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セガ・ベル (1957) ピンボール創成期まで遡るセガの歴史

ペニーアーケード


1829年、ニューヨーク。
ブルックリンにある島に橋がかけられ、旅館が建てられた。
島の名前はコニーアイランド。
風光明媚なこの土地へ次第に観光客が訪れるようになり、1870年代には競馬やボクシングの試合も行われる一大観光スポットとなっていた。
さらに石炭用のスイッチバック鉄道を娯楽用に改造したジェットコースターが建設され、コニーアイランドは遊園地へ発展していく。※1

同じ頃イギリスでは各地の港で、海辺の散歩用にPleasure pierと呼ばれる埠頭が作られた。
当時のイギリスは、カナダ、オーストラリア、インドなど世界中の陸地の1/4を支配する覇権国家として君臨。
海洋国家のイギリスでは港は交通の要であり、埠頭はそのシンボルだった。産業革命を経て労働者たちが労働時間短縮を求めて立ち上がった結果、人々は余暇を得られるようになり、レジャーを楽しむようになっていく。※2
Pleasure pierに多くの人々が集まるようになると、そこには観覧車や劇場などのアミューズメント施設が作られるようになった。

1900年代初頭、そういった娯楽施設の集まる場所に、ペニーアーケードと言われる場所が作られ始める。
ペニーアーケードには、現在のゲームセンターのように、コインを入れるとゲームなどができる機械が置いてある。
1901年のニューヨークのTrow Business Directory(電話普及以前のタウンページのようなもの)には、早くも20近くのペニーアーケードが記されている。※3
ではそんなペニーアーケードには、どのような機械が置かれていたのだろうか?

※1 Professor Solomon, Coney Island, Top Hat Press, 1999

※2 大倉秀介, 現代における「余暇」概念の検討, 1974

※3 Richard M. Bueschel, Steve Gronowoski, Arcade 1: Illustrated Historical Guide To Arcade Machines, Coin Slot Books, 1993, p147.

18世紀以前の娯楽(ゲームと関係が深いもの)
欧米
室 内 :ボードゲーム(チェス、チェッカー、バックギャモン、ドミノ)、人形、ジグソーパズル
携 帯 :カードゲーム(トランプ、タロット)、サイコロ、本(神話、騎士道小説)
遊技場 :舞台(音楽、演劇)、移動遊園地(観覧車、射的)、ゲーム(ビリヤード、ボウリング、カジノ)、見世物(サーカス、手品、幻灯機)
屋 外:
狩猟、釣り、馬上槍試合、スポーツ(テニス、ゴルフ)、格闘技(ボクシング、レスリング)、迷路、競馬、鬼ごっこ、凧

日本(欧米と重複しているものは省略)
室 内 :
囲碁、将棋、盤双六、絵双六、人形
携 帯 :
カードゲーム(かるた、花札)、本(源氏物語、平家物語、妖怪もの)
遊技場 :
舞台(歌舞伎、浄瑠璃、寄席)、金魚すくい、サイコロ(丁半)
屋 外 :
格闘技(剣道、柔術、相撲)、蹴鞠

スロットマシン


19世紀は産業革命の中から様々な技術革新が行われた。
電気、自動車、映画、タイプライター…
自動販売機もその一つだ。
最初の自動販売機は古代エジプトまで遡るが、本格的に普及しだしたのは19世紀に入ってから。

当時はヨーロッパで万国博覧会が人気となっており、様々な新発明が出品されていた。
1873年のウィーン万博では、アメリカのフェアバンクスが発明した体重計が出品され大きな話題となる。※4
体重計は後に自動販売機化され、家庭用の体重計が普及する1950年代辺りまでヨーロッパでもアメリカでも大人気となった。※5

実は日本にも1876年(明治9年)、ウィーン万博のわずか3年後、江戸時代から10年経たない内に、日本初の自動販売機として体重計が上野公園に置かれていた記録がある。

しかし誰が作ったか、誰が設置したか不明。
デザイン的にはヴィクトリア様式を思わせるもので、輸入されたものの可能性が高いがそれ以上のことはわからない。
これは推測だが、日本では同時期に近代化が進められていた銭湯に無料で置かれるようになったため、欧米のように自動販売機としては普及しなかったと思われる。

体重系以外にも本、タバコ、菓子、切手などの自動販売機が作られたが、1867年、占いをする自動販売機が現れた。※6
これが現在アーケードゲームと呼ばれているものの原型と考えられている。
占いの他には、テスター(肺活量測定、握力測定、パンチングマシーン)、ガンシューティング、Trade Stimulator(勝つとタバコやガムがもらえるゲーム)、ミュートスコープ(のぞき窓から見られる動画)、クレーンゲームなどが作られた。

そんな中、1899年アメリカでLiberty Bellというマシンが作られる。

今ではスロットマシンと呼ばれるこのタイプのマシンは大人気となり、それまで他のマシンを作っていたメーカーが、皆スロットマシンを作り始めた。
もともとスロットマシンという言葉は自動販売機全般を指していたが、Liberty Bellの登場により言葉の意味が変わってしまったほどだ。
だがギャンブル性の強いスロットマシンは、法律による規制との戦いを強いられる。
1909年にサンフランシスコで始まった反対運動は、多くの州でスロットマシンを違法とした。※7

