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遮莫(さもあらばあれ)

週刊文春の最新号、林真理子さんがエッセイの冒頭で「何を書けばいいんだ!?」と嘆いていた。オリンピックは既に遠い、昔の話は年寄りっぽくてイヤ、今の政治を批評すれば在り来りになる、外出の話は批判の対象になりがち、そんな訳で書きづらいことばかりだとか。

同誌で30年以上エッセイの連載を続けている彼女ですらネタ切れのご様子。私のような引きこもり高齢者で素人文筆家が書けないのは「致し方ない」ということになる。はい、言い訳です。

【余談】私はかねてより林真理子さんに私淑している。善悪の判断や諾否の判断が自分に近いことが一番の理由。好き嫌いがはっきりしていてワガママ。ちょっと意地悪だが底意地が悪い訳ではなく心根はやさしい。そんなおばさんが劣等感を逆手に取って、シニカルな切り口と炎上ギリギリ(?)の表現で世情に意見するエッセイが好きだ。

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話を戻す。8月からの週一本投稿を誓ったばかりだが、前回の投稿から2週間が経過してしまった。私は毎回投稿前に細君の検閲を受ける。先週も一本書き上げて提出したところ 「投稿不可!」「ボツ!」とされてしまった。渾身の作がボッ、ボツ ー ?! ♪~ エレクトリカルパレードのテーマ ♫~

それは初めてサラリーマン時代のことを書いたものだった。これまで私は note に、"老人ネタ" "趣味ネタ" "中国ネタ" "軽い世相批評" などを書いてきたが、会社のことには全く触れてこなかった。一部のフォロワーさんから促されたことと、ネタ枯れが重なって初めて書くことにした。

内容は、私が会社時代で一番しんどかったことを事例として、現役の皆さんに向け、そんな時の心構えと対応策を説いたものだった。そのタイトルは「やられたら少しだけやり返す」。 もう少し詳しく説明すると「 "Mr.卑劣" と "Mr.狭量" が起こす化学反応の中で翻弄され続け摩滅するサラリーマン」を客観的に分析し、軽妙な筆致で描いた秀作だった。

細君の "ボツ" 理由は、「恨みが透けて見える。これまで note に書いてきたおじいちゃん像にそぐわない」だった。まあそうだ。正しいな。前段に書いた「要約」にすら "恨み" がハッキリと感じられるもんな。

私はこれまで、辛かったことや恥ずかしかったことは忘れることで平静を保ってきた。今回 note に書くために、ずっと閉ざしていた記憶のフタを開けることになった。すると当時負った傷は癒えておらず、カサブタはまだ乾いていなかった。呼び起こした気持ちのままに文章を書いてしまったようだ。

そんなことがあっての昨日、一年半ぶりに地下鉄に乗った。注射も2回打ち終わり、敬老パスを使ってみたいと思っていたところに、名古屋駅に用向きがあり久しぶりに外出した。最近読み返している向田邦子さんのエッセイを車中のお供にした。地下鉄で読んだその "能州の景" の項に、上杉謙信作(俗説らしいが)の漢詩の引用があった。

霜満軍営秋気清 数行過雁月三更  越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征

遠征の地能登の野営で、空を見上げ故郷を思って詠んだ七言絶句だ。四句目にある "遮莫" の二文字、これを「さもあらばあれ」と読み下す。その意味は「それならそれでしょうがない」と不本意ながら容認する気持ちを表す。

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「さもあらばあれ」 記憶の底から、今さらどうにもならない "モヤモヤ" を呼び戻してしまっていた私には、この言葉の意味と、そしてこの言葉の音が心に沁みた。

「あの時ああしてれば‥」という自らの後悔はあるものの、他人の同情が欲しいでもなく、今さら誰かを糾弾したいでもない。

「さもあらばあれ」 本意ではないが飲み込まなきゃならないことは、人生にはままある。

"ボツ!" になり note へ投稿はならなかったが、今回は書いて吐き出したことと、書く為に過去を整理したことで、少しは気も晴れた。 "モヤモヤ" は、また記憶の底に仕舞い直すことにしよう。

そしていつかいろんなものを振り払って、サラリーマンの悲哀を、面白おかしく書けるようになりたいと切に思う。

<了>

【付記】昨日は週刊文春の林さんの連載に「だよねー」と深くうなずき、偶然手に取った向田さんの文庫本で「そういうことですねー」と得心させられました。奇しくも二人の女性エッセイストに啓発された一日でした。向田さんには「さもあらばあれ!」と背中をドンッと叩かれたような気がします。ちなみに向田さんは昭和4年生まれで私の母よりひとつ齢下。飛行機事故で亡くなってから、もう40年が経ちます。


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