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優しい世界のつくり方



小学生の頃、私はしばしば嫌われた。


けれども運の良いことに私を嫌ったクラスメイトたちは実にさっぱりとしていたので、面と向かって「歩のこと嫌い」と言ってくれた。彼らはクラスの中でそこそこのポジションにいたように思うが、いじめもナシ、無視もナシ、徒党もナシだった。また、私の友人たちは“嫌われている”私を気にすることなくフラットに交友を続けてくれた。今となっては嫌い手の皆さんにどこが、と聞かなかったことがやや悔やまれるが、その時は単純に『人から嫌われるってこんな感じなんだな〜』と、思っていた。
たとえ負の感情だったとしても思っていることや考えていることを潔く見せてくれる彼らに、いっそ心地良さすら感じていた。


そんな小学校中学年だった。





6年生になって、私は遠く離れた離島の小学校へ転校した。


その日、全校生徒の前で挨拶をした。


「O県から来ました。瀬戸際歩です。よろしくお願いします。」


校長先生の話が終わって集会がお開きになり、さてクラスに戻ろうか、という時にこれから1年間クラスメイトになるのであろう女の子が走ってきて言った。


「なまってるね!」


なんの悪びれもなく言い放たれたそれは、今まで聞いたことのないイントネーションだった。「いやどっちが」というツッコミを戸惑いの笑みと共に飲み込んで『ああ、“普遍”なんてどこにもないのだな』と、思ったのを今でも覚えている。





“転校生”としての思春期は、多くのことを教えてくれた。世の中に絶対的な価値なんてないこと。昨日まで当たり前だと思っていたことが数百km移動しただけで当たり前でなくなること。自分を評価するのはどこまでも他人だということ。

島に引っ越して2年が過ぎた頃、私は中学校に上がっていた。

その頃にはかつて「いやどっちが」と言いたくなったなまりも、島特有の方言も随分とマスターしていたし、友人と呼べる同級生も何人かいた。
けれども、思春期の交友関係というのは難しい。ふと、一人の友人の態度が素っ気ないことに気がついた。何かしてしまっただろうか?と、考えてみるがそもそも彼はクラスが違うのだ。関われる時間が限られすぎている。それまで一緒に下校していたのにたびたび断られるようになった。まあ、他の友達といたい時もあるか、と軽く考えるようにしていたが、それでもモヤモヤは募る。


ある日、共通の友人複数人での帰り道で一緒になった。
今日こそ聞いてみよう。そう思って、わざと遠回りをして2人きりになった。


「最近、なんか冷たい感じがするんだけどさ。自分、何かした?」


しばしの沈黙の中でカラカラカラカラ、と自転車を押す音だけが響いて、それから彼が口を開いた。


「最近歩と一緒にいるとイライラするんだよね。なんか上からっていうか。説教ぽくて」

今でもあの瞬間を鮮明に思い出すことができる。夕暮れの中を、2人。心臓が、生搾りのレモンくらいギュッとなった。自分の抱いていた違和感は間違っていなかったんだ、というほんのりとした安堵と、嫌悪されていたんだな、というショック。ずっと変わらず接してきたのに、なんで、という戸惑い。
そうしてひとしきり混乱した後、もう一度、思い出した。
自分を評価するのはどこまでも他人だということを。


少し前までは「歩にはなんでも話せるし、率直に言ってくれるから頼りになる」と、言ってくれていたのに、だ。





そんな風にして、時に環境に振り回され、時に個人の悲喜交々に振り回された私は、大学生になる頃には立派に疲れ果てていた。というか、ほとんど馬鹿馬鹿しくなっていた。
他人の感情の機微を掴むのには少しだけ長けている自負がある。それでも、いや、だからこそ、疲れ果てていた。


人間とかいう生き物は、どこまでも自分本位で、気まぐれだ。


本当は誰にだって優しくしたい。善き人でありたいというよりは、他人に心地良くいてほしかった。何故なら自分自身が、それまでに多くの人間に出会って、心ない差別を受けたり、少し“違う”というだけでつまはじきにされてきたからだ。せめて私という存在くらいはそういうこととは無縁で、誰もが安らげる居場所になりたかった。


だが、そんなの神でない限り無理なのだ。
というか時には、神にだって不可能だ。(何故なら時に人は“神様のバカヤロー!”と叫んだりするので。)


どんなに気を遣っても、良かれと思ってやっても、心を割いても、「イライラ」される時はされてしまうし嫌われる時は嫌われる。それも、“なんか気に食わない”とかいう涙が出るほど些細な理由でだ。


繊細な人は優しさに気づいてくれるが、時に受け取ることに疲弊している。
鈍感な人は優しさに気づかないし、時に平気で“搾取“してくる。


だから私は、全方位に気を遣ったり、優しくしたりするのを一切やめた。
それまでは、“人間が好き“というだけの理由で会ったばかりの人にも、一番大切にしたい友人と同じように接していたのである。


転校続きで自分が下手にでなければいけないような人間関係の作り方ばかりしていたので、それにもほとほとうんざりしていた。


結果として、大学1年生になった私は1ヶ月間、誰とも馴れ合わずにキャンバスの風通し良いベンチで毎日1人で弁当を食べ続けた。
自分自身に主導権のある生活は驚くほど快適で、行き交う人を眺めながら食べる弁当はしみじみと美味しかった。また、幸いにもそういう人間がいても“普通に”受け入れてくれるようなヘンテコな大学に入学していた。


ガイダンスの時から同じ学科の同期たちが上擦ったテンションでかたまっているのをどこか白けた気持ちで見ていた。誰もがぎこちなく笑いながら腹の中を探り合っている。それは、数年前までイヤというほど経験してきた空気だった。こういう中で出来る交友関係なんて、どうせ長くは続かないことも十分知っている。


幸い、大学には“クラス”がない。1人でも授業は受けられるし、社交性はすでに身に付けている自負があった。だから、本物でない付き合いはいらない。そう思って、1人で過ごすことにした。


私はただ、本物が欲しかったのだ。
どれだけ時間がかかろうとも構わなかったし、4年間もあれば1人くらいは友人と呼べる人に出会える心づもりだった。それで十分だった。


そんな私でも大学を卒業する頃には一生モノだと思える友人たちに出会うことができた。


彼らには、気遣いも、優しさも必要ない。
お互いが自分勝手に過ごして、それがなかなかどうして、心地良いのだ。





そうやって10代を過ごしきって、とっくの昔に成人した。
世間的には“大人”と呼ばれる年齢になって、こんな風に過去のことを振り返りながら、いつも思う。


私の行動を“優しさ“として受け取る人がいるのなら、それはその人が優しいのだ。
私が自分勝手にやった行動の裏付けを“優しさだ”と信じて疑わないそのあたたかさが何よりも、優しい。

人間とかいう生き物は、どこまでも自分本位で、気まぐれだ。


どんなに好かれようと思って振る舞っても、嫌われる時には嫌われる。
けれどもどんなに嫌われようと思って振る舞っても、好かれる時には好かれるのだ。


そうであるならば。


自分らしくいればいい。
自分のいたい、自分でいればいい。



そうしてそんな私の振る舞いを、優しさとして、善きものとして受け止める人だけを。
大切に、大切にしていけばいいのだ。



それがきっと、自分だけの優しい世界の作り方。


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