※4 Thaddeus Fairbanks, Wikipedia, 2021, https://en.wikipedia.org/wiki/Thaddeus_Fairbanks

※5 AMERICAN PENNY SCALES, https://www.theamericanweigh.com/index.html

※6 Cheryl Keyser, AMERICAN ANTIQUITIES, Fortune Telling Machines, https://www.americanantiquities.com/Journal%20Articles/Fortune%20Telling%20machines.html

※7 Alexander Smith, THEY CREATE WORLDS, HISTORICAL INTERLUDE: THE HISTORY OF COIN-OP PART 2, FROM SLOT MACHINES TO SPORTLANDS, https://videogamehistorian.wordpress.com/2015/03/25/historical-interlude-the-history-of-coin-op-part-2-from-slot-machines-to-sportlands/


19世紀の娯楽(ゲームと関係が深いもの)
欧米
・室 内:
鉄道模型、人生ゲーム、野球盤、リバーシ、ダイヤモンドゲーム、ダーツ、ミニカー、パーラーゲーム、輪投げ
・携 帯:
本(ホラー小説、推理小説、SF小説)、塗り絵、トレーディングカード、15パズル
・遊技場:
万博、遊園地、バガテル、自動ピアノ、コインゲーム(スロットマシン、ウォールマシン、クレーンゲーム、ミュートスコープ、占い機)、卓球、ダーツ、パノラマ、ジオラマ
・屋 外:
サファリ(ビッグゲーム)、スポーツ(野球、サッカー、バスケットボール、アメフト)、格闘技(プロレス、フェンシング)、BBガン、模型飛行機、砂場

日本(欧米と重複しているものは省略)
・室 内:
軍人将棋
・携 帯:
本(忍者もの、南総里見八犬伝)
・遊技場: お化け屋敷、遊園地、射的、金魚すくい、立版古、のぞきからくり

ピンボールの始まり、そしてセガの前史


19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカでは電気と自動車の普及が始まる。
1882年に最初に事業として送電した発電機はわずか1200個の電灯を灯せるものだったが、その後急速に全国的に普及。
それにより家庭では、電灯、冷蔵庫、洗濯機、ラジオなどの家電製品を使うようになる。
また馬車は自動車に取って代わられるようになり、通信販売のカタログで注文したものが車で自宅へ届けられるようになった。
アーケードゲームは運送網の発達により、テーブルに置ける小型軽量なものから、床置きの大型なものへ変化していった。

1930年、オハイオ州のアーサー・ポーリンは娘のクリスマスプレゼントに、ヨーロッパのバガテルを元にしたゲームを作った。
このゲームは近所で人気となったためコインスロットを追加し、1931年1月Whiffleと名付けて販売。
またほぼ同時期に、ジョージ・デプレズが開発したWhoopeeという機種がシカゴで販売される。
この2台が最初のピンボールと考えられている。

このピンボールに目をつけたのが、後にセガの名前のもとになったService Games社の創設者の一人となるアーヴィング・ブロンバーグ(Irving Bromberg)だ。
1899年生まれの彼は、Gottliebという小さな会社が1931年9月、初めて出したピンボールBingoに目をつける。※8
Gottliebは11月にBuffle Ballを発売し、これが50000台を超える大ヒット。

時代は大恐慌の真っ只中。
鉄道模型などの高額なおもちゃが売れなくなり、ジグソーパズルやボードゲームなど安価で楽しめる娯楽に人気が出ていた。
そんな中、比較的少額で楽しめるピンボールは、全国的なブームになった。

アーヴィングは、ニューヨークに最初のピンボールを持ち込んだディストリビューターとして成功。※9 ※10
ニューヨーク以外にボストン、ワシントンDCなど5箇所に支店を持つようになり、1933年のビルボード誌に「世界最大のピンゲームのディストリビューター」と書かれるまでになった。※11
しかしアーヴィングは1934年、突如西海岸のロサンゼルスに拠点を移し、Standard Games社を設立する。
1934年はニューヨーク市長選挙で、犯罪撲滅を掲げたラガーディアが当選した年だ。
ラガーディア市長は当選した年から、スロットマシンを破壊するパフォーマンスを行い、1942年にはピンボールをニューヨークで禁止している。

これは完全に憶測だが、アーヴィングはニューヨークで商売がやりにくくなることを見越して西海岸に拠点を移したのではないだろうか?
その後も着実に成功した彼は、1945年のキャッシュボックス誌に「億万長者のディストリビューター」と書かれている。※12

アーヴィングには1919年に生まれた息子がいた。
息子マーティン・ブロンバーグ(Martin Bromberg、後にMartin Bromleyと改名)は第二次大戦中、ハワイで海軍に従軍しており、アーヴィングは彼にStandard Gamesのハワイ支社を任せる。
マーティンは基地相手にスロットマシンなどを販売して成功。
1945年にアーヴィング、マーティンはハワイでセガの前身となるService Games社を立ち上げた。※13
以後、彼らの商売は、米軍基地相手が中心となっていく。

