏の甲子園大会優勝。
1998年には怪物・松坂大輔氏を率いて春夏連覇。
2006年には春の甲子園決勝戦で清峰を21−0で破り圧勝優勝。

90年から2000年前半まで神奈川を牽引した。

神奈川県全体が打倒・横浜高校となった。

月日は経ち

2015年名将・渡辺監督のラストイヤー。
神奈川大会決勝。
打倒・東海大相模を掲げてきた渡辺監督の最後の相手は
奇しくも東海大相模だった。

結果は9−0で東海大相模の勝利。

打倒・東海大相模を掲げてきた渡辺監督のように
打倒・横浜を掲げてきた東海大相模・門馬監督(1999年監督就任)が
横浜高校を打ち破った。
僕には次の世代へ移り変わった瞬間に見えた。

ちなみにこの試合、朝4時起きで球場前に五時間並んで見てました笑

渡辺監督の勇退胴上げ
神奈川大会決勝戦 東海大相模VS横浜

その後、門馬監督はその勢いのままその年の甲子園優勝。
(この年の東海大相模がつぇぇんだ。エース小笠原(中日)、吉田凌(オリックス)は勿論、千野、宮地、杉崎、豊田(阪神)、磯網、長倉、、最強メンバーだったなぁ)

2021年にも選抜優勝。(エース石田(巨人)、門馬監督の息子さんが1番バッター)
西日本の横綱が大阪桐蔭なら、東日本の横綱は東海大相模。
そんな風に僕は思った。

ここまでがざっくりとした僕が思う神奈川野球の歴史。

ここから先は今の神奈川の話。

東海大相模が鉄壁の相模城を作るのか?
そう思った矢先、突然門馬監督が退任した。(現創志学園)
2020年には横浜高校も渡辺監督の後を継いだ平田監督から村田監督へと変わった。

この3年で指揮官が変わった神奈川2トップ。

そして常に二校を脅かし、時に倒してきた
センバツ出場校の慶應、桐蔭、桐光、隼人、日大藤沢、創学館、Y校、武相、立花、相洋、など沢山の高校たち。

あれ?

元々群雄割拠だった神奈川が郡郡雄雄割拠になってるじゃねぇか!

そう、今年の神奈川はいつも以上に熱いんだ!!!


(僕の勝手な気持ち)

全校横並びの神奈川場所。どこがどんな試合で勝つのか楽しみで仕方ない。

『神奈川を制する者は全国を制す』

高校野球を牽引してきた戦国神奈川県。
今後の歴史として今が一番面白い時かもしれない。

僕はそう思う。








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