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エコール・ド・パリ時代の画家を、どれほど知っていますか?<東欧編>

翠波画廊の書籍『「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画』では、19世紀末から20世紀初頭に活躍した画家を扱っています。
その時代、芸術の中心地はフランスで、各国から修業のために、画家がパリに集まりました。エコール・ド・パリ(パリ派)とも呼ばれた、パリの外国人画家たちです。
この時代には、それぞれの国には、どのような画家がいたのでしょうか。
意外な人が同時代人で驚きます。

まずは、パリに集った外国人画家(エコール・ド・パリ)の中から、各国代表を選んでいきます。
イタリア代表はアメデオ・モジリアーニ(1884-1920)でよいでしょう。
モジリアーニはフランスで活躍した作家なので、代わりにデ・キリコ(1888-1978)という意見もありますが、名声では、モジリアーニが勝ります。

モジリアーニ「青い服の少女」

エコール・ド・パリを優先させると、日本代表は藤田嗣治(1886-1968)になります。
藤田は、晩年はフランス国籍となりましたが、ほとんどの人は藤田を日本人だと認識しているでしょう。
同時代の日本人で、世界的な成功を収めた画家は藤田しか見当たりません。

藤田嗣治「朝」

もう一人のエコール・ド・パリの重要人物は、マルク・シャガール(1887-1985)です。
シャガールは、当時のロシア帝国の生まれですから、当然ロシア代表に選びたいところですが、やや問題があります。
第一に、シャガールの故郷ヴィーツェプスクは、現在はベラルーシの一部です。
第二に、シャガールには、ソビエト連邦化するロシアに見切りをつけて、フランス国籍を取得した経緯があります。
故郷を愛したシャガールに敬意を表して、ベラルーシ代表となってもらいましょう。

シャガール「ダフニスとクロエ:ディオニソファーネの到来」

実は、当時のパリにはロシアから多くの画家が参加しているのですが、そのほとんどはベラルーシやウクライナやバルト三国など、現在のロシアではありません。
例えば、エコール・ド・パリの同世代人であるカジミール・マレーヴィチ(1878-1935)もウクライナの生まれでした。マレーヴィチの両親はポーランド人でしたが、マレーヴィチ自身はウクライナ育ちなのでウクライナ代表に選出します。

マレーヴィチ「冬」

このように、20世紀前半は戦争の時代でもあったために、国別の代表を決めるのが難しい面があります。
たとえば、エコール・ド・パリで活躍したモイズ・キスリング(1891-1953)は、広大な領土を有していた当時のオーストリア=ハンガリー帝国の生まれですが、その生誕地は、現在ではポーランドとなっていて、キスリング自身もポーランド人とされています。
戦禍の犠牲となることが多かったポーランドへ哀悼の意を表しつつ、キスリングにポーランド代表になっていただきます。

キスリング「ワイン・花・炎:出発のワイン」

では、純粋なオーストリア代表は誰かといえば、少し前の世代には、首都ウィーン生まれのグスタフ・クリムト(1862-1918)がいます。しかし、エコール・ド・パリと同世代といえば、クリムトの弟子であるエゴン・シーレ(1890-1918)になるでしょう。

シーレ「黒いスカートの女性」

オーストリア=ハンガリー帝国ですから、ハンガリー代表も選びましょう。
ドイツのバウハウスで教授だったモホリ=ナジ・ラースロー(1895-1946)はいかがでしょうか。画家としてよりも写真家としての活動のほうが有名ですが、アメリカに亡命後、シカゴにニュー・バウハウスを設立して教育に奔走するなど、美術界に多大な影響を残しました。

ラースロー「A 19」

オーストリアと関係が深いドイツ代表はどうなるでしょうか。
ドイツといえば、ドイツ表現主義の前衛絵画グループ、ブラウエ・ライター(青騎士)とブリュッケ(橋)が有名です。ここではブリュッケの創設者エルンスト・キルヒナー(1880-1938)を選びましょう。
ちなみに翠波画廊も本社の名前はブリュッケです。創業者の髙橋の「橋」に引っかけて作品をお客様のもとへと橋渡しさせていただく意味と、美術用語のブリュッケにちなんだものです。
フランスびいきの翠波画廊としては、エコール・ド・パリとの関係が深く、後にフランスに帰化したマックス・エルンスト(1891-1976)も捨てがたいところです。

キルヒナー「街の女」

エコール・ド・パリの重要人物をもう一人ご紹介します。
ブルガリア出身の画家、ジュール・パスキン(1885-1930)です。
パスキンは、狂乱の時代に華やかな社交生活を送り「モンパルナスの王子」として有名になりますが、アルコール依存症と鬱病に苦しみ、45歳で自殺します。
そのハンサムな風貌と派手な女性関係は、モジリアーニを彷彿とさせますが、死後に作品の価値が高騰したモジリアーニと異なり、パスキンの名声は風化しつつありますが、ブルガリア代表に相応しい人でしょう。

パスキン「果物をもつ少女」

以上、1886年生まれの藤田嗣治を中心に、年の差が9歳以内で、9か国の代表を選んでみました。

イタリア代表:アメデオ・モジリアーニ(1884-1920)
日本代表:藤田嗣治(1886-1968)
ベラルーシ代表:マルク・シャガール(1887-1985)
ウクライナ代表:カジミール・マレーヴィチ(1878-1935)
ポーランド代表:モイズ・キスリング(1891-1953)
オーストリア代表:エゴン・シーレ(1890-1918)
ハンガリー代表:モホリ=ナジ・ラースロー(1895-1946)
ドイツ代表:エルンスト・キルヒナー(1880-1938)
ブルガリア代表:ジュール・パスキン(1885-1930)

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