※8 Bingoの広告の下にIrving Brombergの名がある。
The International Arcade Museum, Automatic Age 1931-10 , https://aa.arcade-museum.com/Automatic-Age-1931-10/Automatic-Age-1931-10/095/

※9 The International Arcade Museum, Marketplace 1973 June -30, https://mp.arcade-museum.com/Marketplace-1973-06-30/Marketplace-1973-06-30-012.pdf

※10 マーティンの娘、Lauran Bromleyへのインタビュー
Internet Archive, Play Meter - Volume 20, Number 3 February 1994 , https://archive.org/details/play-meter-volume-20-number-3-february-1994/Play%20Meter%20-%20Volume%2020%2C%20Number%203%20-%20February%201994/page/32/mode/2up

※11 Internet Archive, The Billboard 1933-01-07: Vol 45 Iss 1, https://archive.org/details/sim_billboard_1933-01-07_45_1/page/n63/mode/2up

※12 Internet Archive, Cash Box, 1945-11-12, https://archive.org/details/cashbox07unse_7/page/n19/mode/2up

※13 Ken Horowitz, The Sega Arcade Revolution: A History in 62 Games, McFarland, 2018

20世紀前半の娯楽(ゲームと関係が深いもの)
欧米
・室 内:
ボードゲーム(モノポリー、スクラブル、クルード、海戦ゲーム
)、ミニチュアゲーム、プラモデル、クロスワードパズル、レゴ
・携 帯:
クロスワードパズル、ヨーヨー、アメコミ
・遊技場:
映画館、コインゲーム(ピンボール、ドライブゲーム、野球ゲーム)、ジュークボックス

日本
・室 内:
麻雀、野球拳
・携 帯:
ブロマイド、食玩、めんこ、ベーゴマ、漫画
・遊技場:
パチンコ、屋上遊園地、チンチロリン

Service GamesからSEGAへ


しかし1951年、アメリカではジョンソン法という法律が制定される。
この法律は、ギャンブル性のあるゲーム(スロットマシン、ピンボールのビンゴマシン、クレーンゲームなど)について、ギャンブルを禁止しているアイダホ、ネバダ以外の州の通過、および軍事基地内での操作を禁止するというもの。
Service Games社にとって致命的な法律だったが、彼らはジョンソン法の及ばない国の米軍基地に目を向ける。
1952年、Service Gamesはメカニック担当レイモンド・レメーヤー(Raymond Lemaire)と営業担当リチャード・スチュアート(Richard Stewart)を、レメーヤー&スチュアートとして東京に事務所を構えさせた。※14
本社はパナマに構え、韓国、フィリピン、グァム、西ドイツに支社を設立した(後にアメリカ・ネバダ、イギリス、ベトナムにも進出)。

レメーヤー&スチュアートは米軍基地相手だけでなく一般の業者向けにもジュークボックスなどを販売していた。
1950年代はロックン・ロールが誕生し、エルビス・プレスリー人気に湧いた、ジュークボックスが最も人気があった時代だ。
当時、ジュークボックスの輸入を行っていた会社には、レメーヤー&スチュワートのほか、太東貿易(後のタイトー)、V&Vハイファイトレーディング(後のエスコ貿易→セガと合併)、ユニバーサル(後のアルゼ→ユニバーサルエンターテインメント)などがあった。
またレコード会社でジュークボックスの担当をしていた上月景正は、後にコナミを創業する。※15

1957年、Service Gamesはアメリカの当時シェア2位のスロットマシンメーカーMillsから特許を買いとり、スロットマシンを製造する。
その第一号がセガ・ベル。
Serivice Games社が初めて使用した「SEGA」ブランドだ。
セガ・ベルは太平洋地域の米軍基地に売却されたが、基地以外の日本には賭博行為に当たるため設置できない。
しかし、当時アメリカ統治下にあった沖縄には設置された。※16
1960年には、イギリスのATEアミューズメントトレードエキシビジョンに出展、イギリス向けにも販売している。※17

その後のService Gamesはスロットマシンやジュークボックスを作り、徐々にアミューズメント産業へ目を向け始めるが、それはまた別の機会に。


次回はウォーゲームの歴史を取り上げます。

※14 現在のセガの公式では、このレメーヤー&スチュアート社を、セガの前身としており、その設立を1951年としている。
セガ, ヒストリー・トピックス, https://sega.jp/history/arcade/topics/5962/index.html

※15 企業家倶楽部, 時代の波頭をつかみ成長 新卒一期生のがんばりに支えられた /コナミ社長 上月景正, 
http://kigyoka.com/news/magazine/magazine_20150414_15.html

Internet Archive, 
https://web.archive.org/web/20210125145249/http://kigyoka.com/news/magazine/magazine_20150414_15.html

※16 日本遊技関連事業協会, 広報誌2010年6月号(Vol.230), パチスロ史第1回, 
https://web-archive.nichiyukyo.or.jp/FileUpload//files/magazine/pachisuroshi1.pdf

※17 SEGA RETRO, Amusement Trades Exhibition 1960, https://segaretro.org/Amusement_Trades_Exhibition_1960


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